第34話 『旅の目的』
牢屋区画を歩いていると、前方の鉄格子の前でクマノが立ち止まった。
「クマノ、急にぼーっと突っ立ってどうしたんだ? 俺が殴った時のダメージまだ残ってるのか? 不安ならもう一回<ハイヒール>かけてやるぞ?」
「イ、イザナ殿……こ、ここ……見てほしいクマ……」
鉄格子の前に立つとそこには先ほど見たピンク色の肉塊がもぞ……もぞ……と蠢いていた。
「……クマノ……まさかとは思うが……これがセシアの妹なのか?」
「……た、多分……そうクマ……この子から……つらいよ……お姉ちゃんに会いたい……って……そんな声が聞こえた気がするクマ……ま、間違ってたら……ごめんクマ……でも……オイラには……そう聞こえたクマ……」
クマノはぎゅっと拳を握りしめ、唇を噛んだ。
セシアの妹が、魔物に変えられていた。普段ここの魔獣の世話をしていた彼にとって、それはあまりにも辛く……受け入れ難い光景だろう。
「わかった、とりあえず生命魔法をかけてみる」
「た、頼むクマ……もう、イザナ殿しか……」
俺は無言で鉄格子を開け、中へ入る。
膝をつき、ピンクの肉塊……いや、セシアの妹にそっと手を添えた。
「<魂よ、答えよ>……<ソウル・リメンド>……<ソウル・トランスファー>……<魂よ……答えてくれッ!>」
適当な呪文をそれっぽく並べて唱えてみたが、肉塊はもぞもぞと動くだけで何の反応もしない。
……まぁ、だよな……こんな思いつきの呪文で魂や肉体が元に戻るなら、霊魂鍛治師なんて職人がいらないわけで……そもそも魂そのものに、生命魔法がどこまで踏み込めるのか、正直……俺自身わかってない。
くそっ……こんな時に、ブランデが居てくれりゃ……
「イザナ様〜! セシアがね……こんなの見つけたよ〜!」
……は?
振り向くと、リュナが少女を抱えて立っていた。
身長は150センチほど。銀髪のサラサラストレートで、白黒のメイド服には可愛らしいリボンがいくつも飾られている。
……だが、その目は閉じたまま、完全に無反応……生きている気配すら感じられない。
「ちょっと重かった〜……これね、セシアが隣の部屋で見つけたんだって!」
「なんだそれ? ……人間だよな?」
リュナはそっと少女を床へ降ろし、俺の横へ下がる。
すると、セシアは一歩前に出て唇を震わせながら、かすれた声で答えた。
「……これは……ギアライト家の自立型魔道具よ……数百年前に……霊魂鍛治師とギアライト家共同で作られた魂の器……人間の魂を、この中に……入れるためのものだって言い伝えられてる……でも……本当にそんなことが出来たのか……誰にもわからないの……言伝で伝えられたものだから、文献も……ほとんど残っていないし……」
「この少女にセシアの妹の魂を入れれば……妹をこの姿で、元に戻せる可能性があるってことか?」
「……わからないわ。でも……少なくとも、こっちの方が可能性はあるんじゃないの……それより…………これが……私の妹――」
その声は、今にも途切れそうだった。
「あぁ……」
俺が短く返すと、セシアは震える指先を肉塊へそっと触れさせた。
「――<残留魔性解析>
…………やっぱり……妹と同じ魔力が……この子の中に……ちゃんと残ってる……」
「分かるのか?」
「当然じゃない……一応魔技師よ、家族の魔力の性質くらい……忘れるわけないじゃない……」
「クマノ……お前いらなかったわ」
「失礼クマね!? オ、オイラだって役に立とうと――それよりも、セシア嬢はもう体の傷は大丈夫クマ?」
クマノが慌てて話題を変えると、セシアは肩をすくめた。
「ええ、イザナがもう一回<ハイヒール>をかけてくれたから、だいぶ回復したわ……それにしても、本当にすごい回復力ね。こんな一瞬で回復するなら、冒険者なんてやめて医者になった方が儲かるんじゃないの?」
「いや、別に冒険者じゃないし、金のためにやってもなぁ……」
俺が軽くため息を吐いたところで、横にいたリュナに視線を向ける。
