46 結末
どんなに偏った比較をしようとも、彼が逃れられない最大の汚点であり、一番足を引っ張っている事実。それはなんなのか。
クロエは、静かにクローディットに人差し指を向けて言った。
「あなたですよ。クローディットさん。あなたがいること、それがディオンにとってなによりほかの人間に劣る部分です。本当はわかっているのでしょう?」
「…………」
「どんなに彼の優秀さを比べても、あなたがいる限りディオンは結婚に値しない男です。あなたみたいな第二夫人が母親として彼を操っている。……それって、誰から見ても男として劣っている」
クローディットはクロエを見つめたまま動けない。
「子供の価値は親の価値? なら親の程度も子供に反映されるのだって当たり前、あなたのディオンは素晴らしい。けれどあなたはどうかしら?」
「あ、あたしは」
「あなたは、第二夫人でありながら第一夫人の子供を敵対視していて何をしでかすかわからない、情緒も不安定で出身も低級貴族。こんな母親を大切にしている男は、よそと比べてどうですか? 私が選んで当たり前?」
彼女が自分の価値観で、必死になって弟と比較するように、クロエは彼をほかの男性と比較して口にする。
クロエにとっては、そんな事情なんて、その人自身とは関係がないと思うし、それで態度を変えたりしない。そんなふうに人を選んでいない。
しかし、彼女は違う。自分の価値を高めるために子供を利用して、誰も彼もに認められて、自分のことを癒したい。
自分の欲求を叶えたくて仕方ないのだ。
だから周りが見えなくて、自分の信じる指標でしか物事を図ることができない。
そんなことは重要じゃないと、彼女の指標から見て重要じゃない人間から言われても聞くわけなんかないのだ。
だからこそクロエは、彼女の指標の中の選ぶ側の人間として、真っ向から上に立った。
「はははっ、そんなわけがありませんよね。あなたは私を嫁に入れることで完璧になれると言っていたけれど、それを達成することはできません。だってあなたが息子の完璧な人生にぶら下がって一生ついてくるんですから、これではあなたは誰にも選ばれない!」
「そ、そんなことって……」
「あなたならわかるはずです。あなたがどれだけ彼の足を引っ張っているのか!」
そして彼女は自分の理論の中で破綻する。
クロエが言った言葉は、これからも多くの人がそう考えるであろう選ぶことができる強者からの意見だ。
よく聞いて修正して認めてもらえるようにしなければ、彼女は自分の欲求を満たすことができない。
単純な話なのだ。
自分の価値観だけに執着して別の考えを受け入れることもなく、ディオンを犠牲にしてやってきた彼女は、より強いものに打ち破れる。
そんなふうに固執して他人を犠牲にしていなければ、第二夫人だけれどそれでも子供と一緒に努力をして今の地位を獲得した。
これからもそうして協力してやっていきたいと彼女が言える人間だったら、こんなことにはなっていない。
そんなふうに人を条件やくだらない地位なんかでしか見ることができないから、彼女は自分の居場所を失うのだ。
「ディオンの人生にはあなたがいるから、あなたの子供は完璧になれない」
「っ、どうして、そんな」
「今更情に訴えかけられても困りますよ。だって所詮、人間は有能な人間だけを贔屓しますし、よりいい人を選びます、そんな無情な生き物です」
クロエは思ってもいないことを口にした。もし自分が言われた言葉ならば真っ向から反論できる。
しかし彼女はその言葉にまったくもって対抗する手段を持ち合わせない。その通りだとがっくりと肩を落とす。
それからきらりとした涙を見せて、けれどもきちんと拭ってから、拳を握って彼女はクロエに問いかけた。
「……なら、あたしは、どうしたら」
そう聞かれてクロエは思案顔になって、ゆっくりと視線を巡らせたあと、まるで仕方なく妥協してやる心の広い人間みたいに優しく言った。
「あなたさえ、いなければ」
「あ、あたしさえ」
クロエの言葉を彼女は、オウム返しにして自分の脳内に深く深く刻み込む。
「ええ、あなたさえいなければ。家族仲は良好なようですし、ディオンの戸籍はフロランス様の息子として登録してありますし、後はあなたが、いなくなれば」
「あたしさえ、いなかったらっ」
