第17話 『漆黒の装備』
そして翌朝。
リカの家から南へ五キロほどの森の奥に、エルフの村があった。
小さな村だが、湧き水のせせらぎと森の香りが心地よい。
村の中央では子どもたちが駆け回り、花畑のそばでは少女たちが歌を口ずさんでいる。
村の端にあるパン屋がリカの実家らしい。
俺はセラに別れを告げ、リカは親に事情を話すために一度家へ戻るという。
そのあいだ、俺は人気のない木陰に腰を下ろした。
……人間に差別された種族だ。無理に顔を出せば、余計な不安を与えるだろうからな……持ってきた酒を渡して挨拶したらさっさと帰るか。
数分後、玄関の戸が勢いよく開き、リカが飛び出してきた。息を弾ませながら俺の腕を掴み、そのまま力強く引っ張る。
「先輩、来てください!」
「おっ、おう……」
そのまま家の中に押し込まれていた。
すると奥から二人の姿が現れた。
穏やかな雰囲気の女性と、金髪で背の高い男性……これがリカの両親だ。
樽ごと持ってきた酒を渡すと、父親は嬉しそうにそれを抱え、奥の部屋へ運んでいった。
母親はセラを助けた礼をしたいと言ったので、俺は大雪山を越える方法と、この森の外の世界について教えてほしいと頼んだ。
「大雪ってね、いくつもの山のことをまとめてそう呼ぶの。残雪とか、岩山とか、火山帯とか……危ない地形が重なってて、この山々がエルフの里と人間の国を分けてるの」
「なるほどな。つまり、その山が自然の要塞ってわけか……ってことは、このおかげで数百年のあいだ、人間との交流も途絶えた……ってわけか」
母親は静かに頷いた。
リカより少し年上に見えるが、エルフの寿命を考えれば百年以上は生きているのだろう。
「たまにこの山を越えてくる人もいるけど、ほんとに少ないよ。数十年に一人、旅人が通るくらい。……それでも行くの?」
「あぁ、俺はこの世界を見てみたいんだ。……まあ、もし駄目だったら、また戻ってくるよ」
「ふふ、それもいいかもね。リカと一緒にこの里でのんびり暮らすのも、私は悪くないと思うけど……まあ、みんながどう思うかはわからないけどね」
「ちょ、ちょっとお母さんっ! そういうこと言わないで!」
リカが顔を真っ赤にして、母の袖を引っ張る。
旅支度をしていたのか、白を基調としたロングチュニックに淡い緑のケープを羽織り、腰には細い銀のベルトが巻かれていた。
肩がわずかに開いたその服は、華奢な体つきを引き立てながらも、上品な印象を崩さない。
……前の草花のドレスも好きだったけど、これはこれで似合うな。
思わず口に出しそうになったが、喉の奥で飲み込んだ。
代わりに、胸に小さなもやもやが残る。
……このまま、ここに居てもいいんじゃないか。
久しく忘れていた日常がこの小さな家にはにあった。
……まるで、俺がホームレスになる前の……あの頃みたいに。
ほんの一瞬、このままここで生きていくのも悪くないかもしれないと、そんな考えが頭をかすめた。
けれど、その心地よさを振り払うように、俺は深く息を吐いた。
大雪山。幾つもの山が連なる大山脈。
夏であっても吹き荒ぶ風は冷たく、少しでも気を抜けば低体温症で命を落とす。
リカもその危険を理解している、それでも俺と冒険に行くことをを選んでくれた。
「神々の遊ぶ山の話をしてるのか? なら、東に迂回してトムラウシ山を登るといい。あそこなら、今の時期で気温は十八度ほど。無人の避難小屋がいくつかあって、小屋には魔除けの加護もある。それに神々の温泉ってやつもあるからな。休むにはちょうどいい……あ、それと、これを持っていきなさい」
リカの父親が家の奥から服を抱えて戻ってきた。
差し出されたのは、黒のロングコートと、よく磨かれたブーツ。
「イザナ君、これは酒のお礼と……娘を助けてくれた礼だ。
俺のおさがりだが、何年経っても劣化しない特殊素材でできていてな、昔……俺がA級冒険者をやっていた頃の装備なんだ」
「……A級冒険者?」
その肩書きは、異世界の知識が乏しい俺でもなんとなく察せた。
……少なくとも今の俺じゃ足元にも及ばねぇ実力者だろう。まさかこんな辺境にA級冒険者がいたとはな。
「もう何百年も前の話さ、だが、おかげで今でもこうしてパンの焼き窯くらいは動かせる腕が残ってるってわけだ! はっはっは!」
俺はコートを受け取り、指先で生地を撫でた。
柔らかいのに、どこか金属のような質感だ……とりあえず観察で見てみるか。
対象:月影のコート
状態:神品
効果:状態異常無効。毒・麻痺・睡眠・魅了など、精神系の異常を無効化。
魔力消費率軽減。繊維自体が魔力を蓄積、魔法発動時には補助出力を行う。
索敵耐性。熱感知・気配感知・魔力波などを軽減。
対象:月影のブーツ
状態:神品
効果:足裏に魔力反発膜を展開し、一時的に空中移動を可能にする。
夜間特効。月光下では反射率が低下し、行動・移動速度が上昇。
……な、なんだこれ。
どう考えても普通の村人が持ってる装備じゃねぇわな、さすがA級……こんなん貴族でも滅多にお目にかかれないような超高級装備なんじゃねえか?
「……いいのか? ありがたいが……こんな品、なかなかないだろ」
「いいんだ! 俺はもうこの村で一生を過ごすって決めてる。お前がじいさんになっても、俺はまだピンピンしてるからその時まで預かってくれりゃ、それでいい。それと……ピエイの町に行くんだったら、まだ店が残ってるかはわからねぇが、整理師のメイカに会ってみろ。俺の名前を出せば話は通る。俺はザイル、元A級の魔法戦士のエルフだって言えば分かるはずだ」
「整理師?」
「道具を整理する職人だ。壊れた魔具でも、メイカなら再利用できるようにしてくれる。だが、あの女の一番のウリはマジックバッグって言って、小さなポーチでも山ほど詰め込めるようにしてくれるんだ。冒険者にとっちゃ必須と言っていい代物さ。まぁ、武器や防具の鍛冶屋は別だが、メイカの紹介なら腕の立つ職人も何人か紹介してもらえるはずだ」
……ここにきてゲームっぽいアイテムも来たな。
「……なるほど、助かる。何から何まで恩に着るよ」
「いいってことよ! セラを助けてくれた礼だ。それに、リカの婿になってくれるんだからな! 早く孫が見てぇぜ!」
「……は?」
なるほどな、エルフは性欲が薄い種族って聞いたことがあるが……どうやら個体差があるらしい。
「……まぁ、いいや。今度、酒をたっぷり持ってきてやるからな」
「おう、楽しみにしてるぜ! 今度は一緒に飲もうじゃねぇか!」
ザイルの笑い声が、家の中に心地よく響いた。
俺はその後、ザイルから少しだけこの世界の話を聞かせてもらってから、この村をあとにした。
……さぁ、次はトムラウシ山だな。




