1-7 実家
「いやー、見てたこっちもスカッとしたッスよ! ホンット、拍手を送りたいくらいッス!」
ギルドから離れた途端、エリーが興奮気味にまくし立て始めた。「あの男をもっと殴ってしまっても良かった」だの「土下座して謝らせるべきだった」だの言いながら拳をぶんぶんと振り回してる。こら、往来でそんな暴れたら危ないでしょ。
「おっと、すんません。でもスパッとアイツらと縁が切れて正解ッスよ。話を聞いてる限りだと、ホントとんでもなくろくでもない奴らッスから。むしろここまでよく堪えたって話ッス」
そうね。今なら私でもそう思うわ。だけど当時はそんな事にも気づかないくらい私は彼らに依存してた。
家族からないがしろにされ、婚約も破棄されて居場所を失った私を彼らは受け入れてくれた。それが嬉しくて、また失ってしまうのが怖くて、私は彼らの言うことを何でも聞いたし、クーザリアスの欲望も受け入れた。
まだ当時は彼らも今みたいな人間じゃなかった。クーザリアスは多少独善的で傲慢ではあったけど、成功するという野心に満ちていたし純粋だった。ダレスとジャンナだって私に気遣ってくれていたし、一緒に成り上がろうと懸命だった。成功を重ねていくにつれて変わってしまったけれど、でも彼らをそうしてしまったのには、ただ言いなりになり続けた私にも責任はあると思う。
「私の人生を彼らに預けてしまっていた。だから半分は私の自業自得なのよ」
だからって私を殺したことまで許せるほど、心は天使じゃないけど。
「……ミレイユさんは優しいッスね」
「そうでもないわ。本当に優しいなら、こうなる前にアイツらをたしなめてたわ」
たしなめたからって彼らは変わらなかったとは思うけどね。
ま、もう過ぎたことで、もう終わったこと。せっかく生き返ったわけだし、ここから新しい人生を歩んでいきましょっか。
「そうッスね。ところで、これからどうするッスかね?」
「とりあえず適当な宿を取って、ゆっくり休みながら考えたいところだけど……」
新しい人生を歩んでいくなら、私にはまだやらなきゃいけないことがある。
忘れてはならない。だけど、前に進むためには断ち切らなきゃいけないことが、ね。
「休む前に寄りたいところがあるんだけど、いいかしら?」
王都の中心付近にあるギルドからも歩いてそう遠くないところにある貴族街。その中でも一際大きな邸宅の前に私たちは立っていた。
「はー、ここがミレイユさんのご実家ッスか。平民から巻き上げた金でなんともご立派ッスね……っと、すみません」
「気にしてないわ」
彼女の時代の話を聞いた時に、彼女の身の上話も多少は聞いている。世界秩序の崩壊が本格的に始まるまでは今以上に貧富の差は激しかったらしいし、彼女自身幼い頃から食べるものにも苦労してたみたい。だから、つい嫌味の一つくらいこぼれるのも無理ないわ。
「じゃあ行ってくるわ。申し訳ないけど、終わったらさっき指定したお店で合流しましょう」
エリーに手を振って敷地内に入ると、足に重さを感じる。もちろんそれは気の所為に過ぎない。この家を訪れるのは十数年ぶりだけど、染み付いた感覚はこびりついた汚れみたいに中々取れないものね。
玄関口に立てば、この家で過ごした記憶が勝手に蘇ってくる。そのどれもがろくでもない記憶だ。緊張で心臓が早鐘を打つ。それでも大きく息を吸い込むと、私は扉を押し開けた。
「……おかえりなさいませ」
中にいた使用人たちが一斉に私へと振り向いた。
少し間が空いて誰かが頭を下げると、他のみんなも同じように手を止めて頭を下げた。だけど声には覇気がなく、いかにも形だけといった感じ。それでも努めて平静に「ただいま」と返事をしたのだけど、それっきり。みんな私なんて存在してないかのように自分の仕事に戻っていった。
(ああ、そういえばそうだったわ)
これがこの「家」なのだ。当主と跡取りの兄に粗雑に扱われている娘には、使用人さえ敬意を払われないどころか粗雑に扱われる。
だけど思ったよりも失望は無かった。逆にさっきまであった緊張が消えて、心は落ち着きを取り戻してくれた。それで気づく。もはやこの家に私はさして期待すらしてなかったのだと。
「誰か、お湯の準備をお願い」
ともかくも今の私は汗と埃と血まみれ。日本だと何日も泊まり込みで仕事をすることもザラだったから汗は別にいいとして、埃と血はさすがになんとかしたい。故に誰とも言わずお願いしたのだけど、まぁ誰一人動こうとしないこと。分かっちゃいたけど、ため息が出るわね。でも一応はまだ私の家だし、ここは図々しくいきましょうか。
