第24話 『ドワーフの少女』
一時間ほど小屋の近くを歩き回り、わずかだが食えそうなものを見つけた。
ニンジンに似た根菜、柔らかい薬草、そしてハスカップのような果実だ。
観察眼の評価はどれも毒なし、食用可とのこと。
それらを小屋の前に置き、もう少し範囲を広げて探索してみる。
すると、木の枝の上で、キジに似た魔物が止まっていた。
迷わず、指先から<ブラッドショット>を放ち、撃ち落とす。
……よし、仕留めた。これで明日の食料問題は解決だな。
血抜きのため、近くの川へ運ぼうと歩き出したところで、鼻を突くような金属臭がした。
……血の匂いか? いや、違う……このわずかに混じる硫黄の臭は……。
「……温泉、っぽいよな」
匂い頼りに進むと、前方に赤茶色の岩肌が見えてきた。
岩盤の割れ目からは、いくつもの泉が湧き出している。
「……温泉群か……? 自然発生にしちゃ種類が豊富すぎるだろ。でも、人工の痕跡はねぇな……ったく、職人さんより自然のほうがよっぽど几帳面なんじゃねぇか」
思わず独り言が漏れた。
白濁の湯、赤茶の鉄泉、そして青く澄んだ泉、どうやらこの山々は、いくつもの火山帯が重なっているらしく、その影響で温泉の種類も豊富なのだろう。
……ザイルが言ってた神々の温泉ってのも、たぶんこの場所のことだろうな。
俺は青い泉のそばにしゃがみ込み、湯に触れてみた。
「ぬるいな……」
だが、熱と同時に魔力の流れが活性化していくのを感じる。
「……なるほど、魔力の温泉ってやつか! すげぇ……こんなの、魔法使いが見つけたら根を張って住み着くぞ!」
せっかくの魔力泉だ。
雨の中、一人で食材探して歩き回ったんだ。少しくらい休んでも、誰も文句は言わねぇだろ。
……いや、むしろこれは回復行動の一環だ! ヒーラーとして当然の自己管理ってやつだ。
周囲に気配がないことを確かめ、月影装備と服を脱ぎ捨てて、木陰にまとめて隠す。
……ま、こんな山奥に人が居るわけないか……さて、入るとしよう。
息を吐き、俺はそのまま魔力泉に身を沈めた。
「かぁぁぁ……生き返るぜ〜……!」
触れた瞬間こそぬるかったが、底の方はしっかり温かい。
湯が皮膚を包み、下山の疲労で張り詰めていた筋肉が、ゆっくりとほぐれていく。
……温泉なんて、いったい何年ぶりだろう。
転生してからはもちろん初めてだが、前世では激務続きで、湯に浸かる余裕なんてなかった。
……こんないい湯なら、リカとリュナにも教えてやりたいな。
ふと、水面を覗き込むと、自分の顔が映っていた。
黒髪に切れ長の目は前と変わらない。
だが、そこに映る表情は、もう殺し屋時代の顔じゃなかった。
……表情も、肌のツヤまで良くなってるじゃねぇか……やっぱり殺しはストレスだったんだな……。仕事してる時は気づかなかったけど、知らず知らずに身も心も削ってたんだろうな。
目を閉じ、ゆっくりと体の力を抜く。
……もし、あのまま殺しの仕事を辞めてハワイで暮らしてたら、どうなってたんだろうな。
組織の情報を握ってた俺は、きっと次のターゲットにされて、刺客を返り討ちにしながら、息を潜めて生きる日々……そんな未来もあったのかもしれない。
……そう思うと、この転生も、案外悪くなかったのかもしれない。
息を吐きながら、そっと目を開けた。
……いつの間にか雨が止み、辺りがやけに明るい。
朝か? ……いや、違う。これは日の光じゃない。
俺は顔を上げ、空を見上げると――その光景に息を呑んだ。
「なんだ……これ……月が、青く光ってる……?」
思わず手を伸ばす。
夜空に浮かぶ月が、青い光を放っていたのだ。
「ブルームーンだぁよ。この辺りを彷徨ってた霊魂や精霊が、やっと帰る時が来たんだぁよ。大戦や魔災のあとで魔力が乱れた土地は……稀に、こうなるんだよ」
不意に、隣から落ち着いた少女の声がした。
「へぇ〜そうなのか……って――」
反射的に横を向く。
「……誰だ、お前……」
そこに、いつの間にか少女がいた。
温泉に肩まで浸かり、のんびりと湯気をまとっている。
身長は一メートルにも満たず、褐色の肌に金髪金眼。
……見た目だけなら、ただのロリギャルだ。
だが、何より目を引いたのは、髪の間から覗く大きく垂れた耳と、額に埋め込まれた赤い宝石だった。
……この種族、どこかで見た気がする……。《種族誌・第三改訂版》に載ってたドワーフ族、か?
