第25話 『プリテンダー』
俺が小屋へ戻る頃には、また雨が降り始めていた。
それにしても、ブランデから食料を譲ってもらえたのは、本当に運がよかった。
岩蜜酒のほかに、スモークされたハム、岩塩クラッカー、マナマメのローストまで持たせてくれた。
蒼嘴石一個でこれだけ貰えたうえに、金貨四枚と銀貨十枚もお釣りが来た。
ブランデいわく、「ギルドや質屋に持ってけば、もっと高くなるんだぁよ」って話だったが……
まぁ、情報と食料、それにこの地酒の味を考えりゃ、俺としては十分すぎる取引だ。
「イザナ様! この豆、美味しい!」
リュナが瓶詰めのマナマメを嬉しそうに頬張っている。
「朝から食い過ぎだぞ、次の日のことも考えて食えよ〜」
無くなったら、また俺が現地調達しなきゃなんねぇんだが……ま、いいか。
「先輩、ありがとうございます。それにしても、ドワーフの少女ですか……? 地下の街に暮らす種族が、なぜこんな場所に?」
「さあな。理由くらい聞いておけばよかったかもな。……あ、そうだ。リカ、ブルームーンって知ってるか?」
「ブルームーンの伝承なら、聞いたことがあります。古の時代、人と魔族が果てしなく争い続けた頃、突如として空が蒼白に染まり、月が青く光り出したそうです。その瞬間、戦場にいた者たちの争いは止まり、怒りも憎しみも霧のように消え去った。倒れた兵の傷は癒え、敵も味方も区別なく涙を流し、その夜だけは誰もが争いをやめた……。以来、ブルームーンの夜には争いを起こしてはならないと伝えられ、いくつもの王国がその日だけ戦を止めたそうです」
「……ふーん」
……やっぱり、ブランデの言ってた世界の自己修復現象っての、本当っぽいな。
街に着いたら、図書館か資料館でも寄って、他にも超常現象がないか調べてみるか。
「イザナさまぁぁ」
「ん? どうした?」
「ひまぁぁぁぁぁ!!」
リュナが床の上で手足をばたつかせながら転がっている。
「……暇ねぇ」
雨が止むまで外に出るわけにはいかないが、小屋の中でやることも特にない。
……まぁ、こいつもまだ子どもみたいなもんだ。外で遊びたい盛りなんだろうな。
「……あ、そうだ。ここからそう遠くない場所に温泉があったぞ。リカと一緒に行ってこいよ」
……ま、俺はこいつとは絶対に湯に入らない。スライム事件の時みたいに、また変なことになったら困るからな。
「温泉!! リカお姉ちゃん、行こおおおお!!」
リュナが勢いよく跳ね起きて、リカに抱きつく。
「えっ、あっ、ちょ、ちょっと待ってください! な、なんで私までっ!?」
「雨だから気をつけろよー」
リカの悲鳴とリュナの笑い声が、小屋の外に消えていった。
……こうして退屈してるよりはマシだろ。
とりあえず、この雨が止むまでは、この小屋に留まるしかなさそうだ。
◆
三日後の朝。
「イザナ様、雨が止んだよぉ!」
小屋の外からリュナの声がした。
外に出ると、ようやく空が晴れ、雲の切れ間から光が差し込んでいた。
俺たちは荷物をまとめ、すぐに出発の準備を整える。
ぬかるんだ地面を踏みしめながら湿原を抜けると、次の山の麓にたどり着いた。
標高は二千メートルほど。傾斜も風も穏やかだ。
……この調子なら、半日もあれば山頂まで行けそうだな。
昼過ぎ、俺たちは予定通り山頂に辿り着いた。
そこは一面の花畑で、淡い黄や白の花が風に揺れ、甘い蜜の香りが漂っていた。
「イザナ様ー! なんか毒吐く植物いるよー!」
リュナが少し離れた場所で、奇妙な植物を指差している。
「おいおい……ウツボカズラみたいな見た目だな。リュナ、絶対食うなよ?」
「う、うん? リュナは毒食べても平気だけどー……でもさっきちょっと匂い嗅いだら、なんか苦くて酸っぱくて、ぴりぴりする感じだったー、たぶんお腹壊す味だよ。だから食べなーい」
「そうかいそうかい……って、平気なのかよ」
「先輩〜、あんまりのんびりしてると日が暮れちゃいますよー」
後ろでリカが苦笑しながら声をかける。
「おう、わかってるって……でも、ほら見ろよ。すげぇ景色だろ」
山頂からは、水平線のように広がる大地が見渡せた。
街も建物も見えないが、無限に続く平原の光景は圧巻だった。
「夜になる前には、この山、下れそうですね」
「ああ。これを越えたら、もう登りは終わりだと思うと気が楽になるな」
さて……そろそろ、先を急ぐか。
◆
リカの風魔法で追い風を作り、俺たちは山の斜面を一気に駆け下りた。
結果、夕方にはもう山を下り切ってしまった。
「……とりあえず、この木陰あたりで休むとするか」
地面に荷を下ろし、木の根元に腰を下ろす。
ポケットから取り出したライターをカチリと鳴らし、枝と枯れ葉の山に火をつけた。
乾いた音を立てながら、炎がじわりと広がる。
