39 わかってない
ディオンが小さなクロエと出会ったのは、伝統的に今まで続いている北側領地の交流会であった。
子供用の会場も作られた気軽なガーデンパーティーで午後のさんさんとした光が降り注ぐ天気のいい日だった。
しかしディオンはその場でどうしたらいいのかわからず固まっていた。
なぜかと言うと、幼いころからクローディットの期待に応えるべく多くの時間を、彼女の妄想を実現するための教育に時間を割かれ、他人と接する機会というのが極端に少なかった。
一番歳の近い相手というのは母の目の敵にしている弟だった。
しかし弟というものは憎たらしく容量がよく兄や姉が必死になって達成した目標もすぐにこなして、すぐに追い抜かす悪魔のような力を持った存在らしい。
そんな弟につねに勝っている必要があると言われ続けて、彼と比べて圧倒的に素晴らしい人間にならないことにはまったくの無価値なのだと日ごろから言われ続けていた。
そんな日々から突然優雅なパーティーに放り込まれてもそつなくその場をこなせるはずがない。
母はなんでもできるはずだとディオンに言うが子供には難しい無理難題ばかりであった。
それを幼さゆえにディオンもクローディットも理解していない、幼稚で妄想にとらわれた高等教育はこれからも続くと思われた。
なのできっとパーティーでの挙動不審や孤立を知った母は狂ったようになりながら日夜、下級貴族の子供でもあつめてディオンがきちんとできるまでパーティーを開催し続ける。
狂ったようにしっ責して、血管が切れているのではないかというぐらい目を血走らせてできるはずだと詰め寄ってくる。想像するだけで血の気の引く光景だった。
「……あなた、ずっとそこにいて楽しいのかしら?」
だからクロエに話しかけてもらえたことはなにより嬉しくて同時に、常に切羽詰まっていたディオンは救われたような気持ちになって頬を染めて返した。
「あっ、いえ、その。へ、変だとは思ってるんですけどっ、でもどうしたら、いいのかわからなくてっ」
自分も彼女のように普通に、平然と会話をしたいと思うのに、緊張してしまって言葉が出ない。
それでもクロエは「ふーん」と返して、ディオンのことをじろじろと見た。
「な、なんですか。なんか僕、変なところありますか」
「……いいえ、変ではないわ」
「じゃ、じゃあなんですかっ」
自分からもっと何か話しかけてくれたお礼に楽しい話題を提供したいのに、そんなことに頭は回らずに、ディオンは必死になってご機嫌を取りたくて問いかけた。
すると彼女はしばらく逡巡してから、指を振って、風を起こす。
ディオンと同じ年頃なのに簡単に魔法を使う彼女の姿に面食らって、しかしさほど強い風でもなくて髪がさらりと靡いて、クロエはニッコリ笑みを浮かべた。
「あなたが赤毛なのか、金髪なのか、考えていたんですよ。どっちでもないってことでいいと思いますけどね」
「っ、そ、そうですね。ぼ、僕の髪色は変で、あなたの黒髪はとってもきれいで、美しくて、素敵です。母にもこんな色は見るに堪えないと言われるので、恥ずかしく思ってますっ」
彼女の言葉に、ディオンはすぐになにが言いたいのか察して、猛烈にほめたたえた。
だって自分の色は母と同じで、妙な色をしているし、それは母から見ても他から見ても上品で美しい黒や金といった色よりも劣る。
だからそうなれないことは恥ずかしいことで、髪色でだって価値は決まる。ほかには持っている魔法とか、性別とか。
男の方が勝っていて、魔法を持っている方がすごくて、魔法の中でもいい魔法があって、後は勉強ができるかどうかとか、そういったもので比べあって、きっとずっと彼女の方がディオンよりも優れている。
だからディオンはそうされたら嬉しいだろうとおもってへりくだった。
「……」
「魔法も風の魔法ですかっ、すごいです。僕はまだまだうまく扱えなくて、それなのにきっと生まれ持った才能があって、特別なんですね」
しかしクロエの反応は芳しくない。むしろその言葉を聞いて機嫌を損ねているようですらあった。
「……」
「どうして、そんなことを言うんですか」
「……ど、どうしてってっ…………」
「……」
気分を害したクロエは黙って、静かにディオンを見つめてくる。
