第9話 『空の魔獣』
林に入ると、ちょうどいいとこに苔猪がいた。
見た目は普通の猪だが、背中一面に苔が張りついていて一回り大きく見える。《魔獣分類書》によれば、その苔は茹でればサラダになり、背中にはキノコや稀にトリュフまで生えていることがあるらしい……
トリュフか……ワインが欲しくなる。
俺に気づいたのか、苔猪が鼻を鳴らして威嚇してくる。
さっき、<ブラッドショット>の試し撃ちはしたから、今度は<ブラッドソード>の試し斬りだな。
「<ブラッドソード>」
手の中に真紅の剣がすっと現れる。
苔猪が俺を睨みつけ、低い唸り声をあげて一直線に突進してきた。
俺は横へスッと滑るように躱し、刃の軌道を苔猪の首に合わせ、狙いを定める。
……頸動脈を切れば、苦しませずに逝かせられる。
刃を下から首筋に沿わせるように滑らせると、肉がすっと裂け、苔猪は勢いのまま木にぶつかり、ふらりと倒れた。
そのまま短い痙攣のあと、眠るように息を引き取った。
俺は近づいて傷口を覗き込むと、首の骨はきれいに断たれており、<ブラッドソード>の刃には欠けひとつない。やはり切れ味も強度も、注ぎ込む魔力の加減で変わるみたいだ。
よし、とりあえず湖で泥を洗い流してから解体するか。
◆
湖に着いて泥を洗い流し、解体を始める。
……やっぱりか、苔猪の体構造は前の世界の猪と大差なさそうだ。
それに、牙も骨も加工すれば刃物や装飾、軽い防具の素材になりそうだし、背中に付いてたキノコは干し椎茸みたいに乾燥させて保存すればいつでも使える。捨てるところが本当にない。
それから思いついたのは、さっき試した<ブラッドソード>の応用だ。血で作った刃は解体用のナイフとしても十分使えるし、凝固のさせ方を変えれば槍や盾、足場だって生成できそうだ。さらに、<ブラッドバレット>みたいに、剣や槍を射出することも理論上は可能だろう。
……実際にそれを使う機会が来るかどうかは別の話だが、使い方の幅がぐっと広がったのは確かだ。
さて……猪の肩ロースでも焼くか。
木の枝にライターで火をつけ、適当な枝を串代わりにして肉を刺す。
「……よし、いい焼き色だ」
香ばしい匂いが漂い、脂が滴る。焼き上がった肉にかぶりつくと、外はカリッ、中はじゅわっとジューシーでうまい。
肉を頬張っていると水面に何かが浮かび上がってくるのが見えた。
……餅? いや、違う。ぷるんとした白い塊が、水面で揺れている。
「……この前のスライムか? お前、水の中を泳げるのか……」
肉を咀嚼しながらそう呟くと、スライムはぷるんと震えた。
まるで「うん」と返事をするみたいに、体を震わせた。
俺が抱き上げようと水面に身を乗り出した……その瞬間。
――ぴょんっ。
スライムが勢いよく跳ねて、俺の顔面にダイブした。
「お、おい、やめろって! 顔はやめろ、顔はっ!」
必死に顔から引き剥がすと、スライムはぷるんと跳ねて俺の手に持っていた肉を、ぺろりと体に取り込んだ。
「……それは餌じゃねぇっての……せっかくいい感じに焼けてたのに……台無しだ」
スライムは俺の文句なんてお構いなしに、ぷるぷると震えながら肉を溶かし込んでいった。
「ああ……俺の肩ロースが……ったく、次やったら塩漬けにして干すからな」
そう口では言いながらも、怒る気にはなれなかった。
怪我も完全に治ってるようだし、元気ならそれでいい。
俺はもう腹も満たされたし、家で食う分も確保済みだ。
残った骨や皮も使おうと思えば使えるが、今は特に必要ない。
「……ま、残骸くらいはお前にくれてやるよ」
そう言って、苔猪の残りをスライムの前に放る。
すると、スライムは嬉しそうに体をぶるんと震わせ、残骸に覆いかぶさるようにして夢中で取り込み始めた。
「……ほんと、食欲だけは底なしだな」
苦笑しつつ、俺は魔物の落とし物でも探すか、と腰を上げた……その瞬間、空気がピンと張り詰める。
頭上から鷹に似た魔物がこちらを真下に睨み据えて旋回していた。
反射的に観察眼を発動する。
対象:スカイレイヴン
分類:風属性魔獣
生態:群れず、常に単独で狩りを行う。風圧と音波を武器に獲物を仕留める。
《魔獣分類書》には討伐想定人数はDランクの冒険者四名、魔法職一名必須と書いてあった。コアは胸骨の奥、心臓と融合しているらしい。
すると、スカイレイヴンが羽を大きく広げ、空気を震わせる。
次の瞬間、甲高い音波が炸裂し、<ソニックバースト>が放たれた。
だが、その狙いは俺じゃない。
……苔猪の残骸と、その傍で無防備に餌を体に取り込んでいるスライムだ。
……一度助けた命を、ここで見殺しになんてできるか!
