第2話 『お皿洗いの魔法』
その後、俺はリカの家で飯をご馳走になった。
シチュー。……普通にシチュー。現実世界と全く同じやつ。味も変わらん。
……異世界らしさは無いが……まぁ、普通にうまい。
夢中でスプーンを動かしている横で、リカが色々語ってくれた。
どうやらリカの魔法適性は風らしい。二十年間ひたすら風魔法を極めてきたとかで……。
桶の水に手をかざせば、風が渦を巻いて水面を回転させ、食器の汚れをきれいに洗い流す。仕上げは風圧で乾燥。
さらに風を圧縮して摩擦熱を起こせば、ライター代わりになる。
やってることは、空気をギュッと詰めて温度を上げるだけらしい。理屈はディーゼルエンジンと同じだという。
さらに夏は涼風、冬は暖炉の熱を家中に循環……とにかく生活便利機能盛り沢山だ。
……いや、風魔法便利すぎんだろ!
ただの生活魔法マスターというよりもはや家電じゃん。
生前「お皿洗いの魔法が欲しい」とか言ってたけど……なんか、色んな意味で叶っちまってるよな。
そういや、リカってやつは、昔からちょっと変わってた。
あいつは「殺すため」に組織で作られた人間だったんだ。最初の頃は感情なんてなくて、ほんと機械みたいに冷たい顔してた。まるで殺戮マシーンって感じだな。
頭の出来も別格でさ。俺から見ても天才って呼んで差し支えなかった。
八歳のガキのくせに、俺と同じ第509期に配属されてきて……で、なんだかんだ勝手に懐いてきた。
俺は組織の中でもトップクラスの暗殺者だったけど……あいつは知識で俺を補い、俺は技術であいつを守る。そんな感じで、死にかける現場も二人で何度もくぐり抜けてきたんだ。
……ん? ちょっと待て。リカが配属された時は八歳だったよな。そんで、俺らが死んだのが七年後だから……リカは当時十五歳で、俺が十九歳……ってことは……
「おい、リカ。お前、今いくつなんだ?」
風魔法で食器の水滴を吹き飛ばしていたリカが、ぴたりと動きを止めて目を丸くする。
次の瞬間、にぱっと弾けるような笑顔を見せた。
「えへへ……実はもう、結婚できる年齢なんですよ? 実はエルフって十代後半くらいから見た目あんまり変わらなくて……」
「はぁ!? じゃあもう俺は先輩じゃなくて後輩扱いだろ!」
「や・で・すっ! 先輩は一生先輩なんですから!」
「はぁ……まあわかったよ」
突っ込むのももう面倒になって、とりあえず納得することにした。
……けど、それにしても。
可愛すぎだろ!
転生前から女優みたいな顔立ちだったが、エルフに転生したリカはそれ以上だった。
さらさらのクリーム色の髪に、透き通った青い瞳。頬を赤くして笑う仕草なんて、見境なく人を殺していた頃の冷たい顔からは想像もできない。
まあ、それよりも今は気になることがある。
いや、やらなければならない。
そう! 俺の生命魔法を実際に使ってみるのだ!
そう意気込みつつ、手元の「生命魔導書」をめくる。
中身は生命に関わる魔法の基本原理から、人体の構造、魔力循環の理、治癒の法則まで書いていた。……要するに、凡人が魔法を扱うための教科書ってとこか。
理屈を理解し、手順を踏めば、魔法を発動できる……らしい。
椅子に深くもたれて真面目に読んでいると、隣からリカが覗き込んで来た。
「先輩も魔導書、もらったんですかぁ?」
「まあな。……で、お前はどこにやったんだ?」
「私は捨てましたよ?」
「は?」
リカはあっけらかんと笑う。
「読む必要ないですって。だって私たちの元の世界じゃ、血がどう巡るとか病がどう広がるかも、ぜーんぶ科学で解き明かされてるじゃないですか。あの本なんて、小学生の理科ドリルみたいなものですよ?」
「……な、なるほどな」
俺は頷く。確かに書いてある内容を読み解けば筋は通っている。
治癒魔法で止血する――要は、血管が収縮して血が止まるって仕組みのことだ。
魔力で毒を薄める――つまりは、分子同士がくっついて中和されるのと同じ理屈。
「殺し屋やってた時に毒の勉強は嫌になるほどしたし、人体の仕組みも一通りは頭に入ってる。……ってことは、わざわざ魔導書を読み込む必要なんてねぇってわけか?」
「ですです! 魔法の原理を現代知識に置き換えれば、もっと効率的に応用できますからね!」
リカが得意げに胸を張る。
……こいつ、エルフに転生しても天才オタク気質は全然変わってねぇな。
「あー。そういや、ドジっ子天使も“この世界は前の世界と仕組みはほとんど変わらない”って言ってたっけな。……とりあえず明日、魔法の勉強でも教えてくれよ。もう腹いっぱいで寝ちまいそうだ」
「天使?」
リカが首を傾げる。
「いや、いたろ? 転生する前に会うはずの天使」
……ん? まさかコイツ、転生するとき天使に会ってねぇのか? いや、そんなはず――。
「天使……あれはそういうものだったのかなぁ? だって私が会ったのは、顔がぱっくり裂けたモンスターみたいなやつでしたよ? あ、でも天使の輪はあったかも?」
……いや、それ天使じゃねぇだろ。
けど、神界が色んな世界の法則でごちゃごちゃしてるなら、そういうパターンの天使がいても不思議じゃねぇか。
「まあいいや。俺はこの椅子で寝るから、明日は頼むぞ。リカのチートスキルってやつも見てみたいしな」
きょとんとした顔をしたリカだったが、すぐにぱっと笑顔になった。
「わかりました! 今日はお話できて楽しかったです! また明日もお話ししましょうね! おやすみなさい!」
「……ああ。おやすみ」
俺の言葉に応えるように、ランタンの火がぱちんと弾け、部屋は静かな闇に沈む。
殺しの技術しか知らなかった俺が、今度は生命魔法を手にする。
どんな未来になるかはわからないが、少なくとも、明日はリカに魔法の基礎を叩き込んでもらうところから始めよう。




