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第32話 『忘れていた衝動』

洞窟の奥へと進む。

ここから先は、元の洞窟が雑に牢屋区画へと改造されていた。

横幅二メートルほどの通路の左右には、岩壁に直接鉄格子が打ち込まれた檻がずらりと並んでいる。

檻の中には、見覚えのある魔獣や大型の魔物が雑多に詰め込まれていた。

だが、その中でひとつだけ、明らかに異質なものがあった。


――ピンク色の肉塊。


思わず、息を飲む。

牢の隅で、その塊が もぞ……もぞ…… と不規則に蠢いていた。

……生き物の形はしていないが、かといって死体でもなさそうだ。……気味が悪いな。


「おいクマノ。……こいつは魔物か? 魔獣か? 何なんだこれは……」

俺は目線だけで檻の中の肉塊を示し、後方にいるクマノへ問いかけた。

 

ミノタウロスの背におんぶされたクマノが、付いて来ながら、こちらを覗き込むように顔だけを上げた。

力は抜いて殴ったとはいえ、神経電撃(ニューロ・ショック)を受けたダメージは残っている。

それでも、ミノタウロスとの筋力共有と、着ぐるみの物理軽減のおかげか、なんとか喋れる程度には回復していた。

 

「オ……オイラはこの魔物を飼育してるだけだから、正体は知らないクマ……そもそも、この子たちを世話するために、グレインに連れてこられたクマ……顔も表情もぜんぜん読めないけど……この子たち、ずっと悲しいって言ってるクマね。オイラ、小さい頃から魔獣と一緒に育ったから……なんとなく分かるクマ」


……ふむ、《魔獣分類書》にもこんな生物は載ってなかったしなぁ……それどころか、魔物どころか生き物と言っていいかどうかも怪しいが、とりあえず……確認しておくか。

 



対象:■■・ギ■■■■(名称喪失)

種族:■■ (名称喪失)

分類:生物(?)

状態:……ころ……し……て……

備考:たす……け……■■■■■■■■■■■■■■■■■

警告:魂が「人間」と……深刻ナ損傷……及ビ……精神……干……ショウ……かくに……ン……強制変異……痕跡……多数……本来ノ個体情報……よみと……れ……■■……じ……っ……じ……ッ……と……ォ……が……ま……ざ……る……

再警告:……■■■■■■■■■■■■■■■■■




―――――強 制 終 了―――――


 


ぱつん、と乾いた音とともに、観察眼が強制解除された。


「っ……あァ、あああっ……ッ……」


脳がきしむほどの痛みに、思わず壁に手をつく。

耳の奥に、あの「ころして……」という声だけが、何度も何度も焼き付いて反響している。

……最高ランクの観察眼でこれか、それに……この肉塊からは何かヤバい気配を感じる……訳ありなんてレベルじゃねぇ……これはもう、触れちゃいけねぇ類のやつだろ。


「イザナ様、大丈夫?」

リュナが心配そうに覗き込む。


「……あぁ、すまん。ちょっと疲れただけだ」

自分でもわかるほど声が震えていたが、とりあえず誤魔化す。


「私も、こんなの見たことないわ……。そもそも最近は、こんな奥まで来ることもなかったし……クマノが盗賊団にいたなんてことすら知らなかったもの」


「そうクマね……でも、オイラがここに来たばかりの頃、グレインは『まだ形になってない』って言ってたクマ……」


「――そうか……」


額を押さえながら、小さく返す。

まだ耳の奥に、あの声がこびりついて離れねぇ……最悪だ。

だがもし、この予感が本当なら、グレインがただの盗賊で済むわけがねぇ。

 

「……全部終わったら、俺の生命魔法で……どうにかできるか、試すか」


自分でも気づかないくらい無意識に漏れた言葉だった。

……そうでもしなきゃ、あれを見捨てたら一生後悔する気がしたから。

 

 



    


牢屋区画を抜けると、視界が一気に開けた。

そこは、もはや洞窟という言葉では足りないほど広大な空間だった。

天井は見上げれば二十メートルはくだらない。

奥には盗んだであろう財宝が山のように積み上げられ、その隙間には白骨化した亡骸が無造作に転がっている。

そしてその中心で、酒瓶を片手に、二階建ての家みたいな巨体が腰を下ろしていた。


「おいおい……外の連中は何してんだ? で、クソチビ。お前らは何しに来たんだ?」

低く、地鳴りのような声が空間を震わせる。


身長は三メートルはある。

規格外……もはや人間という括りで見ていいのか怪しいほど鍛え上げられた肉体。

肩には汚れきったマント、身体に巻いた革鎧はぼろぼろ。

伸び放題の無精ひげに、脂と埃で固まった寝癖まみれの髪。

――手配書で見たまんまの顔……間違いなく、盗賊団のボス、グレインだ。

 