「そうです。そうですよ。あなたがいなければ、この人と結婚しますから、私」
「あたしさ、えっ」
ぶるぶると震えて、彼女が必死になって紡ぐ言葉は声が裏返っていて、その瞳はとっくに正気を失っている。
それからさてどうなるかとクロエが、彼女のいきつく先を見守っていると、ドレスの腰元、プリーツの隙間のたわんでいる部分に手を入れた。
クロエもすぐに腰の後ろのナイフを手に取った。
「あたしが、いなかったらっ」
そう言って、クローディットは笑みを浮かべて果物ナイフを自分の首元に差し向けた。
クロエはすぐに風の魔法を使ってナイフを飛ばして、彼女の手元の物を弾き飛ばす。
「きゃぁっ、っ」
ぶつかった拍子にナイフが予測していない軌道をとり、彼女の頬を切りつける。真っ赤な血液が彼女の頬を伝って流れて床に落ちる。
「消えるわ。あたしがいなければいいのでしょう!? あたしが消えればいいのでしょう!?」
そして狂ったように叫びながら弾いたナイフを取るために振り返る。
獣のように椅子の上に乗り上げて乗り越えて向こう側に転がったそれを手にしようと動き出した。
…………や、やり過ぎましたか。
クロエは彼女のその狂った様子を見て、一瞬、思考が停止した。
衝動的に自害をしようとする可能性までは考えていたが、そのあとまで持続的に、こんな狂った行動をとるとはさすがに想定していなかった。
しかし手持ちの短剣やナイフでは致命傷を与えることはできても、彼女を止めることはできない。
蹴り飛ばしたらどこかしらの内臓が破裂する可能性もあるし、と焦って立ち上がった。
ともかく捕まえて羽交い絞めにするぐらいしか思いつかなかったが、クロエが動く前にディオンが自身の母を捕まえた。
腕を掴み、引き寄せて抱え込んでから手をあげる。
「っ、離しなさいよ! あたしは、っ、ぐっ━━━━」
手の側面を使って、頸部に打撃を入れるとクローディットはびくっと反応してそれからぐったりして動かなくなった。
「……止めようとしていると思ったんだが、あってるか?」
力を失って崩れ落ちそうな彼女を支えて、ディオンはクロエに問いかけた。
その平然とした様子にクロエは意外な顔をしつつもそばによる。
「気を失わせたんですか。器用なことができるんですね」
「ぅ、……クロエ様に褒められると心臓がいたくて」
「あなたはどのタイミングでも感極まることができて面白いですね」
正気を失い気も失っている自分の母を抱えつつ、顔を赤くして胸元を抑える彼にクロエは少し戸惑いつつもそう言った。
「それにしても、過激なことを言いすぎましたかね。自害させるような計画ではないんです」
「……死んでもよかったと思う。この人は……今までもこれからも覚めない夢の中にいるのだし……」
切り替えてクロエは言ったがディオンは、彼女をとても冷たい目で見降ろして、死んでもよかったと口にする。
それほどまでに彼を苦しめてしばりつけていたのだろう。
それを残酷すぎる言葉だ、なんて言って否定するつもりはない。
しかし、ディオンはそう言われてもおかしくないと思ったのか、笑みを浮かべて付け加える。
「でも、クロエが止めてくれたんだから俺はそれに従う。……ありがとう。まさかこんなふうに真っ向から論破して自分からいなくなればと思わせる方法があったなんて思いもしなかった」
「いいえ……あなたにはできないことだったと思います。私だったからこそ彼女はそういう結論に至ることができた」
「ああ……あんたはすごい。いつだってずっと、俺の憧れの人だ」
「はははっ、今回ばかりはその言葉をすんなり受け入れられそうです」
彼が以前助けられたと言っていた思い出話は、まったくもってクロエ自身にとっては素晴らしいものではなかったけれど、今回のことは誇ってもいいだろうと自分でも思う。
それなりにうまくやれた。
それからディオンはクローディットに視線を落として、やっとこの後のことが気になったのか聞いてきた。
「それで、もう十分心は折れているみたいだがこれからどうするんだ?」
「……そうですね。彼女が起きたら……」
そうしてクロエは、これからのことをディオンに話した。
すべてが終わるまでには時間がかかるだろうが一番の正念場は終えたということで、クロエは邪魔くさい指輪を取り外して右手の薬指に、ディオンとお揃いの指輪を付け直して、仕事に取りかかるのだった。