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第10話 『竜の亡霊』

ちょうど日が暮れてきた。

酒を飲むには少し早ぇが、そんなことどうでもいい。


「おっと……ここか。まったく、土に埋もれてるから分かりにくいんだよな」


俺は半ば土に沈んだ墓の前で静かに腰を下ろした。

……思えば、予定外で異世界送りになったうえ、転生した場所がよりによって墓の上とはな……。

 

「……遅くなってすまねぇな……約束の酒だ。ちょっと出来は悪いが、飲んでくれ」


両手にコップを持ち、その一つを墓の前にそっと置く。


「今日は、一緒に飲もうぜ。……なぁ、リュミナさん。なんでこんな、森の真ん中で一人なんだ? 寂しくねぇのか?」


転生直後に俺が綺麗にしたとはいえ、もうツルが絡みつき始めている。

……こんな場所じゃ、もう長いこと誰も来ていないんだろう。

返事は……返ってくるわけない、それでもこうして話しかけずにはいられなかった。


「リュミナさんも今日は飲めよ。どうせ墓参りされんのも、数十年ぶりとかだろ? ……知らんけど」


そう言って、俺は墓の前に置いたコップを手に取りそのまま中身を墓にぶっかけた。

 

「俺のいた組織じゃな……死んだ仲間を弔うときは、馬鹿みてぇに酒をかけたんだ。けど、戦場から仏さんが戻ってくるなんてのは、そうそうある話じゃねぇ」


ひとりごとのように呟いて、苦く笑う。

この世界の宗教がどうだとか、作法がどうだとかは知らない。

でも、こういうのは結局気持ちが大事なんだ。


「じゃあさ、俺の前の世界の話となんか知らんけど転生した話でも聞いてくれよ」


俺はぽつりぽつりと、自分のことを話し始めた。

親に捨てられたこと、殺し屋として生きてきたこと。

リカのことや、ドジっ子天使のせいで予定外で転生させられた上に、勝手にスキルまで決められたこと。


……まぁ、こんな愚痴、リカの前じゃ言えねぇよな。かっこ悪いって思われたくねぇし。

『男はな、辛くても黙って耐え忍ぶもんなんだ』……確か、山本五十六の言葉だったか……ま、今日はそんなのどうでもいいけどな。


気づけば、言葉が止まらなくなっていた。

この世界に来て、魔法を使えるようになったこと、リカのうまい飯を食って、ビールまで仕込んだこと。

そんなくだらない話を、まるで生きてる相手に話すみたいに、延々と墓に向かって喋っていた。


そしてどれくらい話しただろうか。

気づけば、空はすっかり深い群青に染まっていた。


「じゃあ……酔いも回ってきたしな。こんなとこで寝て、魔物に喰われたら笑えねぇしな……じゃ、おやすみ」


そう言って、背を向け歩き出した、そのときだった。


「……待って」


風に混じって、女の声が聞こえた。


……は、お化け?

いや、待て、俺なんかやらかしたか? 自分語りが長すぎて退屈だったとか? 「話つまんねぇ」「愚痴なんか聞きたくない」って幽霊に思われたら、立ち直れねぇぞ。

……聞こえないふりだ、聞こえない……風のせい。そう、風だ!


俺は肩をすくめ、そのまま歩き出そうとする。


「お願い……待って」


今度はすぐ背後から、はっきりと聞こえた。


ゾクリと背筋が冷える。

距離、近すぎる……完全にすぐ後ろだ。


……我慢だ、イザナ。お前、元殺し屋だろ。幽霊ごときで腰抜かしてどうする。


俺は深呼吸をして、ゆっくり振り返った。


「……わかった、待つ。どうし――ッ」


息が詰まる。

そこに立っていた幽霊のあまりの美しさに、言葉が出なかった。


身長は百六十センチほどだ。

年齢も、二十代前半のお姉ちゃんってところか。

だが、真っ先に目を奪われたのはオッドアイの瞳だ。

右目は深い蒼の瞳、左目は銀の瞳、そして薄いピンク色の髪が風に揺れ、耳のすぐ上には、小さく透き通る角……それは水晶のように澄んでいて、月光を受けるときらめいた。


着ているのは白を基調としたチュニック風の服で、肩から胸は軽装で露出が多いが、スカート状のアーマーが腰を守っている。

可憐で騎士らしい軽快さと、腰には小剣と、小瓶。

まるで冒険者のような装備だ。


……小柄な体つきなのに、意外とスタイルがいいな。

特に胸とか……いや、目のやり場に困るだけで、別にやましい意味はねぇが……それとあの綺麗な角、おそらく、この子は竜族だ。


だが、幽霊だからか輪郭が少しだけ透けていた。

光の加減で消え入りそうに見えるのに、その瞳だけは、はっきりと俺を見つめ続けていた。


そして頬をほんのり赤く染めて、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑んだまま……


「……私、お酒、飲めないの……」


その一言に、不意を突かれて思わず笑ってしまった。


「そりゃ、悪かったな。じゃあ明日は、美味い肉でも持ってきてやるよ」


すると、彼女は小さく首を振り、切なげな声で言った。


「……でもね。あなたがくれた、その生命のお酒のおかげで、ほんの少しだけ、またこの世界に留まることを許されましたの」


冗談だろ?

