38 矛盾
オードランは捕らえられ、その悪事は公の元にさらされた。
彼は自分の口にした妄言である、パラディール公爵家の娘なのだから魔獣のにおいが染みついていて魔獣がやってくるという言葉を無理やりにでも実現させるために幼稚な作戦を立てた。
それが魔獣をひそかに仕入れて、彼女の周りで出現させるというもので、しかし彼と同じように考える人間など一人もおらず、成功していたとはとても言えなかった。
そして大勢の前でコテンパンにされ、その報復のための道具として魔獣を利用したのは誰から見ても明らかであり、彼から指示され実行した使用人たちは簡単に関与を認めたそうだ。
彼は王族としての地位をはく奪された上で、貴族用の牢獄に収監されることになった。
これはもう、エルヴィールの完全勝利と言っていいだろう。
今まで動かなかった国王陛下夫妻を動かしてこれだけの罰を引き出したのは、晩餐会でのすべての出来事があったからに違いない。
暴言を聞かせつつも追い詰めて、魔獣を使った事件が起こり、そしてやっと捕らえることができた。改めて思い返して見ても完璧な流れだったと思う。
今はその後始末で忙しそうではあるけれど彼女は見事、自分の道を妨げる障害を乗り越えて見せた。
だからこそ……というわけでもないけれど、難しい問題だって解決できないわけではない。
他人としてエルヴィールの問題を見ていた時は、難しい状況にいて解決するのには時間も労力もかかってアレクサンドルが遠ざけることによって解決しようとしていたことも納得がいく状況だった。
しかし、彼女からは見えていたのかもしれない。
解決への道筋が光りのように差し込んでいたことに気がついたのかも。
それはきっと彼女が当事者としてその場にいたからこそ気がつけたものだ。
だから、部外者のまま拒絶されただけで終わって、仕方がなかったなんて情けないことを言うのは嫌だと思った。
覚悟を決めて、まずはディオンを説得するべきだと考えて彼を呼び出してみた。
完全に拒絶されたので、もちろんそんな簡単に接触できるとは思っていなかったが、彼はクロエに呼ばれたらやってくる男だった。
「……」
「……」
真剣な表情をしている彼の隣には、ジルベールと同じぐらいの年頃の男の子がいて彼は弟のエクトルと言うらしい。
エクトルは不安げにクロエのことを見つめている。
ディオンとは違ってエクトルはリクール辺境伯や辺境伯夫人とよく似た綺麗な金髪をした男の子で、おっとりとしていて大きな瞳やその態度から小動物のような印象を受ける。
しかし突然呼び出してしまったので、弟が引っ付いていることを下手に触れても仕方ないし、ディオンの指にはデートをした日に適当に渡した指輪が輝いていて、未練はがっつりあるのだということも理解できる。
……まぁ、あんなふうに言い逃げしたのも、あれ以上言葉を交わせば私に言いくるめられると思ったからでしょうし、きらいになったというわけではないのだから変なことではありませんが。
「……」
「……」
しかしそれにしても来るとは思っていなかったので、なにから話そうかと今更考えてしまう。
クロエは言い逃げしたことには怒っているが、事情を包み隠さずに話して距離を置こうとした誠実さについては認めているし、彼を開口一番責めるのも違うだろう。
だからと言ってこの場に至るまでのクロエの感情の変化について話すというのもあまりに情けないことのように思えた。
そんな無言の時間が続くと、二人のことをきょろきょろと見比べてそれからエクトルがクロエに問いかけた。
「ねぇ、こうしてまたクロエ様とお話できるってことはクロエ様が僕らを助けてくれるってことじゃないの?」
「っ、こら、エクトル静かにしていてくれって言っただろ」
「だって、二人とも深刻な顔をして黙っているから、せっかくのチャンスかもしれないのに」
「違う、まったくもってそう言うんじゃない俺は……」
彼は弟をやんわりと叱って、服の裾を引いて瞳に涙をためる彼に言い淀む、それからディオンはクロエの方をちらりと見た。
「……」