彼女が考えていることも、なにが言いたいのかも途端にわからなくなってディオンはどうしたらいいのかと顔を赤くして焦って恐ろしさから視線を逸らす。
そしてしばらくして、クロエは動いた。
つまらないからと離れるのではなくディオンのことをのぞき込んで目を合わせて唇を尖らせたまま言う。
「なんで私が面白いと思った髪の色を否定するんですの。私がまちがっているのかしら?」
「ちっ、違いますっ、そうじゃなくて」
「じゃあなんだっていうのかしら。魔法だって持っていても使えても、どうでもいいじゃありませんか」
「え、っとどうでもいいってことは……」
「どうでもいいよ。あなた名前は?」
「リクール辺境伯子息のディオンと申します」
「じゃあディオン」
クロエは適当に黒髪を後ろに払って、目を細めて、芝生をサクサクと踏みしめて勝手に歩いていく。
まだ話をしている途中なのにと思ってディオンはその小さな背中を負った。
「あそこにいる子犬と私は一緒ですか」
見せびらかすために連れてこられた、子犬が令嬢にじゃれついていた。
「一緒ですかって、ち、違うと思いますっ、生き物としてっ」
「そうですね。じゃあ私とあのアリエルは一緒ですか」
今度はクロエは、そのじゃれついている子犬と令嬢をそこそこ冷ややかに見つめている伯爵令嬢のアリエルを指した。
「っ……お、同じ? です?」
犬と比べたら同じで、彼女たちは同じ人間だし、女の子だし歳も近くて似ていると思った。
「嫌ですわ。全然違いますもの。ディオン、歳だって、五カ月も違うのよ」
「五カ月……」
「それに、私には弟がいますが彼女にはいません」
「弟……」
「身長が伸びるのは私の方が早いです。でもこの間、比べたら手の大きさはアリエルの方が大きかったです」
「……」
「私はよく奔放で両親に怒られますが、彼女は怒られません。私が悪戯するときにも参加しません」
比べると彼女は親に怒られた話なのに、なんだか自慢げだった。
「元々こんなに違うのよ。人同士だって、犬と人間ぐらい違いますよ。元々違う生き物なのに、皆のようにお淑やかにお嬢様らしくしていろって大人は言いますね」
「はい」
「できるはずだって言いますね。それを聞いて私いつも思うんです」
クロエはやれやれと言うようなポーズを取って、ディオンを振り返って言った。
「わかってないなって。私が魔法を使えるように、彼女たちはお淑やかにすることができるんです。じゃあ彼女たちはお淑やかなまま魔法が使えるんですか?」
「そ、それは……できないことですね」
「そうでしょう。だから大人のそんな言葉は私、比べてるんじゃなくて、人ができてることを見ていいなと思って、お願いを言っているだけなんだって知ってます」
クロエはとても訳知り顔で、偉そうに言う。
「人と比べる言葉に意味なんかないですよ。だって私が感じる、気持ちなんて誰もわからないんですから、怒ってる言葉だって、褒める言葉だって薄っぺらですもの」
クロエのその言葉は、一度聞いただけではディオンはピンと来なかった。
でも、とにかくそばにいてくれたことが嬉しくて分かりたくなった。
親のいうことがどうでもいいなんて、そんなことはあるわけがないと思う。でも、彼女は嘘は言っていない。
「それにみんな同じじゃ、誰も私といたずらもしてくれません。それじゃあ、とてもつまらないし……」
「……」
「ええ、だから、お父さまやお母さまのいうことなんか気にせずに、やりたいようにやったらいいんです。ちなみに私はあなたにやんちゃなことを一緒にしてほしいですね。あははっ、なんて私が言ったなんて知られたら怒られちゃいますね」
最後に彼女も自分の願望を言った。
それがクロエなりの冗談で、ディオンを笑わせるためのものだとディオンは理解できずに、その後、口調だけはやんちゃになった。
そして、やっぱりクローディットに怒られた。
しかし、それでも気は軽かった。
彼女が言うようにディオンは元からこうなのだし、他と違うのに比べられてできるはずなんて言われても、そんなのってわかってない。
誰も彼も自分じゃないし、自分だって他人じゃない。
だから母の持つ、強烈なまやかしから一人抜け出して、ディオンはクロエをとてもとてもリスペクトして、応援して肯定する人間になったのだった。