31 後悔
走り出したディオンは荷物を抱えて馬鹿みたいに息を切らせても走り続けた。
頬を切る風は冷たいのに体はどうにかなってしまいそうなぐらい熱くて酸欠で目が回りそうだった。
「っ、はっ、はっ、はぁっ、っ」
足が重くなって汗が額を伝う。足を止めたら彼女に見つかってしまいそうなうえに猛烈に情けなくて、走るのをやめることができない。
しかし足がもつれて転んでさらに情けないことになる。その前に、なんとか速度を緩めてどこだかわからない道端で立ち止まって、うつむいた。
「っ~、はぁ……っ、…………っ」
息を整えている間も、自分のことを責めずにはいられない。
本当はこんなことをするつもりではなかったのだ。きちんと話をして、納得してもらってそれじゃあ、またどこかで会ったらと笑顔で別れるつもりでいた。
けれども同じ馬車に乗って彼女を見送るところまでいったら、きっと彼女はディオンに対して情を見せて、手を貸そうとしてくれそうなそんな予感がした。
うぬぼれた考えかもしれないが、アリエルが言っていたように彼女は愛情深い方だろうし、関わった人間がそんな苦労をしていると思えば一緒に考えようと手を取ってくれるような人だ。
しかし自分はどうだろうか、身内のことすらまともに解決をできず、彼女にあこがれて、応援して満足して、自分はなにもなしていないというのに、意図していない出会いとはいえそばに寄ろうとした。
その隣にいることがとても楽しいだとか、自分を見つめてくれることを嬉しく思う気持ちだとかそういう物は潰しても潰しても次から次に湧き上がって仕方がない。
そしておこがましいまでの思い出すら貰ってしまって。
「っ、…………」
左手の中指の彼女が適当にはめた指輪を見る。
それがどんな宝石や素晴らしい魔法石の光よりも、夕日に照らされて煌めくと美しく思えて、クロエの尊さに涙すら出てきそうだった。
……こんな物まで強請ったみたいに手に入れて、彼女の時間を奪って、まったく馬鹿だ、本当にどうしようもない間抜けだ。どうあってもふさわしくない人間なのに。
だからと言って彼女が納得する時間も設けずに言い逃げするなんて、最低な男のやることだ。
このまま消滅して二度と生まれてこない方が彼女のためですらあるような気がする。
沈む夕日とともに消えてなくなって、塵になってしまえたらと思うのに、そう簡単に命というものは終わらなくて、時間が経てば屋敷に戻らなければいけないと考えが働くようになる。
けれど、まぁ、それでも包み隠さず彼女にすべてを打ち明けて、終わりにすることができたことだろう。
それだけはよくやった、と思う。
適当な商店に入り金を積んでつかいの者を出して、屋敷の者に迎えを頼むとやっとディオンは自分の屋敷に帰りつくことができた。
帰宅すると部屋に母であるクローディットがやってきてキラキラとした瞳で、ディオンに詰め寄る。
「ずいぶんと帰りが遅くなったのね、ディオン。それでセシュリエ公爵令嬢とはどうでしたか? うまくやったのでしょうね? あなたと来たら本当にまったく女っ気もなくて気も利かないのですからあたし心配していたのよ?」
うんざりした気持ちでディオンはクローディットに対して視線を向けた。
「うまく、やったのでしょう?」
「……ああ」
再度問いかけられて、ディオンは嘘を言った。
本来ならば彼女にクロエとの関係があることすら漏らすべきではなかったが、彼女の家から正式に申し込みがあった以上隠すことができなかった。
「そう! そうよね、そうでなくては困るわ。なんのためにあなたにこれだけ時間をかけているか、そうでなければわからなくなってしまうもの。それに比べてあのフロランスの息子と来たら今日も母親にべったりで家庭教師も呼ばずに遊び三昧ね」
「……」
「やっぱり年増の生んだ子供というはダメに決まっているわね、そうよね。あたしの子が、あたしが一番、この家のためになることをした跡取りにふさわしい子供を産んだのだもの」
座らせると長いので、立ったままいつものように対応しようと思ったが、先ほど突然走り出すという行動に出てしまったせいで疲れてけだるく思う。
「あなたをあの女の息子よりも立派に育てて、育ちのいいお嬢さんをもらって、もうずっとあたし夢みたいなんだから。でも! ただのぼんくら跡取り息子になんてなったらだめよ」
無言でいても彼女は一人でひたすらにしゃべる。
「フィルマン様課題なんてとっくにあなたなら終わらせているわよね。明日は魔法の先生もいらっしゃるのだし、剣術の訓練だってあるでしょう? ゆくゆくは魔法学園にも入学して、騎士の称号も取って、他領地にも一目置かれるような存在になるのだから一日だって休めないわ」
母の瞳はキラキラを通り越してギラギラとしており、ここ数年は特にひどい。
そのなんとも夢見がちな妄想にディオンは薄ら笑いで返した。