確か、私の部屋は二階だったかしら。無視してくる使用人を無視し、記憶を頼りに軽くなった足を動かして進むと、階段脇にある扉が目に入った。
(あそこは、地下室への入口だったかしら)
まだ淑女教育がされ始めた頃、たまたま見つけて感動したっけ。たくさんの魔法書や魔道具があって、すっかりそれらに魅了された私。教育が本格化していくにつれて禁止されたけど、夜中にこっそり忍び込んでたのよね。懐かしいわ。
思い出に浸りつつ階段を昇って突き当りの部屋に入れば、一気に埃っぽい匂いがして思わず顔をしかめる。
「……そういえば掃除もろくにしてもらってなかったっけ」
使用人にお願いしてもテキトーにしかしてもらえず、しかも掃除の度に何かしら盗まれてたからお願いすらしなくなったのよね。そのことを思い出しつつクローゼットを漁って着替えを取り出す。あ、そういえばタオルとかってどうしてたっけ、と思ってると、部屋の扉がノックされた。
「おかえりなさいませ、お嬢様!」
扉を開けると、さっきとは違って明るい挨拶が返ってきた。息を少し切らしつつも柔らかい笑顔を浮かべてて、ちょっとささくれ立ってた気持ちが癒やされる。
「ただいま、ユフィ」
私も微笑みで返す。彼女はこの家の使用人だけど、数少ない味方だったのよね。昔から私に寄り添ってよく慰めてくれてたし、雷雨の夜は私が眠れるまでずっと微笑みながら手を握ってくれてたことだってある。
今、向けてくれている笑顔はその時と何も変わらなくて、そのことに安心している私がいる。会えて嬉しいわ、ユフィ。
「とんでもありません。私こそお迎えできず申し訳ありませんでした」
「いいのよ、気にしないで。ふらっと出ていってふらっと帰って来る私が悪いんだから。それで、どうしたの?」
「お湯をご所望とお聞きしましてタオルをお持ちしました」彼女は持っていたものを差し出してきた。「お湯も今準備してますからもうすぐお風呂に入れますよ」
さすがユフィ。助かるわ。なら行きましょうか。
着替えを持ってお風呂場に向かう。ユフィは私の体も洗ってくれるって申し出てくれたんだけど、断らせてもらった。貴族令嬢なら当たり前でも、もうずっと一人で暮らしてたし、今さらお風呂の世話までさせるのは気が引けるのよね。ホント、すっかり現代日本人に私も染まったわね。
ってことで一人でお風呂に入ったのはいいんだけど。
「……無いわね」
ユフィが準備してくれたって言ってたお湯がお風呂に張られてなかった。ユフィが嘘をつくはずもないし、と戸惑いながら中を覗き込むと浴槽は濡れてる。
ふーん。てことは誰かがお湯を抜いたわね。私への嫌がらせなんだろうけど、まったく、中学生のいじめかっての。
「ま、いいわ。ちょうど良かったし、試してみましょ」
氷を生成する魔法を詠唱し、浮かんだ魔法陣を注視するとコンソールが現れた。カタカタと仮想キーボードを叩いて構成をいじっていく。えっと、これに火炎魔法のモジュールを追加して温度調整関数も加えてっと。
最後に魔力を注いでいくと大きな水球が現れた。それを解放するとバシャッと浴槽にお湯が貯まってお風呂の出来上がり。うん、湯加減もちょっと熱めで私好み。
湯船につかって足を伸ばすと気持ちいい。正直このままのんびりとしていたいけど、別にお風呂に帰ってきたわけじゃないからね。手早く身を清め、体が温まったらさっと上がって着替えようとしたわけだけど。
「まったく……いや、なんとなく予想してなかったわけじゃないんだけどさ」
準備したはずのタオルや着替えが綺麗サッパリ消えていた。たぶん、お湯を抜いたやつと犯人は同じね。ホント、いい大人が何やってんだか。
たぶん私がオロオロするのを見て楽しみたいのだろうけど、残念ながら見た目は十代の乙女でも中身はすっかり擦れた三十路の独り身。しかもすっかり負けず嫌いに変化してしまったのだ。なら、死んでも相手の思い通りにはなってやるもんかってなわけで。
「いいわ。そっちがその気なら――」
相手になってやろうじゃない。
私はびしょびしょのまま脱衣所を出る。すると、ニヤニヤと談笑しているメイド二人の姿を認めたのだった。
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