5 ファン
後日婚約解消を申しこんだが、トリスタンはそれを受け入れることはなく女々しくクロエに言い訳や、怒りに任せた手紙を送ってくるようになった。
そのうえで、同世代の貴族たちにはクロエに対して反省させるように距離を置いているのだと嘯いたため、そうではない証拠としてその手紙を持ち出すのは必然的なことだった。
それが思わぬ速度で拡散されて、トリスタンは孤立して社交界に現れなくなった。
そんな彼の実家に文句を言えば、案外あっさりと婚約は解消されて晴れてクロエは自由の身となった。
……まぁ、そのままもし結婚したとしてもトリスタンに縛られる気など毛頭ありませんでしたけれどね。
今更彼のことを思い出して、婚約解消しなければ自分の元に繋ぎ止めておけると思っていた彼の見当違いっぷりについ笑みを浮かべる。
するとその笑みをとがめるように目の前にいたアリエルが言った。
「もう、なにを笑っているのかしら。わたくしは真剣な話をしていますのよ、クロエ」
「そうだよ。クロエ」
ベルナールとアリエルは二人そろってクロエに呼びかけて、同じように少し怒っていた。
それはクロエがあまり真剣に話を聞いていなかったからであり、笑みを浮かべたまま謝罪する。
「あら、ごめんなさいね、それでなんの話でしたか」
紅茶を飲んで問いかけると、彼らは二人で顔を見合わせて、これだからクロエはと呆れたような顔をした。
トリスタンにそうされた時にはめっぽう腹が立ったのに、彼らにそうされることにクロエはまったく嫌な気持ちにならない。
むしろ、可愛らしい似た者カップルの必死な様子や動作が可愛くてつい笑みを浮かべてしまうまである。
「だからね。クロエ。もう君は変な男に縛られるぐらいなら誰にも興味なんかないっていうけれどさ」
「それじゃあ困ることばかりですわ。パーティーのたびにあなたと話をするために列をなす男性に何度、困ったことかわかりませんもの」
「そうそう。列の整備も大変だし」
「パーティーが終わるまでに話をできなかった男性のへこみようと言ったら……」
まったく困ったわと、頬に手を当ててアリエルはクロエに苦言を呈する。
ベルナールもうんうんと頷いてクロエに諭すように言う。
そんな世話を焼いてくれる二人にクロエは少しいつもよりも、くだけた態度をしていた。
なんせここには、三人しかいない。プライベートなお茶会だ。
クロエは大きなパーティーなんかで誰かに称賛されるよりも、こうして深く知っている人と過ごす時間が好きだった。
しかし、アリエルはそんなクロエのしみじみとした気持ちなど察することはなく、少し手をきゅっと握って「ですからね」と切り出す。
「あなたがもうこれ以上、誰とも婚約する気もないと言うのなら」
「僕らにだって考えがあるよ」
二人はそう言って立ちあがり、いそいそと応接室から出ていった。
その行動の意味が分からずにアリエルは小首をかしげてその扉を見つめた。
すると開かれた扉の向こうにはとても大きく目を見開いた男性がいた。
どこかで見たことがある気がするのできっと周辺領地の人だろう。名前はたしかディオン、リクール辺境伯家の跡取り息子だ。
「うわっ、あ、ちょ、あ、あんたたち嘘だろ!? 聞いてない、聞いてないまったく聞いてない!」
彼はわたわたと慌てていて、しかしぐいぐいと押されて部屋の中に入ってくる。
そしてまじまじとクロエが見つめていることに気が付くとはっとして、なんだか感情のよくわからない顔をした。
「ほら、いいからディオン、どうせここにきて逃れることはできませんわ」
「そうだよ。ディオン、往生際が悪いと思われるよ」
「っ……」
二人に両腕を掴まれて連れてこられた彼は、クロエのことを見つめてそれから最終的に顔を赤くして湯気でも立ちそうな様子だった。
「クロエ、この方はリクール辺境伯子息のディオンですわ。何度かお話をしたこともあると思いますの」
「それはそうですね。記憶にありますもの」
アリエルに言われて、やっとパーティーでの彼の様子を思いだすことができる。
しかし、今ここにいる彼とはまったく違った様子で、なんだか大人しい人という印象だったのだ。
「ところでクロエは、トリスタンにアリエルと比べられたから別れることにしたんだよね」
「……それもそうですね」
「なら、この人はピッタリじゃないかしら?」
「っ、俺は言っただろ……遠くから見ているだけで充分だって、それをあんたら……」
忌々し気に呟くようにディオンは言った。それを無視してベルナールはつづける。
「ディオンはね、クロエ。僕らなんかと比べる余地がないぐらい━━━━」
「まて、まて、流石に自分で言う、言うから。言わせてくれ。これ以上醜態をさらしたくない」
ベルナールの言葉をさえぎって、ディオンは彼らから手を放してもらい、そしてやっと自らの意思でその場に立った。
彼の額には熱くもないのに汗が浮かんでいて、振るえた吐息で深呼吸をする。
それから目が合う前に彼は九十度頭を下げて言った。
「ファ、ファンですっ」
それはまったく新しいタイプの告白であり、その言葉に何と返したらいいのかクロエはわからない。でも補足するようにベルナールとアリエルが言う。
「ふふふっ、そうですわ。彼なら比べる余地もなくあなたが大好きだとわたくし知っていますのよ」
「その通り、でもディオンは告白するつもりはないみたいだったけど……彼も婚約者がいないから、丁度いいと思ってね」
「っ、だとしても。こ、こんなこと突然されたら、ああ、もっとマシな服を着てきた! もっと、なにかいい言葉を考えて……」
「でも考えすぎてこなくなるのが落ちじゃないか」
「それは……そんなことない……と思う……」
「そんなことありますわ」
ベルナールとアリエルにはさまれて、困り果てている彼は、話の最中にもちらりとクロエのことを見てすぐにまた視線を逸らして様子をうかがう。
顔は赤いまま、挙動も少々不審なままだ。
それにクロエは、比べられて別れたからって、比べることができないぐらいクロエのことを好きな人を連れてくるなんて、そんな頓智のようなことよく考えついたなと思う。
うまくいくとは限らないだろうし、彼だってクロエのことを良く知れば誰かと比べたくなるかもしれない。
けれども、クロエが感じたことは、ただ直感的にディオンのことを好ましく思った。
なにがそう感じたかわからないし、自分のことを心底、好きらしいその様子を見て気分がよかったのかもしれない。
でもともかく、ベルナールたちがいろいろと考えてこうして引き合わせてくれたということは事実で、彼らの行動に報いたいという気持ちもあったのだろう。
なにはともあれ、一概には言えないが、こういうトリッキーな出会いと関係もあっていいだろう。それにその方がきっと楽しいと思う。
「ははっ。ディオンは面白い人なんですね」
立ち上がってそばによって話に入る。
「っ、う、嬉しいです」
「すぐ赤くなるのですね」
「ふ、普段はなりませんっ」
「私にだけ?」
問いかけると彼はコクリとうなずいて、瞳はなんだか潤んでいて、今にも泣きだしそうだと思った。
その表情が少しばかり可愛くてクロエはまた笑みを浮かべて、彼のことを知ってみたいと思ったのだった。