3-10 脱出
「何よ、コレ……」
開いたモジュールファイルは、整然としてた他とは比べ物にならないくらいにコードはぐちゃぐちゃ。何より衝撃的なのが――今、目の前で文字が消えたり新しい行が挿入されたりしていってるってこと。
「これが自律制御用エージェントの暴走か……! 厄介ね!!」
「ミレイユ! あとどれくらい時間を稼げばいい!?」
ハーマンから悲鳴じみた声が上がった。見れば、さっきよりもさらにモンスターの数は増えてる。みんな必死で頑張ってくれてるけど、もう一刻の猶予も無さそう。
エリーも「私も加勢してくるッス!」と言って飛び出していった。お願いね。私も……全力を尽くすわ。
目を閉じ、小さく息を吐いて呼吸を整える。そして目を開けて、私は現れたキーボードに手を添えた。
「自律エージェントの変数を検索。変数をコメントアウトして書き換えを無効化……エラーか。なら処理をループに誘導。その間にモンスターの発生モジュールを――」
無心で手を、目を、頭を高速で働かせる。プログラムを書き換えていく。
汗がにじんで額から落ちる。だけどそれを拭うのも惜しい。頭痛が加速度的に増して、それでも奥歯を噛み締めて耐え、思考で痛みを上書きしていく。
「モンスターの増加が止まった!?」
「今のウチに少しでも数を減らすんだ!」
戦闘の音が意識の片隅に届く。急げ、急げ、急げ。
迷宮管理モジュールを再び開く。ぐちゃぐちゃなコードを整形したい衝動に駆られるけど、それを堪えて今はまず迷宮構造を安定させることを優先して――
「またモンスターが増え始めた!」
ちぃっ! もうループを脱出してきたっての!? さすがはAI様ね。
もう一度自律制御用エージェントをループに誘導し、さらに二重、三重に無駄な処理を行わせ、ようやく迷宮構造のモジュールに向き合う。
こっちにもエージェントが介入した形跡があちこちにあって、コードが乱雑になってる。なるほど、迷宮の構造自体が変化したのもここの書き換えが原因か。
ひとまずはこれ以上の変化を起こさせないようにしなきゃ。構造変化のパラメータを全部動的なものから固定値に変更していってると、ふと気づいた。
(ここのコード、自律エージェントとは違う誰かが書き換えた……?)
同じ内容のプログラムでも、書いた人物の「癖」というものがある。それはプログラムが複雑になればなるほど顕著で、だからこそ気づけた。
エージェントとは違う「癖」のある記述。すでにエージェントでコメントアウトされているけど、まるで素人が特定の結果ありきで強引に書き加えたように冗長で可読性の悪い記述。そして、そんなことを引き起こせる存在に私は心当たりがある。
(イゴールの魔道具ね……!)
彼の、そして彼が属するフェイタリス・コードが使ったあの魔道具は、きっとこの迷宮構造のコードを強引に書き換える効果があるんだと思う。
(だからこそ自律エージェントが介入してきて、それが繰り返されるうちに暴走を始めた……そんなところかしら)
ホント、とんでもないことをしてくれてるわね!
考察しながら手を動かしていく。すると――今度は構造モジュールのコードが次々と書き換えられ始めた。
同時に大きな地響きが轟いて、天井の岩石が落下してきてけたたましい音を立て始める。くそっ! あそこまでやったってぇのに、もう処理を終わらせたの!?
「やばい! このままじゃ生き埋めになる……!」
どうやら本気で迷宮は私たちを殺したいみたいね。私も必死に対抗してコードを書き換えていく。けど到底速度じゃ勝負にならない。
残念だけど、本当に残念で悔しいけど……今、この場で完全な修正は間に合わない。それでも必要な手がかりは十分手に入れた。なら――
「一度脱出するわ! 地上への脱出路を作るから備えて!!」
「分かったッス!」
みんなに向かって叫びながら新しいファイルを作成する。
(パラメータの変数名を改めて定義。別のモジュールに外出しして固定値を入力。エラーが起きるはずだから――)
そうなればエージェントはそっちの修正を優先するはず。果たして、目論見通り構造モジュールの変更が止まった。
(新しい変数を定義。現在地の座標を取得して地上入口までの傾斜角を演算。通路を規定する関数のパラメータを設定して――)
「嬢ちゃん! まだか!?」
「今やってるっ!!」
地上までの直通通路を強引につなぐコードを高速で書き加えていく。
頭が、脳が焼ける。再び鼻から血が滴り始めるけどそれを無視。
ひたすらに、ひたすらにキーボードを高速で叩いて叩いて叩いて――
「できたっ!」
実行キーに指を叩きつける。直後に轟音と共に壁が砕けて穴が伸びていく。
すぐにその穴が塞がろうとしてくるけど――それも想定済みよ!
(修正の適用時間ピッチを、リアルタイムから最大値に変更して適用すれば――!)
祈るような気持ちで実行キーを殴りつける。直後に迷宮の変形が止まった。今だ。
「走ってっ!!」
私の叫び声に、全員が一斉に穴へ飛び込む。
傾斜はきついし、足元も岩石が剥き出し。走りにくいことこの上ない。それでも唯一の脱出路。誰もが無心で脚を動かした。
「モンスターも追ってきてる……!」
「振り返るな、メルディア! 今は、外に出ることだけを考えるんだ……!」
聞こえてくるモンスターの奇声に耳を貸さず、全員が一心不乱に脚を動かす。
やがて、光が差し込んできた。
「出口だ! あと少し、みんな頑張れっ!!」
果たして、私たちは転がるように穴の外へと飛び出した。
けれどこれで終わりじゃない。
すぐに氷魔法を孔の中に次々と打ち込んで、迫ってきてるだろうモンスターたちを叩き落とす。
「孔を塞いで! 早く!」
「分かってる!」
私の怒鳴り声に応じたハーマンが、地形魔法で岩石を放り込み孔を何重にも覆い隠す。さらに上の岩肌を破壊して、轟音と共に崩れ落ちた斜面が完全に孔を塞いだ。
静まり返る。みんなの荒い呼吸だけが静かに木霊して、けれどもそれ以上音は無い。
「たす……かったの……?」
「みたいだな……」
メルディアとガイアスのそんなやり取りを聞いた途端、私の脚から一気に力が抜けていく。意識が遠のいて倒れそうになるけど、温かい腕が背中を支えてくれた。
「大丈夫ッスか、ミレイユさん?」
「……ええ、大丈夫よ。ありがと、エリー」
疲れの溜まった息を肺から押し出す。まるで何日も仕事で徹夜した後みたいな疲労感だわ。
(まだ、何も終わっちゃいないけど……)
結局自律エージェントの暴走は直せなかった。だから近い内にまた迷宮へと潜らないといけないでしょうね。けど今だけは、あの状況から誰一人欠けることなく生還したことを噛み締めたい。
「ごめん、エリー。ちょっと眠るわね……」
解決できなかった悔しさと生きて帰った喜び。その二つも眠気には勝てず、エリーの腕の中で私は目を閉じたのだった。




