18 崩壊
カジミールはあの生意気な女をぎゃふんと言わせてやると意気込んでいた。
王城でのあの舞踏会依頼、頭に血が上ってしょうがない。
思い出すだけで腹が立つ。領地の方へと戻ってしまえばあの、女にのぼせて平和ボケした男に、女性の尊厳がどうとか、気持ちがどうとかと講釈を垂れられて肝心のクロエになにかをすることもできない。
きっとあのトリスタンもこんな気持ちだったのだろう。
これはたしかに堪らない。しょせんは男に媚びをうっていい結婚をして後は子供を生んでのんびりと過ごすだけの女という生き物のくせに、男を馬鹿にして、どういう了見だ。
男の尊厳を破壊されてこのままではいられない。取り乱した手紙も送りたくもなるというものだ。
しかしカジミールはそこまで策のない間抜けな男ではない。計画を練って自身が持てるあらゆるものをつかってあの女を追い詰めて、言い寄らせたあと最後にはこちらから捨ててやろう。
そうすれば自分のやったことを後悔して絶望するに決まっている。
はじめはディオンに対する気持ちから舞踏会の行動をうつしたというのに、今ではすっかりクロエのことしか頭になかった。
そしてその計画のために、取り巻き……ではなく目をかけてやっている二人を今日も呼びつけて、カジミールは目の血走らせて視線をむける。
「だから魔獣を使ってあの女をおびき寄せて、私に仕える騎士を使い襲撃させる弱ったところで、私が手を貸してやってというのが今のところ一番、いい案だと思うんだ」
「……」
「……」
「あの目立ちたがりの女ならば自分の功績欲しさと、いい顔をしたい気持ちで、地元近くに魔獣が出ればすぐに飛んでくるはず……おい、黙っていないでなんとか言ったらどうなんだ」
しかし、レアンドルもジャックも、微妙な顔をして黙り込んでいるだけで、カジミールの言葉に答えない。
いつもならば喜んで競うようにして案をあげるというのに、その態度にカジミールは何故か焦燥感をおぼえて続けて言った。
「そうだ、君達の案も聞いてやろう。次回来る時までに考えて置けと言っておいただろう?」
「……そう、ですが、あの……」
「…………」
「どうしたんだ。……深刻な顔をして……」
はっきりと物を言わずに、気まずそうに眼を合わせてそれから首を振ったり促すように顔を動かしたり、まるでそれは何かを押し付け合っているようなしぐさだ。
それをみてカジミールは早くしろと怒鳴りたくなった。
しかし、ぐっとこらえてぎこちない笑みを浮かべて腕を組む。
自分は男の矜持を軽く見ているような陳腐な男なんかではない。もちろん庇護している人間の言葉を聞いてやるだけの器も持っているし、本来ならあんな不正など滅多なことがない限りしたりしない。
そういう男だ。そういう男らしい男なのだ!
「……なんだ? ……言いたいことがあるなら、聞いてやろう」
こらえながら心底優しい声で問いかけた。するとジャックの方がやっと決意を固めてカジミールのことを見やった。
「あの、カジミール様、その……もうやめませんか?」
「……私たちは、カジミール様を信じてここまでやってきましたが、あの人に関わってからそのいいことが一つもない……これ以上ベルナール様に目をつけられるようなことをして……その……あの」
もごもごと口を動かす彼らの主張に、カジミールはブチンと血管が切れて出血を起こしそうなぐらいだった。
そのぐらい腹が立って、目の前が真っ白になりそうだった。
……。
「君達まさか、ベルナールになにかを吹き込まれたのか?」
しかし怒りは過ぎると通り過ぎて一周回り、冷静にあの男が手を回したのだろうと理解できて特定のために聞く。
二人はびくりと驚いてごまかすように必死に手ぶりを大きくして違うのだとアピールする。
「いや、そういうわけではっ、決して、でもほら、なによりアリエル様の魔法の恩恵を受けられるのが我々のような小さな領地を持つ貴族にとっては重要ですし……」
「アリエル様の魔法の恩恵をいつまで与えるのかもあの方の采配で簡単に決まるじゃないですか……」
「……」
「近頃は、豊作の波が来ていますがいつまた転落するかわかりませんし、それにクロエ様にそれほどこだわる理由だってないはずです」
彼らは必死に言い訳を重ねていく。
我がレガリア王国は、五年ぐらいの単位で不作と豊作を繰り返す土地柄だ。
