32 母
「あたしの子供なんだものあなたならできるわよね。できないなんて言わないでしょう? ああもう、どうしてそう可愛くないのかしら、困るわ。そこばかりはあの子とは違うのね」
適当に対応していると彼女はどこを起点にかわからないがイラつきだして、真顔になって続けた。
「フロランスの息子はまったくぼんくらであたしとは違うけれど、あの人の子供は愛嬌があるわよね。子供がそうなら親もそう、フロランスがそうだからフィルマン様はあたしのことを優先しないのかしら。ねぇ、どう思う、ディオン」
「……」
「聞いてほしいのよ。あなたは困ってるお母さんを見捨てるようなそんな子じゃないわよね。あなたはあたしが全部教えてあたしが全部躾けて、あたしのために生きているのに」
目を見開いて、真顔でそんなとんでもないことを言う母に、ディオンは否定することなく「そうだな」と短く返す。
すると彼女はほっとして、続けた。
「そうよね。あたしを否定したら、あなた自身を否定するようなものだもの。服だって髪型だって、食事だって教養だって全部あたしの……あら、でもなにそれディオン」
彼女は上から下までディオンのことを見つめて、それから目ざとく中指のリングに気がついた。
…………クロエのくれた……。
「センスないわね。あたしこんなもの恥ずかしくてつけられない。あなたもそう思うはずでしょう?」
「…………」
「ヤダもう、可笑しい。嫌だわどうしよう、こんなにセンスがないだなんてこんなこと思わなかった。フロランスの息子はどうだったかしら? あの子のセンスで服を着ている?」
「母さん」
「あの女はどんなふうに教育していたっけ、また見に行かなくちゃ、なにか画期的な方法を使っていたらどうしよう。どうしたらいい? ディオン」
ディオンに問いかけつつも、彼女の頭の中での思考はとめどない。声をかけても反応が返ってくることはない。
「どうしたらいいって、結論は出てるわよね。もういやだわ。ああもう、困っちゃう、でも大丈夫よ。あたしよりあの女の方が優れているなんてことないはずだもの。だってあたしこの家に来てすぐに子供を産んだのよ?」
彼女は一日に五回以上はそのセリフを言う。
「そんなはずないものね、それにほら子供の才能ってすぐ枯れるって言うじゃない? 大丈夫よちょっとあたしが言えばすぐに心が折れるわ、大丈夫よディオン」
その言葉にディオンはどうしても看過できずに、なにか理由をつけて指輪のことを無かったことにする選択肢が頭に浮かぶ。
いつもならそうして、安心させてやることができる。そうしたら、あの子の負担を少しでも減らすことができる。
けれども、この指輪だけはどうしても否定したくないし、外したくもない。
クロエにとっては言い逃げをされて別れることになり、最低最悪の男に成り下がったに違いない。
だがしかしそれでも、自分自身よりもあの子よりも大切なもので、ディオンは歯を食いしばって、疲労を忘れることにした。
どんなに明日が忙しい一日になろうとも、今できることはそれしかない。
「それは、悪くない提案かもしれないが、もう少し案を練ろう母さん……。下手をして心象が悪くなるのは良くないと思うだろ。俺はいくらでも付き合うから」
「! そう!? ああそう言ってくれてよかった。そうよね、あなたがあたしを突き放すはずないもの、一緒に考えてくれて当然だものね」
笑みを浮かべる彼女をソファーに案内して長い夜を過ごす覚悟をした。そして彼女の堂々巡りの会話に付き合ったのだった。