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1-8 決別




 ああ、この子たちね。二人の姿を見た瞬間、私はピンと来た。

 彼女らは昔から特に私に嫌がらせをしていた二人だ。入ろうとしたお風呂のお湯が水だったり、朝の洗顔時にゴミまみれの水を持ってきたりと、私に対してやりたい放題だった。だから特に驚くようなことじゃない。


「タオルと私の服は?」


 くっちゃべってた二人が私の声に振り向くと、ずぶ濡れ全裸の私にギョッとしたけど、すぐにニヤニヤと底意地の悪そうな顔に戻った。


「えー? 知りませんけどぉ?」

「誰かが汚れ物と勘違いして持ってっちゃったんじゃないですかぁ? お体の汚れはお風呂に入っても取れないみたいですし」


 もちろん体は洗ったからキレイだ。だから彼女の言う「汚れ」っていうのは傷痕の事でしょうね。

 野盗に襲われた時の顔の傷に失った左腕。くわえて、回復魔法も使えず、ポーションも使わせてもらえなかったから、私の体には迷宮探索で残った痕が体の至るところにある。

 その傷自体は私が必死に生きてきた証だから今は誇りにさえ思えるけど、長年この屋敷で働いて貴族文化に染まった彼女らにとっては恥ずかしいものに思えるんでしょうね。くだらない。

 彼女らの後ろではユフィが申し訳無さそうに顔を伏せていた。その左頬が赤くなってることに気づいた。


(へぇ……やってくれるじゃない)


 ユフィのことだからたぶん最後まで嫌がらせに抵抗した結果なんでしょうね。でも私にとって唯一の味方である彼女に手を上げた。私だけなら嫌がらせもスルーしてあげられたけど――相応の代償は払わせてあげようじゃない。

 怒りを拳を握りしめて抑える。正直ぶん殴ってボコボコにしてやりたいところ。でもいきなり拳で語るのはスマートじゃないわ。

 ため息で怒りを発散し、代わりに魔法を展開する。そして二人の頭上から大きな水球を落下させてやった。


「きゃあっ!?」

「ちょっと! なにすんのよっ!」

「なに? 分からない? 勘違いしてる使用人に立場を教えてやったのよ」

 

 ずぶ濡れでしゃがみ込んでる二人に顔を寄せる。目を覗き込み、冷たく笑いながら私はその顎をそっと撫でてあげた。


「私は仮にも侯爵家の娘。そんな相手を辱めて何の咎も受けないと思ってたのかしら?」


 過去の私なら泣き寝入りしたんでしょうけどね。あいにくと私はもう「私」じゃないの。現代日本ならともかく、この貴族社会でこんなことしといて――


「殺されないだけマシ。ねぇ、そう思わない?」


 そう囁いてあげると愚か者二人の顔色が恐怖に染まった。


「何をなさっているのですか、ミレイユ様!」


 と、そこで私を叱責する声。振り返れば、メガネを掛けた執事長がずぶ濡れの私たちをにらんでいた。


「そのようなお姿ではしたない。探索者となって慎みもお忘れになられたのですか?」

「忘れちゃいないわ。私だって別に裸体をさらしたいわけじゃないけど、誰かさんの教育が行き届いてなかったから裸で指導してあげなきゃいけなかっただけよ」

「……なにか不手際でもございましたでしょうか?」


 眉根を寄せた執事長に、懇切丁寧にお湯や服の事を説明してあげると、苦々しく顔を歪めた。あ、ユフィは違うからね。くれぐれも罰しないように。


「……誠に申し訳ございませんでした。二度とこのようなことがないよう努めます」

「もういいわ。下の人間は上の人間を見て行動するもの。貴方だって、お荷物の私に心から仕えるつもりもないんでしょう?」


 そう言ってあげると執事長が言葉に詰まった。額に汗が浮かび、咳払いしてすぐに「そのようなつもりはございません……」と否定したけど、視線は泳いでいた。私のことを軽んじてる自覚はあったんでしょうね。

 でも、もうどうだっていいわ。


「安心して。仕えたくない人間に仕えるのも今日で終わりだもの」

「……どういうことでしょう?」


 執事長が首を傾げる。けど、私は曖昧に微笑むだけで何も応えなかった。詳しく説明するのも面倒だし、その義務もない。だってもう私とは縁が切れるのだから。

 踵を返して裸のまま自分の部屋へ戻る。「裸のまま歩くのも、意外と気持ちいいものね」なんてうそぶきながら誤魔化したけど、正直恥ずかしい。でも今さら彼らの世話になるのも癪だからさ。

 羞恥心を押し殺しつつ部屋に辿り着くと手早く新しい服に着替え、そのまま荷物をまとめていく。とは言っても当面の着替えとかその程度。トランク一つにまとまるくらいしかない。服なんて後で買い揃えれば良いし、思い入れのある物もないしね。

