1-9 新たな一歩
屋敷の外に出ると、すでに空は茜色に染まっていた。遠くで雲がのんびりと風に乗って流れていくのを眺め、私は大きく背伸びをした。
んー、これでやっと終わったわね。グランディス・ソードの件といい、ウチの件といい長かった。とてもこの数時間の出来事とは思えないくらいだわ。でも肩の荷が全部降りたおかげか、体の疲れは感じるけど気持ちは晴れやかね。
(ルーカスはともかく……アネットに会わずに行くのはちょっと心残りだけど)
「侯爵家」という在り方に縛られてて、事ある毎に私を見下してた兄のルーカスは別にどうだっていい。でも病弱な妹のアネットは聡明で、比較的私にもフラットな立場で接してくれていたしね。
ま、これまでも私はいなかったようなものなわけだし、家を出たからって良くも悪くもマイペースなあの子が変わるわけでもないか。
(元気でね、アネット)
さて、それじゃエリーとの待ち合わせ場所に行きましょっか。確か、二番街にある探索者向けの宿の食堂だったっけ。さっと体洗ってさっと出てくるつもりだったけど、思ってたより時間過ぎちゃった。待ちくたびれてるかも。
ちょっと急ぎましょ。少し早足で門扉を開ける。すると出てすぐのところで、エリーが壁にもたれかかってた。ちょっと、もしかしてずっとここで待ってたの?
「やー、最初は店で待ってたんスけど、なんか一人だと落ち着かなくって……」
あー……それはそうかもしれないわね。私にとっては懐かしいこの時代でも、エリーにとっては時代も場所も知らないところだものね。まして探索者向けの店なんて、たいていは何人かでワイワイ騒がしく飲み食いする場所なんだし。ごめんなさい、気が利かなかったわ。
「そんな! 謝らなくってイイッスよ! 私が勝手に早く来ただけなんスから。
それよりも……もうご実家の用は済んだんスか? 荷物を取りに来たにしては随分少ないッスけど」
「ええ。ここには縁を切りに来ただけだし」
「ふえっ!?」
まあ急にそんな事言われたら驚くわよね。だけど、エリーはそれ以上の反応はしなくて、ただちょっと神妙な面持ちで「いいんスか?」とだけ尋ねてきた?
「良いのよ。元々ここには私の居場所なんてとうの昔から無かったし、そんな場所にすがったところでお互いに良いことなんて無いもの」
それに、さっきのお父様とのやり取りでも多少の緊張と寂しさはあったけど、縁を切ってもそこまで衝撃も悲しみも無かった。つまり、私の心はもうとっくに離れてたんだってことよ。
微笑みながらそう伝えると、エリーは少し困ったような顔をしながらも笑ってくれた。
「ミレイユさんが決めたんならアタシから言うことはないッス。正直、こんな太い実家と縁を切ったってのは信じられないッスけど……
それで、これからメシの種はどうするッスか?」
「エリーはどうするつもりだったの?」
「アタシができることなんて限られるッスからね。幸いこの時代にも探索者なんてヤクザな仕事があるわけですし、未来と同じようにそれで食いつなぎながら、秩序が崩壊した原因を探っていくッスよ」
エリーはこの時代よりも過酷な環境で生きてきたわけだし、この間のアースドラゴンとの戦いを見ても十分探索者として生計を立てていくのはできそう。それで良いと思うわ。
私も当分は探索者稼業を続けるとして……でも別に探索者になりたかったわけじゃないし、どうしようかしら。
クーザリアスたちと頻繁に顔を合わせるのも面倒だから避けたいし、せっかくこれから新しい人生を始めるわけだから、どうせなら何か新しいことを始めたいわね。どうしようかしら。
「ミレイユさんの好きなことや得意なことってなんスか? まずはそれから始めてみるのもいいかと思うんスけど、どうッスかね?」
好きなこと、ね……何があったかしら。こっちで過ごしてた時はずっと淑女教育ばっかりさせられてたから、パッと思いつかないけど……あ、でも日本だとプログラミングが大好きだったのよね。それを仕事にするくらいだったし。
(それに、あの魔法構成を弄る時の光景……)
たくさんのモニターが浮かび上がってきたあの世界。モノトーンなんだけど、私にはすごくキラキラして見えた。こっちだとプログラマーなんて仕事はないけど、それと同じように魔法の構成を弄ることができるようになったわけだし、やっぱりそれを活かしたいわねぇ。
そうして思考を進めていくと、ついさっき侯爵家の中で見た地下室への階段が思い浮かんだ。
(ああ、そういえばそうだったっけ……)
禁じられた魔法の勉強。だけど諦めきれずに忍び込んだり、中の本や魔道具をこっそり持ち出すくらいに私は魔法と魔道具が大好きだった。
魔力を注いだ瞬間に浮かび上がる魔法陣。見様見真似で作った初めての自作魔道具が、試行錯誤の末にちゃんと動いた時の胸の高鳴りを今もハッキリ思い出せる。あの時のワクワク感と、プログラミング完了間近の高揚感が私の中で結びついた。
