47 道具
クロエは「クローディットに死ぬことなんてない、あなたはきちんと離婚をして実家に帰って静かに暮らせばいいのだ」と目を覚ましたばかりの彼女に洗脳のように言い含めた。
彼女は少し実家に帰ることを渋った。
けれど、クロエがディオンと結婚したらクローディットの実家に対して必要ならばしっかりとした援助をすることを書面にして持たせると、クローディットは涙を流してお礼をして帰っていった。
それがどういう結果をもたらすかというと、クロエは正直その後のことは比較的どうでもよかった。
しかし、クローディットの実家である小さな領地を持つ子爵家とアリエルによる土魔法の契約を結んだベルナールは首をかしげて問いかけた。
「でも結局、子爵家にもどっても必要とされなかったら気が変わってリクール辺境伯家に帰ってきてしまうんじゃないのかなって、僕は思うんだけれど」
「……」
「……」
「え? 違う? ごめん、あんまり、クローディットさんが自殺未遂を起こした理由もピンと来てないから口を挟まない方がよかったかな」
彼は話をすればするほど、困惑していくような表情になって、あまりクローディットの気持ちを理解できていないようだった。
彼の言葉に、ディオンはフォローするように言った。
「まぁ、たしかに聞いただけだと理解しづらいとは、俺も思うが……」
「あら、そうかしら。わたくしは戻ってこないと思うわよ。クロエの読みは正しいと思いますわ」
二人の言葉にアリエルは、おっとりとほほ笑んで返す。
「接してみて感じたけれど、子爵家の方々は善良な貴族ですわ。必要のない援助を受けたりそれを悪用するような人々ではありません」
きっぱりと言い切る彼女の言葉に、クロエもその通りだと深く頷いた。
そもそも、なぜクローディットの実家にアリエルの魔法の恩恵を与えてもらったか。
それはクローディットがリクール辺境伯家の資産を使って自身の実家に対して胸を張って仕送りをしたかったからなのだ。
彼女の目的はもともとそこにあった。
ジルベールがききだしてくれたエクトル目線での話や、集めた情報によって、彼女が実家のことを重要視していることはわかっていた。
そして直接話をしたときに、自分とクロエのことを同じだと言った。
そこから彼女がディオンを跡取りに据えても、何をしても満足しない理由にたどり着いた。
一番わかりやすかったのは、彼女の機嫌が数年単位で上下しているということだろう。
ここ最近機嫌が悪かったのは豊作の時期になって、実家が苦しんでクローディットに助けを求めることが極端に減っていたから不安定になっていたと考えられる。
認めてほしいのは、リクール辺境伯に対してでも世間に対してでもない。
自分を必要とせずに、跡取りの地位から追い落とした実家から認めてほしかっただけなのだ。
だから、援助を約束する書類を持たせれば彼女は納得したし、離婚したことによって、素晴らしい令嬢と息子が婚姻を結んだのだという最高の功績を得て彼らに認められるべく帰っていった。
「だからこそ、わたくしの魔法があればあの方々は、必要以上の物を欲しがらない。クローディットが必死になって手に入れたものも、きっと価値を見出してもらえませんわ」
「そうですね。そうしてやっと彼女はなにも自分に求めてこない家族と真っ向から対峙する。その結果なにが起こっても私は知りません。でも戻ってはこない。彼女にとって、リクール辺境伯家は、本当の家族にたいして自分をアピールするための道具でしかないのだもの」
そう言うとベルナールは目を見開いて、それからなんだか落ち込んだように「そうなんだ」とぽつりと言った。
友人の母親がそんな人間で、そのことに対して悲しんで、どう声をかけたらいいのかとちらりと見るその様子に、彼は相変わらず優しいのだなとクロエは思う。
「気にしないでくれ。俺は、むしろ変な執着を持たれてなくて嬉しいんだ」
「そうかな、それでも俺は悲しいよ」
「あんたは本当に……いいやつだよな」
「そんなことない。結局、僕自身ってあんまり役に立たないし」
ディオンの言葉にベルナールはアリエルのことを見る。
そして彼女の魔法を使って事務的な手続きを進めただけの自分に価値がないかのように言う。
しかしその言葉はアリエルが聞き逃さなかった。
「いやですわ。ベルナールそんなことで落ち込まないでくださいませ。今のわたくしはあなたに支えられて、ここにいる。あなたがいなかったらわたくしは魔法を完成させていなかった」
「……」
「誰よりもあなたのことを愛しているのだから、あなたも自分のことを愛してあげて」
アリエルの言葉はとてもやさしく、隣からベルナールの頬に手を添えて甘く囁きながらキスをした。
「うん。ごめんね、卑屈になって」
「いいえ。傲慢なよりはずっとましよ、ふふっ」
向き合って、甘ったるく二人は視線を絡ませて、言葉を交わす。
その突然の惚気にクロエはどうしたものかと見つめるが、隣にいるディオンに視線を向ける。
しかし彼も、特に恥じらう様子はなく平然としていて、クロエに対してはあんなに初心なのに不思議だった。
さらに睦み合って愛の言葉を言い合う二人をしり目に、クロエもディオンに手を伸ばす。
彼はクロエが自分の方を向いていることに気がついて、ぱっと視線をよこすけれど頬に手を添えられて、打たれそうだと思ったみたいに目を閉じて体を固くした。
「…………」
それを見てやっぱり、初心だと思ってから、少し頬を撫でて手をはなす。
すると、目ざとくこちらに気が付いていたアリエルとベルナールはニマニマとしてから二人は視線を交わす。
「あら、わたくしたちに充てられて、新米カップルも距離を縮めて可愛らしいわ」
「本当に、二人が結ばれてくれてよかったよ。領地に戻ったら四人で遊びに行こうね」
「そうね、わたくしたちとどちらかだけではやっぱり寂しそうに見えてしまうから、これで気を遣わなくて済みますわ」
二人の言葉にクロエは、声を出さずに笑ってそれから返す。
「もちろん。……アリエル、ベルナール、私たちを引き合わせてくれて……たくさんのことに協力してくれてありがとう」
「俺からも、感謝してもしきれない。本当にありがとう」
クロエがお礼を言うとディオンも心のこもった声で続けた。彼らは改めて言われたその言葉に「どういたしまして」ときっちりと返したのだった。