ぐずぐず考えてる暇もねぇ……試作段階だが、ここは一か八か、賭けてみるしかねぇな!
「<ブラッドウォール>ッ!」
瞬間、スライムの目の前に赤黒い壁が現れた。
厚さは二十センチ、縦横二メートルほど。<ソニックバースト>が直撃するが、壁はびくともしない。
仕組みは<ブラッドソード>と同じだ。
魔力で生成した血の鉄分子を極限まで密集させ、凝固させた鉄の壁。
……ただ、急いで作ったせいで、少しサイズがデカすぎたか。今の威力なら、もっと薄い壁でも十分防げそうだ。
すると、スカイレイヴンが距離を詰め、<ブラッドウォール>の影から姿を現した。
翼を大きく広げ、全長二メートルほどの巨体が風を切る。近くで見ると、かなりの迫力だ。
だが、こっちだって、前の世界では何度も修羅場をくぐってきた、そして魔物が馬鹿じゃないってことくらい分かってる。
でもな、その行動は、俺の読み通りなんだわ。
「<ブラッドショット>」
指先から血の弾丸が放たれ、スカイレイヴンの胸を正確に貫く。
一瞬で動きが止まり、巨体は翼をばさりと広げたまま、力なく落ちていった。
「……そういえば、こいつの羽とか爪は高く売れるって《魔獣分類書》に書いてたな」
スカイレイヴンの亡骸を手際よく解体し、観察眼を発動する。
スカイレイヴンの羽
状態:良品
効果:高速飛翔による風圧と魔力で硬化した羽根。軽くて丈夫。風属性魔道具やマントに利用される。
スカイレイヴンの爪
状態:良品
効果:鋭く湾曲した黒爪。空気摩擦で表面が滑らかに焼け、刃物にも劣らぬ切れ味。武器の素材として人気。
蒼嘴石
状態:良品
効果:嘴の先端が長い年月をかけて完全に魔鉱化した極めて稀な鉱石。魔力を圧縮し、風魔法の威力を増幅させる。貴族や錬金術師の垂涎の的とされ、金貨数十枚にも値する。
スカイレイヴンのストームコア
状態:通常品
効果:風属性の魔力核。心臓部に形成され、常に微弱な気流を発する。
「……この蒼嘴石とかいう石が、金貨数十枚、だと?」
思わず息を呑んだ。
驚くのも無理はない。なにせ、俺が命を賭けて倒したわけじゃない。試し撃ちの延長みたいなもんだったからな。
「ふむ……スカイレイヴンの強さは、確か……討伐想定ではDランク冒険者四人と魔法職一人、だったな」
冒険者ランクの基準はよく知らないが、少なくとも、今の俺はDランクよりは上ってことか。
この森を出たときには、こいつの素材を売って金にすれば、しばらく働かなくても食っていけそうだ。
……まあ、他に異世界の飯を食ってみたいって欲もあるし、近いうちにリカにも、外の世界について聞いてみるとするか。
一方その頃、スライムは自分が命の危険に晒されていたことなど知らず、呑気に苔猪の残骸を体に押しつけては、もぐもぐ(?)と消化していた。
俺は思わずため息をひとつ吐き、手に持っていたスカイレイヴンの残骸をそいつに投げる。
スライムは喜んだように体をぶるんと震わせ、それも溶かし始めた。
「……自分が殺されかけてたとも知らずに、呑気なもんだな」
とはいえ、<ブラッドウォール>と<ブラッドショット>を実戦で試せたのはでかい。威力も防御も申し分ない。
「あっ、そういえば……酒もできてたんだったな。いったん家に戻って、あそこに行かなきゃな」
俺は肩を回しながら、ゆっくりとその場を後にした。