「そういえば、リュナ……お前、俺の記憶やリュミナの記憶を覗くことはできるよな? それって魂に干渉して出来る行為なのか?」
リュナはぽかんと口を開け、目をぱちぱち瞬かせる。
「ん〜〜……リュナ、よくわかんな〜い。だって見えるから見てるだけなんだもん……別に見ようってがんばってるわけじゃなくて……勝手にて流れ込んでくるの、魔法じゃなくて……えっと……そういうもの?」
自分でも説明できないのが悔しいのか、リュナは両手でこめかみを押さえて唸る。
「んーとね……目で見えるとか、鼻で匂うとか……そんな感じ〜努力してるんじゃなくて、『そこにあるから、そう見える』って感覚〜」
リュナの説明は相変わらずふわっとしているが……まあ、スライムとして生まれ持った当たり前の感覚なんだろう。
「なら、セシアの妹を吸収して、その魂を抽出することはできるのか?」
「グレインの言ってた魂の抽出ってこと? やったことないからできるかわからないよ? でもね、もしできるなら……リュナのは抽出じゃないの〜。えっと……抽出……? っぽいけど、なんか違う、うーん……コピー? バックアップ? そんな感じかな〜。吸収して、読み込んで……う〜ん」
その瞬間、セシアがビクリと肩を跳ねさせた。
「ちょ、ちょっとさっきから何言ってるのよ!! 吸収って……それ、どういう意味よ!? リュナに私の妹を食べさせるつもりなの!? 記憶を見るためって……そんなの……意味がわからない!! それにリュナは竜族なのよ!? 竜族がそんなことできるわけないじゃない!! 本気で言ってるの!?」
涙を堪えているのが、見ればすぐにわかった。
……まあ、妹を「吸収する」なんて単語を聞かされりゃ、そうなるのも当然だ。
だが、今ここで「リュナはスライムです。だから食べて魂を解析します」なんて正直に説明したところで、火に油を注ぐだけだろう。
セシアの心も、もう限界に近い……今の彼女に全部を話しても、受け止められるはずがない。だから、今は最低限だけ伝えよう。
「セシア……リュナの魔法(嘘)で、魂を取り出せる可能性がある……俺の生命魔法じゃ、こいつを復活させてやる術がないんだ……だから、やれることが他にねぇから……そこに賭けるしかない」
セシアは震える指先でメイド少女の手を掴み、かすれた声で問う。
「……抽出して……どうするの……? まさか……この魔道具に……魂を入れるつもりなの……?」
「……ああ、それしか、道がない」
セシアは目を閉じて、短く息を吸う。
そして……開いた瞳には、もう迷いは一切なかった。
「……分かった。リュナ、お願い」
「うん?」
「――妹を救って欲しい!!」
「はーい♪」
場違いなほど明るい声とともに、ぺこりと小さく頷いた。
そしてそっと膝をつき、ピンク色の肉塊に手を添える。
するとリュナの手のひらが水のように形を失い、触れていた肉塊はあっという間にリュナの身体の中へと流れ込んでいった。
そして、ほんの少しだけ時間が経過した。
「抽出できたかも〜でも、このままだと魔道具に入れても動かないと思うよ? 電池がない状態みたいなものだからね〜だから勝手にだけど、暴牛王の心核と融合させてみた〜魔力供給効率がヤバすぎて……多分だけど、数千年くらいは動き続けちゃうかも?」
「そ、そんな……数千年も……生き続けるなんて……」
「まだ憶測の段階だ。それに、死ぬよりマシだろ。もし本当に千年も時間が稼げるなら……その間に元の身体へ戻す方法だって、探せるかもしれない」
「はーい、これ〜」
リュナがひょい、と手を伸ばし、白く輝く菱形の結晶を俺に渡してきた。
「ああ……助かる……とりあえず、やるしかないか」
そう口にしたものの、実際にやっていることは死んだ心臓をもぎ取って、新しいものを無理やり押し込むような行為だ。
しかも今回は、セシアの妹の魂と暴牛王の心核を縫い合わせて作った代用品を、魔道具にそのまま押し込むわけで……いつ、どんな免疫反応が起きるのかすら分からない。