「助けてほしいなんて思ってないし。そもそも保護者としての義務がある人間が助けるならわかるけれど、そうじゃない人間に助けてもらうってそんなのことは普通じゃない」
「でも、助けてくれるならその方がいいじゃん。お兄さまだって本当は、あの人から解放されてクロエ様と結婚したいくせに」
「っ、あのなぁ、やめてくれ。そう簡単な話じゃないんだ」
ディオンはエクトルの肩を掴んで、苦しげな表情をしていた。
口調もしかりつける様なものではなくて、まるで疲れ切った母親がお願いだからと息子に言うようなそんなニュアンスを含んでいた。
「……いいよ。わかった。僕どうしてもここに居たらお邪魔みたいだから、どこかで遊んでくるよ、子供みたいに」
エクトルがそういうのでクロエはジュリーを振り返って「それなら庭園を案内してあげてください」と伝えると彼はディオンからプイっと顔を逸らしてジュリーについて出ていく。
庭園は丁度窓の外から見ることができる位置なので、ディオンも安心だろうという配慮だったが、彼がいなくなって切羽詰まったみたいに短くため息をついてから、クロエの方を見ないまま彼は言った。
「弟が生意気なことを言って申し訳なかった、クロエ。ただ今言ったことは事実なんだ。俺はあんたに呼び出されてまったく希望も持たずに来たっていうと嘘になる」
やっとエクトルを皮切りに会話が始まりディオンがどういう心境なのかを知ることができる。
「でも、気持ちは変わってない。今日はそれだけ言いに来た。弟の言葉は気にしないでくれ、屋敷に置いていくのは忍びなくて連れてくるしかなかったけど普段からあんなにべったりというわけじゃないし」
「つまり私と結婚するつもりはないと?」
「ああ」
「……それは結局好意からくる拒絶ですよね」
「……もちろん」
ディオンの言葉に問いかけると彼は、まったくクロエへの好意を否定するつもりがないらしく首を縦に振って少し赤くなって答える。
その様子を見つめて、クロエは問いかけた。
「そうですね。……ディオン、私今まで疑問だったのですが、聞いてもいいかしら?」
「? ……ああ」
「そもそもあなたのその行き過ぎた私に対する好意はどこから来るのかしら。十年も前からファンだったと言っていたけれど、そもそも私、王都の騎士見習いになったのが十二歳の時で、王太子妃の候補に挙がった時もそのくらいですよ」
クロエの言葉に彼はハッとして、クロエのことを見る。
どうやら、やはり王太子妃候補として選出されて話題の人になったゆえの憧れではなく、それ以外の何かが彼の中にあるらしかった。
「そうすると計算がおかしいわ。十年前と言ったら私、七歳か八歳だもの。あなたはどうして私のことを好きになったのですか」
「……そ、それは……」
「きちんと話をしてほしいのです。ディオン、私はやっぱりあなたに拒絶されたとしても、それだけであなたを諦めたくない。あなたが私を大切に思っているままならばなおさら。……欲張りかもしれません」
「でも、」とクロエはつづける。
「それでも、こればかりはと譲りたくないものをやっと見つけられた気がします。私は割と、やってくる環境に受け身に接してきました。才能があるから騎士団の見習いになったし、選ばれたから王太子妃候補になって、申し込まれたから婚約者になった」
「……」
「それらはどうしても欲しくて望んだものではありませんわ。それより出会う人とか、家族とかもっと大切なものがありましたから。でもあなたは今の環境を打破しないと手に入れることができませんもの。それなら、やっぱり変えたい」
彼を説得するために考えた言葉が案外すらすらと出てきて、クロエは笑みを浮かべた。
ディオンは思わぬ言葉に、目も合わせていないのに顔を赤くしていて羞恥心を感じているようだった。
「それだけ、私を想ってくれるディオンを手放したくないと思いました。あなたに隣にいてほしいんです。ならばあなたはなぜ、私を想っているのにそれを拒むのか私に納得させる義務があると思いませんか」
「お、思いますっ」
「そうですよね。じゃあ、話してくれますね」
クロエの誘導的な質問に彼は、少し喉を詰まらせて、やっと少し逡巡したが答えは歯切れのよい返事だった。