いや、それにしては気配が無さすぎる……まるで、最初からそこにいたみたいに自然、だ。水音も波紋すらも立っていない。
「にゃっははっ! あたしは霊魂鍛治師のドワーフだよ? 珍しいかい? あたしから見たら、この山に人間がいる方がずーっと珍しいけどね」
……敵意はなさそうだ。
それなら、こちらも名乗っておくか。
「そうか。俺はイザナだ。よろしくな。……それで、この月は何なんだ? お前、そういうの詳しそうだが」
少女はふっと笑い、空を見上げた。
青い月光が彼女の頬を照らし、埋め込まれた宝石がかすかに反射する。
「そうかぁ、人間の世界じゃ、これは神話の話なんだもんね。ブルームーンってのはね、世界の自己修復現象みたいなのだよ」
「自己修復……?」
「そ。世界そのものが、耐えられないほど疲れきった時にだけ起きる防衛反応。荒れた地脈を鎮めて、生命をもう一度巡らせるためにね。あの光は、癒しでもあり、浄化でもあり、再生の力でもあるんだよ。そして、その光を浴びた生き物は、みんな少しずつ……魔力が前より活発になるんだぁよ」
「……ふむ。世界の防衛反応、ね」
俺は湯に沈みながら、ぼんやりと月を見上げる。
現代科学でも、月光には自律神経を整える効果があると言われている。
けど、こっちは、生命や魔力そのものを癒やす月。
……理屈じゃ説明できねぇが、俺も体の芯から疲労が抜けていくのがわかる。
難しい顔をしていた俺を見て、少女は笑った。
「にゃっはっはっ! 暴牛王と巨王が暴れすぎて、大地が疲れちまったのかもねぇ。……おやおや、きみぃ……納得いかない顔してるねぇ? でも、その効果はもう体で感じてるはずなんだよ?」
「いや、感じてるよ。呼吸が深くなるっていうか……魔力の流れが整ってる。まるで、俺の生命魔法と月の光が同調してるみたいだ」
「ほぉ〜、生命魔法……ヒーラーかい? ブルームーンの光ってのはね、リジェネ系の再生魔法と同じ性質を持ってるんだよ。もっとも、リジェネをまともに扱えるのは精霊か、せいぜいA級のヒーラーくらいだけどねぇ」
少女は、興味深そうにこちらを見つめる。
「つまり、この光は、世界が使う超再生魔法ってことか……で、リジェネって……そんなに難しい魔法なのか?」
「そりゃあそうさ。ヒールなんかとは訳が違うんだぁよ。壊れたもんを治すんじゃなくて、作り直すんだ。人の身でそんな真似、そうそうできるもんじゃないよ」
「……作り直す、ね」
俺はその言葉を反芻しながら、ふっと左腕に視線を落とす。
リジェネ、ね……。
「じゃあよ? 生命魔法使いは、体が再生し続けるって知ってるか?」
「はにゃ? そんな話、聞いたことないんだよ。体が再生し続けるなんて、魔族か魔神の類いじゃないと無理だと思うけどね」
……魔族や魔神、ね。
だが、天使には人間として転生させてもらってるはず……やはりこれは、生命魔法の副産物みたいなもんなんだろう。
「……そうか、ありがとな。じゃあ、俺はもう上がるぜ……いつまた雨が降るかわからんしな」