「あぁ? お前を倒しに来たんだよ」

俺が言い返すと、巨体の男は酒瓶を傾けながら、俺たち全員をゆっくり見回し、腹の底から笑い出した。


「グァ〜〜〜ハッハッハッハッ!! 倒しに来た? いい度胸じゃねぇか、小僧ォ! ギルドの差金か? それとも賞金欲しさの冒険者かぁ?」


「どっちでもねえよ。俺は、セシアの妹を取り返しにきただけだ」


その言葉に、グレインの笑いがピタリと止まった。

ゆっくり……本当にゆっくりと、鈍い速度で、口元だけがにちゃぁと吊り上がる。

そして同時に、その黒目がどろりと濁った泥水みたいに歪んだ。


「……あぁ。ギアライト家のガキのことか」


その言葉を耳にした途端、背筋に悪寒が走った。

――あぁ……俺は知ってる……殺し屋だった頃、こういう目をしたやつを、何人も見てきた。

権力を持った瞬間、自分は選ばれた側だと勘違いするクズや、弱者を玩具にしても罪悪感のひとかけらもなく、裏金で罪を消し、気に入らなきゃ人生ごと踏み潰して笑うような……前の世界にいくらでもいた、人間の殻をかぶったゴミを、俺は何人も殺してきた。

……結局、どの世界でも、ゲスは同じツラしてやがる。


「おい……ゲスが! 妹をどこにやったかって聞いてんだよッ!」

 

俺が問い詰めても、グレインは返事をしない。

ただ、にちゃにちゃといやらしく笑い続け、酒瓶の口をぐい、と乱暴に歯でくわえ、そのまま“ごぶごぶッ”と中身をこぼし飲んだ。


「――」


その沈黙を聞いた途端、セシアの膝がガクッと落ちた。

そう……沈黙だけで、悟ってしまったのだ。


――妹に何が起きたのか。

――この男が何をしたのか。

――もう取り返しがつかないのが全部。


セシアは視線を上げられない。

上げたら、涙が溢れてしまうのが、自分でも分かっていたからだ。

そんな彼女を、グレインは愉悦に染まった目で、ゆっくりと、まるで反応を楽しむように見下ろした。


「泣くなよ? なぁに、まだ死んじゃいねぇよ……セシア・ギアライト。俺が何で魔技師の家系を襲ったか……理解してるよなァ?」


「な、何を言って……そんなの知らないわ……」


「ギアライト家には伝わってんだるォ? むかし、道具や武器に人間の魂を加工する――霊魂鍛治師(ヘルスミス)の技術を真似てたって話がよォ!」


「そんなのデタラメよ……霊魂鍛治師(ヘルスミス)なんて伝説の職人、本にもほとんど残ってない! そんなのおとぎ話の存在じゃない……」


「伝説じゃねぇッ! いるんだよォォォォッ!! どこかにはッ!! 魂を抜き出して、加工する……化け物みてぇな職人がなぁぁぁ!! じゃなきゃ説明できねぇだろォ!? 何百年も前に死んだ英雄の意思を宿した武器、勝手に動き回る自律魔具の全部ッ……全部がッ……!! 誰かが魂をいじった証拠なんだよォォォォッ!! ククク……フハハハハハハハハッ!!!」

グレインは酒瓶を地面に叩きつけ、洞窟全体が揺れるほどの叫んだ。


俺はその言葉を聞きながら、横目でクマノを見る。

「……クマノ。今の、話ってどういう意味だ。霊魂鍛治師(ヘルスミス)って、普通にいるわけじゃねぇのか?」


霊魂鍛治師(ヘルスミス)なんて、オイラ、名前くらいしか知らないクマ……昔話とか……伝承の中に出てくる職人クマよ……? ほんとにいるなんて……誰も信じてないクマね……」


その言葉と同時に、俺は思わず息を呑んだ。

……なら、俺が大雪山(たいせつざん)で出会った霊魂鍛治師(ヘルスミス)のドワーフは何なんだ? あれは幻か? 夢か? 疲労で見間違えた……?


いや、俺は蒼嘴石(そうしせき)を渡したし、食料ももらった、会話だってした。――それに何より、俺の観察眼は、ブランデの言葉を「正」と判定していた。

だが、観察眼で分かるのはその場での真偽だけ、伝説だろうが現実だろうが、この世界の歴史や常識がどうなってるのかなんて、俺にはまだ分からない。

確かなのはブランデ自身の言葉が嘘じゃなかったという事実だけ。

そこから先は、濃霧の中を手探りするみたいに、考えれば考えるほど訳がわからなくなる。


――その思考を、グレインの怒号が踏み潰した。

「この世界には必ずいるんだよォ!! 魂を加工する狂った職人、霊魂鍛治師(ヘルスミス)がよォ!!! オレはそいつの技術が……欲しくて、欲しくてたまらねぇんだよォォォ!!」


「……おいグレイン、少し黙れよ。結局お前が欲しいのはギアライト家じゃなくて霊魂鍛治師(ヘルスミス)の技術だけなんだろ!! だったらまず、セシアの妹を返せ!! 話はそれから聞いてやる!!」