 そう思いながらクローゼットの中を漁ってると、ふと埃を被った箱が目に留まった。


「これ……懐かしいわね」


 箱を開けると、中に入っていたのは擦り切れた魔法書と小さな魔道具だった。魔法書は初学者から中級者までが読む網羅的な本で、魔道具の方は簡単な魔力回路を組み込んだ照明具。確かどちらも地下の書庫に保管されてたもので、魔法の勉強を禁止された直後にこっそり持ち出して隠した物だったと思う。

 夜中にこっそりと何度も読んだし、分解したり組み立てたりしたっけ。他にも魔道具は後からも色々と集めてバラしたりして遊んでたけど、全部捨てられちゃったから残ったのはこれだけなのよね。

 それでも普通ならいつか見つかってしまうんだろうけど、ユフィを除いて誰も私を気にかけてなかったからそのままだったんでしょう。皮肉よね。

 それらを箱に戻し、トランク中に押し込んでそっと閉じた。


「さぁ、行きましょう」


 エリーが待ちくたびれてるわ。私はトランク片手に部屋を出て、その足で父の執務室の前に立つ。

 緊張を解すため、一度深呼吸する。腹に力を入れて扉をノックすると、中からは「誰だ?」という懐かしい声がした。


「ミレイユです。失礼します」


 入ると父であるベルハルト・アークフィルツ侯爵が正面に座っていた。

 こうして父の顔を見るのは、この時代だけで考えても何年ぶりかしら。探索者として活動し始めてから数年が経つけど、その間はほとんど顔を合わせなかった。にもかかわらず、父は私を一瞥だにせず手元の書類に視線を落としたままだ。

 勝手に探索者になっても、父は私に対して怒りもしなかった。嘆くこともしなければ、心配をするでもない。ただひたすらに無関心と言っても良いかも知れないわね。


(思えば――)


 物心ついた頃から、父との思い出はひどく乏しい。私がこの家でしていたことは、いつ王族に嫁いでも大丈夫なように淑女教育ばかり。魔法を勉強したいと言っても、私には必要ないと言って魔法書や魔道具はすぐに取り上げられ、会話という会話は淑女教育のテスト結果を叱責することくらいだったように思う。

 父が無口な人間ではあるけど喋らないわけじゃない。後継ぎである兄や、病弱な妹にはよく構ってた。一方で食事の席でも私に話しかけることはほとんどなくて、事務的な会話に終始してた。

 そういえば野盗に襲われ、私が左腕を失った時も私自身の心配はしてなかったわね。口をついて出てくるのは王子との縁談のことばっかり。「お前は王子に嫁ぐのだから」と事ある毎に口にしていたけど、婚約が破棄されてからは冷たい視線しか向けてこなくて、私への関心はいっそう失われていった。

 そんな父は、今も久しぶりに会った私に視線さえ合わせてくれない。

 胸が、痛む。それと同時に、吹っ切れる。

 父は私という存在を真っ直ぐに見てくれることはない。どれだけ、私が望んだとしても。さみしい。けれど、だからこそ私も心置きなく新しい道を歩き出せるわ。


「ミレイユ。見ての通り私は忙しい。用がないなら出ていきなさい」

「承知しました」


 義手に触れる。カチッと音がして二の腕から外れたそれを、「侯爵様」の机に置いた。ああ、ようやく私の方を見てくれましたね。


「今までお世話になりました。傷物になり、貴方の望む価値を無くした私を、今まで侯爵家に置いてくださったこと、心より感謝致します」

「何を言っている? ふざけたことを言ってないで――」

「ふざけてなどいません」


 父とようやく目が合う。一見冷静だけれど、蒼い瞳にひどい動揺が見て取れた。はは、そんな顔もできたのね。


「本当の腕を失った時、貴方の娘は死にました。それまでも私自身を見てくれていたとは到底思えませんが、あの瞬間に侯爵様にとって私の価値は失われたのでしょう。無関心ながらも死人が侯爵家にいることを許していただいておりましたが、今日からはご安心を。私は侯爵家に最初から(・・・・)存在しなかったものとしてお考えください」

「ミレイユ……」

「それでは失礼します」


 背を向け、扉へと向かう。だけどドアノブに手を掛けたところで「待て!」と侯爵様が私を呼び止めた。


「ミレイユ、お前のことは――」

「今さら何もおっしゃらないでください」


 もしかすると。もしかすると、父は本当は、ただ不器用なだけかもしれない。だけどもう、遅いのよ。

 私は振り返り、微笑んだ。父が、息を呑んだ。


「貴方は一度足りとも私に愛を伝えてくれなかったけれど……私は侯爵様を愛していました」


 今度こそ失礼します。部屋を出て後ろ手で扉を閉める。なんとか最後まで振り返らないでいられた。

 大きなため息が出る。閉じた扉を一度だけ振り返る。未練、よね。ああ、人との縁を切るってのはこんなにも痛いのね。

 それでも。胸を押さえ私は顔を上げた。そして父の部屋から私は遠ざかっていった。







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