湯から上がろうとした瞬間、足首を掴まれる感覚があった。
反射的に足元へ視線を落とすと、泥の手が俺の右足をがっちりと握りしめていた。
「……これは、土魔法か?」
「そうだよ。いいじゃないかぁ、あたしもね、ずっと地下の街にこもりっきりで……こうして人間と話すのは、もう何年振りなんだよ」
……はぁ、ほんと、どうして俺は毎回こうも人外に好かれるんだか。エルフにスライム、悪魔にドワーフ……異世界に来てから、まともな人間と会話してねぇ。
……リカは……まあ、元人間だけどさ。
「はぁ……仕方ねぇな……少しだけだぞ? 温泉も入りすぎりゃのぼせる。……あ、そうだ。ついでに聞くが、食いもんがあるなら少し分けてくれねぇか?」
「取引かい? お金はあるんだよ?」
「金はねぇが……金になりそうな鉱石や素材ならちょっとある」
「にゃっはっはっ! よく知ってるじゃない、ドワーフが鉱石と素材にゃ目がないんだよ! どれどれ……見せてほしいんだよ!」
「はいはい、ちょっと待ってな」
すると、足を掴んでいた泥の手がすっと消えた。
俺は木陰に戻り、装備を漁って蒼嘴石を取り出す。
「きみぃ、体の傷すごいねぇ……切り傷に、焼け焦げ、あとこの独特な損傷……どんな魔法や攻撃を受けたらそうなるんだよ?」
……独特な損傷、銃槍のことか。
まぁいい、余計なことは言わないでおこう。
「ほらよ。これでいいか?」
「……んん? まさか、鉱石って蒼嘴石のことだったのかい!? 悪いけど手持ちはそんなにないんだぁよ。ギルドや質屋に出せば高く売れるだろうに……本当にこれでいいのかい?」
「ああ、構わねぇよ。金で腹は膨れねぇしな」
「ほぉ〜、気前がいいんだよ! 気に入った! 食料はたんまりあるし、ここの近くには地下拠点の村もあるんだよ! にゃっはっはっ、それと酒は好きかい? 地酒もおまけしてやるんだよ!」
少女は嬉しそうに笑い、鼻を鳴らした。
「……アホな仲間に俺の酒を勝手に飲まれたからな。ありがたくもらっとく」
「にゃははっ! 君にあげるのは、あたしらドワーフ族が誇る岩蜜酒だ。鉱脈の奥で取れる蜜を発酵させたんだぁよ。辛くて、喉が焼けるけど、身体は芯からぽっかぽかになるんだ!」
「……おっかねぇ酒だな」
思わず笑いが漏れる。
「にゃは! そうだ、職と種族だけ言って、名前を言ってなかった! あたしは霊魂鍛治師のブランデっていうんだよ! もし、君が生きてるうちに地下のドワーフ王国に来たなら、その装備をあたしが責任もって鍛え直してやるんだよ! ……っと、こりゃ月影かにゃ!? 珍しい装備だね、ちょっと見せるんだよ!」
「いいけど、もう一回、湯に入りたい。全裸でしゃべってると冷える」
「にゃっはははっ! そりゃそうだよ! 装備は湯上がりでもいいさ。どれ、お酒でも一杯やるんだぁよ!」
そう言うとブランデは、どこから取り出したのか木製のジョッキを掲げた。
中には金色に光る液体がなみなみと注がれている。
……お前、いつの間に持ってきたんだよ。
まあ、いいか。せっかくだ。一杯、頂くとするか。