それには土地の魔力が関係しており、領地の収穫量によって大きく生活が左右されるような小規模な領地を持つ貴族たちにとってそれは大問題だ。
現に伯爵家出身のアリエルもそのあおりを受けて、魔法学園への入学を断念することになった。
しかし、彼女は土の魔法を持ち、その波をできるだけ抑えるための魔法を考え続けて試行錯誤した。
自身が安心して学園に通えるように努力を続けることをやめなかった。
そんな誰も解決できない問題に挑んで、自分の功績しか考えていない馬鹿な女を支援したのがベルナールだった。
その結果、運のいいことに努力は身を結び、今では北側領地の中で一番重要視される人間になっている。
その将来性を見透ける慧眼にはカジミールも一目置いているが、しょせんは運がよかっただけの男だ。
そんな男が幅をきかせ、クロエの結婚相手すらも自分のお気に入りをあてがい、そしてさらにはカジミールが直接面倒を見てやっている彼らにもその魔の手を伸ばしている。
それは言い表せないような絶望感で、カジミールはおもむろに立ち上がってレアンドルの胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「私を裏切るのか! あれだけ良くしてやったのに! 貴族社会で生きるためのノウハウを教え、あれだけ君らのことを考えやったそれなのに恩を返せないのか!」
「っ、そういうことではっ、━━━━」
口を開いた彼の頬に横から拳を浴びせる。
骨と骨が衝突するバキッという音が響き、レアンドルの頬は赤紫に色をかえる。
ここまですれば、彼らもいうことを聞くだろうとカジミールは考えた。
いつだって、カジミールは彼らよりも優秀だった。剣術勝負でも、知恵比べでも、ゲームでだって負けたことはない。
彼らは怯えてすくみ上り、カジミールの言葉を一身に聞く良き友人に戻るのだと信じて疑わなかった。
しかし胸ぐらをつかむその腕を力任せに握られる。痛みを感じて手を離すと、容赦なく突き飛ばされて想像していなかった反撃に驚いてソファーに打ち付けられる。
深く沈み込んで彼らを見つめると、その瞳は軽蔑しきった人間のそれであり、カジミールは不可解でならなかった。
「……カジミール様は良くしてくださっていたつもりだと思いますが、そもそも私たちにとっては毎日、カジミール様を持ち上げるばかりで疲弊するような日々でしたし」
「偉そうなことを言って勝負を挑み、不正をしつつも正論に負けて暴かれて……正直もうこれ以上、あがかない方が身のためっていうか」
「本当に、流石に無いです。俺が女性だったら、意地でもカジミール様のような人の妻になんてなりたくない」
「……」
「……だから、もうなにもしない方がいいって言ってるんですよ」
「さっき言ったようなことをして、なにになるっていうんですか。もう……やめてください、見苦しいです」
彼らは、様々な感情を見せた。
怒りだったり呆れだったり、苛立ちだったりその中にはカジミールに対する心配も含まれていることは、どんなに頭に血が上っていても頭の中で理解はできた。
ただ、そんなことより無礼だとか、誰に向かってと思う声が大きくなって、即座に反応を返せない。
「とにかく俺たちはもう、降ります」
「やるならお一人でお願いします」
「…………」
二人はそう言って席を立つ。
まだ、カジミールはなにも言っていないのに勝手に、帰ろうとしている。脅しや、怒りを伝える言葉が頭をめぐる、しかしそれをしても彼らを止めることはできないことが先ほど証明されてしまった。
しかしそれなら一人でも、とカジミールは自分がそういうふうに考えられる孤高で強い男だと思っていたが、自然と、席を立って彼らの方へと歩みを進める。
まったく追いつくような速度ではなかったが、彼らがいなくなることに恐れをなして、共に背負ってくれなければもうクロエに対する何もかもをやることができない自分を二、三歩進んだことによって自覚する。
「…………」
途端にクロエに言われた言葉が頭をよぎる。
陳腐で、矜持などなく、勝てる部分だけで勝とうとして不正もする、陳腐で、くだらない男。
頭の中で何度も何度も否定するが、消えないしなくならない。
膝が笑って「待ってくれ」とつぶやいた。その声が情けなさ過ぎて、自分のいろいろなものがガラガラと壊れて形を失う。
そしてカジミール自身も、崩れ落ちたのだった。