だが、思い返せばリカだってそうだ……風の大精霊核を吸収しても普通に生きている。
常識的には有り得ない……だが、この世界は常識外の現象が普通に起きる……。
月が青くなったり、俺の体が無限に再生したりとか……。
……うーん……考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうだな……でも、もう受け入れるしかない。
俺は、目の前の銀髪の少女のメイド服を脱がし、心核をその胸の中心へ押し込むと溶け込むように吸い込まれた。
……頼む、成功してくれ。
数秒か、数十秒か……感覚が曖昧になるほどの沈黙が続いた。
もうダメかと……そう思いかけた、その時――指先が、ほんのわずかに震えた。
続いて、少女の長いまつ毛が揺れ、ゆっくりと蒼い瞳が開いていく。
「……お姉さま……?」
セシアは息を呑んだまま硬直し……次の刹那、堪えていた涙が一気にあふれ、少女へ飛びつくように抱きしめた。
対して、腕の中の少女は……あまりにも無垢で……自分がどんな状況にいたのか、まったく理解していない様子だった。
「エナ!! よかった……っ、よかった……っ……! 怖かったよね……ひっ……ひとりにして……ごめん……ねぇ……!」
涙で濡れた声が、震えながら何度も名前を呼んだ。
少女――エナはきょとんとしたまま、ぎこちなくセシアの背中に手を回した。
「えっ? なんのことですか……わたし……あ、体が……あれ?」
「そうだよね……分からないよね。混乱するよね……でも、生きててくれて……本当に良かった……」
その言葉に、エナはぱちぱちと瞬きをして、きょとんとした表情で続ける。
「なんのことですか? 私は……今朝パンを食べて外に出かけて、それから……? あれ? いつの間にか……うとうとして、寝ちゃってたのかな? お姉さま……どうしたんですか? なんで泣いてるんですか……?」
エナがセシアに抱きしめられているその背後で、リュナはそっと一歩下がり、俺にだけ届く声で囁いた。
「……リュナ、エナの“ここ”の辛かった記憶とか、拷問とか、尋問とか、グレインに魂をいじられた時の痛いのとか苦しいのとか……トラウマの記憶、全部食べちゃった〜。だって、あの子の頭の中……ぐちゃぐちゃで……残しておくのは、可哀想だと思ったから〜……イザナ様、リュナ、ダメだった……?」
「いや、俺でも同じことをした。そんな地獄はエナの記憶に残すべきじゃないし、エナに昨日まで拷問されていた人生なんて必要ないんだよ……目を覚ますなら、何もない普通の今日でいいんだ」
「じゃあ……リュナ、エナを救えたんだね……?」
「救ったよ。間違いなく、お前が救った……。これは、お前にしかできなかった……ありがとな、リュナ」
リュナは小さく歩み寄り、俺の腕に寄り添うように身体を寄せ、そっと俺の指を握った。
「……えへへ……よかったぁ……イザナ様、あとね……リュナね? リュナの旅の目的……ひとつ思いついたの」
「この世界を見たいんじゃないのか?」
「それはリュミナさんの願い。リュナの目的は人の感情を理解すること、リュナは魔物だから人の心は無いけど……でも、理解することならできると思うの〜。ほら、小学生が道徳をお勉強するみたいな? そういう感じだよ〜」
小学生って……まーた、俺とリカにしか通じない例えだし、
それにお前はもう、十分立派に人の心を理解してると思うが……まあ、いいか。
エナは無事戻った。
セシアもようやく泣き疲れて落ち着いたというのに……なぜか、それ以上にクマノが鼻をずびずび鳴らしていた。
「……よ……よかったクマ……ほんとうに……よかったクマぁ……っ……!」
お前まで泣くのかよ、と思いつつ……まあ、気持ちは分かる。
もう、この薄暗い牢屋区画に用はない、俺たちは静かにその場を後にした。
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