リカはその炎の正面に座り、膝を抱えてぼーっと火を見つめていた。
……そりゃそうだ。あれだけ長時間、風魔法を維持してたんだ。疲れて当然だろう。
しかも、あの精度……風の流れを細かく調整しながら、俺たち全員を包み込むように追い風を作る……普通の魔法使いじゃとても真似できねぇ芸当だろう。
「リカ……お前は先に休んでていい。俺とリュナで交代で見張りするから」
声をかけたが、返事はない。
火の明かりに照らされたリカの瞼は、すでに閉じていた。
「もう寝ちゃったよ」
リュナが小さく笑って、薪をつついた。
火の粉がぱっと舞い上がり、夜の空気に溶けた。
「でも、お姉ちゃんの風魔法はすごいねぇ! ギルドに登録したら、すぐA級になれそうだぁ」
「……リュナ、そういえばギルドってなんなんだ? なんか登録したらいいことあるのか?」
俺は前から気になっていたことを、ついでに聞いてみた。
魔物の討伐でも、素材の取引でも、どこかで必ずギルドや冒険者の話が出てくる。
別にスローライフを送る上では関係ないのかもしれないが……異世界転生した以上、知っておいて損はない。
それに、リュナにはリュミナの記憶が一部残っている。
リュミナは元S級冒険者だったって話だし、情報源としてはこれ以上ないほど信頼できる。
「ん? うん、ちょっと古い情報だけどね。えっとね、まずは経済面から説明するねー」
リュナは指を一本立てて、まるで授業でも始めるように言った。
「ギルドは討伐報酬とか素材の取引所みたいなものでね。魔物の素材はギルドを通すことで、合法的に売買できるんだよ。もちろん、許可を取れば骨董商や鍛冶屋でも直接取引できるけど、ギルド経由だと査定が早いし、換金率も安定してるよ」
「ふむ……商業ギルドもやってくれてるのか?」
「そう〜。あとね、ギルド登録してると換算レートがちょっと優遇されるし、宿泊とか食事も割引になるんだって〜。ギルド提携の宿や食堂なら安くなるところもあるよ」
「福利厚生もしっかりしてんな……公務員かよ……」
「それとね、装備の修理費もランクで割引になるんだ。Bランク以上なら専属鍛冶師を紹介してもらえるみたい〜。 あと……Cランクになると、ギルド本部から護衛依頼とか来るらしいよ」
「ほう……なるほどな。意外とちゃんとしたシステムなんだな」
「でしょ〜? あとね、ギルドカードは各国共通だから、身分証明書にもなるんだよ〜。それと、冒険者口座っていう、ギルドが運営する銀行もあるの。口座を作れば、どの国の支部でも引き出しできて、高ランクになると、利子とか特別融資も受けられるんだよ」
「マジか……」
……つまり、現金を持ち歩かずに旅ができるってことか。
しかもランクが上がれば利子まで付く……異世界にしては、ずいぶん金融システムが発達してるな。
元本に加えて利息にも利息がつく複利の仕組みは現代社会でも資産を増やす最強の理論だ。
長期的に見れば、雪だるま式に資産を膨らませることができる。
……だが、こんな異世界でその概念を思いついた奴は、もしかしたらアインシュタイン並の天才じゃねぇか?
「あとね! 職印石ってのもあるんだよ! あれ触るの楽しみだねぇ……!」
「職印石? なんだそれ」
「登録者の魔力資質とか、職業適性を判定するための石だよ! 触れると、その人の適性を読み取って戦士系、魔法系、生産系、特殊職みたいに分類してくれるよ」
「俺は多分、生命魔法使いって判定されるだろうな。けど、お前みたいなスライムは……登録できるのか?」
俺は腕を組み、少し考え込む。
「うーん……スライムのままじゃ多分無理かなぁ。でも、リュミナさんの形なら、ドラゴンナイトで登録できるかも〜」
……なるほどな、ちょっと試しに観察眼にかけてみるか。
名前:リュナ
種族:竜族(偽)
発言:正
職業:ドラゴンナイト(偽)
……偽り? 擬態しているからか……?
「リュナ。ちょっとスライムの姿になってみてくれ」
「え、うん」
リュナの体がゆらりと揺れ、白の液体へと変化する。
名前:リュナ
種族:変性スライム
発言:正
職業:擬態者
……なるほど。こっちが本当の姿ってわけか。
てか擬態者ってなんだよ。
「お前、なんか……厨二病みたいな職業なんだな」
「ちゅ、ちゅうにびょうってなに!?」
「まあ、多分人の姿なら問題ねぇけど、街中でスライムになるなよ?」
「わかった! ……たぶん!」
……ほんとにわかってんのか、こいつ。
ま、いい。下手に深く考えても仕方ねぇ……。とりあえず今は街に着く前に、色々知っておく方が先だな。
「よし、それじゃもう少しギルドの話を聞かせてくれ」
「いいよ! じゃあ次はギルドの戦闘技術と昇格試験について話すね」
……結局その夜は、遅くまでギルドの仕組みを語るリュナの話を、俺は黙って聞いていた。