俺の<細胞ブースト魔法(仮)>で作った、ただのビールだぞ。

生命魔法の残滓があるかもしれないが、まさか死人を起こすほどとは……ってことは、せっかく安らかに眠ってた仏さんを、俺が無理やり叩き起こしたってことか?


……やべぇ、怒ってる?

成仏妨害で呪われるパターンか?

いや、でもこの子の表情は怒りなんて微塵も感じないし、むしろ穏やかで優しい。


「そうかい。なら、せっかく拾った命だ。霊体でも、会いたい奴に会うとか、好きに過ごすのもいいかもな」


そう言うと、彼女は少し考えるように目を伏せ、それから少し顔を上げた。

 

「……私の名はリュミナ・ドラゴニア、竜王の血を引く者。私の魂は、本来ならとうの昔に滅びているはず……いえ、正確にはもう滅びた存在です。でも、あなたのお酒が、少しだけ私に時間を与えてくれたの……だからその恩返しがしたいのです。この身が霧となって消えるその時まで、あなたに、剣と魔法を教えましょう」


おいおいおい、何このお節介姉さん……?

……とはいえ、こいつはフレイムヒーラーだろ?

フレイムヒーラーが何かは知らんが、ヒーラーってことは、いくらなんでも攻撃は期待できないはず……俺も回復寄りの魔法使いだから人のことは言えないが。


「お前、墓にも書いてあっただろ? フレイムヒーラー……だったか? 炎が得意だとか何だとかは知らねぇが、俺だって回復寄りの魔法使いだ。ヒーラー同士で戦うとかやめておけよ」


すると彼女は、静かに瞳を細めて言う。


「あなたは回復魔法使いでありながら、そこらの魔法使いや戦士よりも、ずっと強い。そう、私は感じました。……私はヒーラーではありますが、同時にS級冒険者のドラゴンナイトであり、炎魔法の使い手でもあります」


リュミナは続ける。


「私は生前、弟子を取ったことは一度もありませんでした。教えを請いに来た者は多くいましたが、全て断ってきました。ですが、私が教えたいと思ったのは、あなたが初めてです。こんなことは滅多に……いえ、これが最後の、最後です」


そう言って、リュミナはゆっくりと腰の剣を抜いた。

炎を纏った刃が、夜の闇に光を放つ。


固まる俺。


……は?

いや、流石にまずいだろ。

こいつは俺の何を知ってこんな過大評価してんだ?  

しかも稽古を受けたいなんて一言も言ってないし……。


「S級がなんだか知らないけどな、俺はスローライフが送りたいんだよ。そういう熱血展開は他を当たってくれ」


俺がそう言うと、彼女は一歩前に出てまっすぐ俺を見据えた。


「剣も徒手空拳も、S級の中で私は誰にも劣りません!」


「はいはい、わかったわかった。おままごとはこれで終わりだ」


軽く手を振りながら踵を返そうとした、その瞬間――。


「バカにしないで……

 ――竜の威圧」


リュミナの声が、空気を震わせるように静かに響いた。

その瞬間、全てが変わった。

世界が彼女を中心に歪んでいく……


……やべぇ、声すら出ねぇ。

これが竜種特有のスキル……威圧なんて生易しいもんじゃない。これは強者のみが持つ圧倒的な支配だ。

空気が震える、肺が潰れるみたいに呼吸ができねぇ……酸素一つ吸うことすら、あの女の許可がなきゃできねぇ……

そして、目の前の女――否、血に飢えた竜が、俺という獲物を丸呑みにしようとしている。

いや……違う。



……もう、食われてる。



気づけば、反射的に<ブラッドソード>を発動していた。

戦うつもりなんて、これっぽっちもなかった。



……ただ――



……抗え。抗わなきゃ――



視界が赤く滲んで、意識が飲み込まれそうになる。

これは……死ぬ、じゃない。


 

――消える。



このままここに居たら……俺の存在ごと全て消える。

俺の視界が暗く滲み、意識が遠のく――その瞬間、


ふっと、重圧が消えたのだ。

そして、リュミナが口元に微笑を浮かべた。


「やっぱりすごいですね。私の威圧はドラゴンロードですら失禁して泣きながら逃げ出すのに……あなた、これに耐えるんだ?」


「……馬鹿野郎、これが耐えてる奴に見えるか……っ」


全身の力が抜け、全身が汗だくになっている。

俺は命の危険が去った安堵と、まだ残る本能的な恐怖でぐちゃぐちゃになっていた。

そんな俺を見て、どこか楽しそうに笑い、腰の小剣を抜き放つ。


「ふふっ……じゃあ、剣を抜いてくれたことですし……始めましょうか♪」


「休憩すらねぇのかよ……。ま、あの威圧よりはマシだ……剣技とか流派は知らねぇからよ、全部我流でやらせてもらうぜ」

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