「はァ……? おい小僧、今の話……普通、鼻で笑うところだろ? 霊魂鍛治師(ヘルスミス)なんて……聞いた瞬間ふざけてんのかって笑うヤツばっかだったぜ? けどよォ……お前、笑わねぇんだな……? だったら本当の……真実の話を教えてやるよォ……」

巨腕を広げ、狂気に染まった声で叫ぶ。


「俺は試したんだよ!! 闇市から攫った魔導士、奴隷落ちした職人……魂を触れそうなヤツを片っ端から集めて調べた。そしたらよォ……!」

グレインは腹の底から笑い始めた。

「結局ひとりも 本 物 は い な か っ た!! ギアライト家に残ってた文献もよォ!! 全ッ部!! 失敗作ッ!! 魂の抽出どころか形にもならず……ぜぇんぶ!! 変異して魔物になっちまったァ!! グハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」


「なにが言いたいのよ……」

セシアの声は震えていた。

 

「察しが悪ィなぁ……全部、失敗したんだよ、全部な。魂を引きずり出そうとして、壊した。壊れた魂は肉を歪める。結果ぜぇんぶ!! アレになっちまったって話だよォ!!」


「まさか……」


「そうだ! 伝承にあったよなぁ? 霊魂鍛治師(ヘルスミス)は厄災を呼んだってよ……見ただろ? あの肉の塊。オレは思ったねぇ――『ああ、あれが昔の厄災ってやつか』 ってよォ!!」

そしてグレインは軽く顎をしゃくり、牢屋区画を指しながら言い放つ。

「でだ。お前の妹は、この辺にいるどれかの魔物だ。さぁ、好きに探してみろや、もう妹なんて呼べる代物じゃねぇけどなぁ……!!」


その一言で、セシアの目に――殺意が宿る。

「妹をッ……壊したあんたは……私が殺すッ!!」


セシアは思考も理性も吹き飛ばし、懐からナイフを抜くと、涙も声も振り捨ててグレインへ飛び出した。

小柄な身体が、ただ妹を想う本能だけで突進する。

握るナイフは震え、振りかぶった腕には力が入りすぎて真っ赤だった。

すると、グレインは、迫り来るセシアを前にして、まるで邪魔な虫でも払うかのように、巨大な手を横へひゅ、と無造作に振った。

 

――バキッ……ッ。


骨が砕ける嫌な音が響き、セシアの身体は小枝のように宙を舞った。

少女の小さな身体は岩床へ叩きつけられ、鈍い音を立てて数度跳ね、その鮮烈な赤髪を床に広げたまま俺の足元まで転がってきた。


「……ぁ……」


息とも声ともつかない、小さな声……悲鳴すら上げられない。

肩は砕けて潰れ、腕は不自然な方向へ折れ曲がり、肋骨は何本も折れている。

――たった一撃で、瀕死……もう今際の際だ。


「貴族のガキがよォ……オレに殴りかかるとか、正気じゃねぇな。今の一撃で死んじまったかぁ?」


セシアは震える指で俺のズボンを掴んだ。

涙と血でぐちゃぐちゃの顔で……それでも必死に言葉を絞り出す。


「……妹……返して……っ……お願い……返し……て……イザナ……リュナ……あいつを……殺して……よ……」


――俺の中で、静かに、確かに何かが切れた。

俺はその場でしゃがみ込み、そっとセシアの背に手を添える。


「……あぁ、任せろ」


そして、低く呟く。


「――<ハイヒール>」


緑の光が奔り、セシアの体が修復されていく。

光が収まる頃には、セシアの呼吸は浅くながらも安定していた。


「イザナ様……あいつは殺すべき相手だよ……。リュナが……リュナが殺すッ」


リュナの声は氷みたいに冷たいのに、縦に細くなった竜眼には、燃えるような怒りが滲んでいた。

たった一日――されどリュナにとっては、セシアと過ごしたその短い時間は大切な思い出であり、そして何より……リュナにとって初めての友達だったからだ。

だからこそ、許せなかった。


だが、俺は静かに首を横に振った。

「リュナ、すまん……殺すのは、俺がやる。これは――セシアからの殺しの依頼だから」


胸の奥で、呼吸の音すら消えていく感覚があった。

頭は異様なほど澄み渡り、世界が一段静かになる。

 

……あぁ、この感覚を俺は知っている。

 

――忘れたかった感情。

――封じたはずの衝動。

――二度と呼び起こしたくなかった、冷たい殺意。


封じていたはずのそれが、心の奥から静かに溶け出すように、音もなく蘇る。

……そこに怒号も憤りもない。

今、必要なのは一切の迷いを捨てた、殺し屋としての、純粋な殺意だけ。

俺はゆっくりとグレインを睨みつける。



……依頼は受けた。あとは――処理するだけだ。

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