「魔道具屋……でも始めてみようかしらね」
「お、いいッスね! ならミレイユさんが魔道具屋を開店したら、真っ先に買いに行くんで楽しみに待っててください」
「え? 一緒に住むんじゃないの?」
って口にしてから気づいた。この時代にツテも何もないからてっきりエリーは私と住むもんだと思ってたけど、よくよく考えたらそんな約束全くしてなかったわね。ああ、恥ずかしい。
ごめんなさい、忘れてちょうだい。そう言おうとしたけど、エリーからも「いいんスか?」って前向きな返事がきた。
「正直、アタシとしてもその方がありがたいッスけど……」
「良いのよ。一人より二人の方が何かと助かるし、私も一人っていうのは寂しいし、ね?」
「なら決まりッスね」
エリーとがっちりと握手を交わす。これからよろしくお願いね。そう言い合ってお互いに微笑んだ。
「お嬢様!」
そうしていると、私を呼ぶ声が聞こえた。振り返れば、ユフィが息を切らしながら走ってきていた。どうしたのよ、ユフィ。
「お嬢様が侯爵家を出られると聞きまして……本当ですか?」
「ええ、本当よ。もう、あの家には戻ることはないわ」
私が決断を伝えると、ユフィはそのまま呆然として泣きそうな顔をした。だけど口元を真一文字に結ぶと徐ろに頭を下げてきた。ちょっと、どうしたのよ。
「お嬢様が使用人たちからもずっとイジメを受けていたことはずっと存じ上げていました。にもかかわらずお嬢様をお守りできず……本当に、申し訳ありませんでした」
「……貴女が謝る必要はないわ、ユフィ」
使用人たちの態度は、侯爵様やルーカスお兄様の態度によるところが大きい。そんな中でもユフィだけはずっと私に親身になってくれてた。どうして責めることができるかしら。
それに。
「貴女だって私の世話をすることでいじめを受けていたでしょう?」
謝るべきは他の使用人たちであって、ユフィが責任を感じる必要性なんてこれっぽっちもないわ。
そう慰めたけれど、ユフィは緩々と首を横に振った。
「止められなかった以上、私も同罪です。誠に、申し訳ありませんでした……」
「分かったわ。貴女の謝罪は受け入れる。だから頭を上げて」
本当にいい子だわ。自分も辛かったでしょうに、いつも私の前ではニコニコと笑ってて、その笑顔に何度救われたかわからないくらい。だから。
「私は、これから新しい道を進んでいくの。だから、ユフィ。貴女には笑顔で見送ってほしいわ」
「……かしこまりました」
そう伝えると、ユフィが涙でにじんだ眦で笑ってくれた。ありがとう、やっぱり貴女には笑顔が似合うわ。
「それで、あの……これからお嬢様はどうなさるおつもりですか?」
「ちょうど今、これからこの子――エリーと一緒に暮らすって決めたところよ。当分は探索者としてお金を稼ぐつもりだけど、そのうち魔道具屋を開こうと思ってるの」
だからそのうち遊びに来てね、と続けるとユフィはうつむいて、手をもぞもぞとし出した。けどパッと顔を上げると真剣な眼差しを私に向けた。
そして。
「私もお嬢様について行っても宜しいでしょうか? いえ、どうかご一緒させてください!」
そんなことを言い出して、思わずエリーと顔を見合わせた。
気持ちは嬉しい。けど……侯爵家は使用人にもそれなりのお給料は払ってる。私がいなくなればユフィが他の使用人からいじめを受けることもなくなるだろうし、ついてきても良いことなんて、きっとないわよ?
「私はこれからもお嬢様のお世話をしたいんです! ご迷惑はお掛けしませんから、どうか……お願いします!」
「お給料もそんなに払えないわよ? 魔道具屋を開くためのお金も必要になるし、もしかしたら日々のご飯にも困る生活になるかもしれないわ」
「構いません! その時は私も別にお仕事探してお支えします」
「苦労するわよ?」
「大丈夫です。正直……不安が無いと言えば嘘になります。ですが私はもう、後悔したくないんです」
だから、お願いします。ユフィは大きな声でハッキリとそう言ってくれた。参ったわね、そんなこと言われたら嬉しくて断れないじゃない。
「いいんじゃないスか? 二人より三人の方が絶対楽しいッスよ」
エリーの顔を見ると、彼女も笑いながら賛成してくれた。なら決まりね。
私とエリーがそろってユフィに手を差し出した。
「これからもよろしく、ユフィ」
「……はい!」
ユフィの弾むような声が響いて、三人の手が重なった。
伝わってくる温もりが、私たちの前途を示している。そんな予感がした。
第1部 擦れた元令嬢の決別 了
お読み頂き、誠にありがとうございました!
これにて第1部完です。第2部は1週間ほどおいて、週1~2回程度のペースで投稿していきます。
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