1-2 再会
彼女は孔から身を乗り出すと、芯の強そうな瞳で私を見つめてきた。
この世界じゃ珍しくない黒髪をショートボブにしてて、眉は短め。瞳の強さと相まってキリッとした印象を受ける。歳はたぶん二十歳前後ってところかしら。
すっかりこの世界の科学的常識に染まった私は、摩訶不思議な現象を前に口をポカンとしてるしかできない。たっぷりと見つめ合ってタバコの灰がポタリと落ちた頃、彼女は真一文字に結んだ口を開いた。
『あなたがミレイユさん……で合ってるッスか?』
紡がれる声を聞いた途端、私に衝撃が走った。
彼女が喋った言語。それはこの世界のどれでもなくて、私がよく知っている音――すなわち、シュタイア王国の言葉だった。
もう二度と聞くことはないと思ってた音に、何かがこみ上げてくる。いい思い出なんてロクになくて、この世界に来て清々したなんて思ってたのに、望郷の想いっていうのは未だに私の中でくすぶってたらしい。
『あー、言葉分かるッスか? ヤバ、ひょっとして人違いッスかねぇ……?』
『……いいえ、合ってるわよ』
いつの間にかにじんだ涙を拭ってシュタイア語で返すと、彼女は不安そうな顔を一気にほころばせた。その様子に「まるで子犬みたい」なんて感想が浮かんだけれど、そんな私の腕を彼女はガシッとつかんだ。へ? な、なに?
『お願いがあるッス! 私を、いや私たちを助けてほしいんス!』
『そんな急に助けてほしいって言われても……』
話が突然すぎるでしょ。こちとら今は平凡なSEでしかないわけで、事情も分からずに助けろったって無茶が過ぎる話だわ。
そう伝えると彼女も前のめりになり過ぎたことを自覚したみたい。一度大きく息を吸って改めて事情を教えてくれようとした……んだけど。
『まずい! 孔が閉じ始めたッス……!』
空に開いた孔が段々と狭くなっていってた。なんだかよく分かんないけど、とりあえずマズそうってのは分かる。
かといって私に何ができるわけでもないし、あの世界に懐かしさはあってももう私はこちらの世界の責任ある大人なのよね。見ず知らずの娘に助けを求められて何も考えずに手を差し伸べられるほど余裕のある人生送っちゃいない。
私にとって、今のプロジェクトを完遂させること以上に重要なことはないの。
だっていうのに──
『……ごめんなさいッス!』
「えっ、ちょっと、待って──」
グイッと腕を引っ張られ、抵抗する間もなく気がつけば私の体はあっさりと浮かび上がって、そのまま孔の中へと引き込まれてしまっていた。
「きゃあああああっ!?」
真っ暗闇の中を落下していく。思わず悲鳴を上げたけど、想像していた衝撃はやってこなかった。
やがてふわりと体が浮いた感覚がして、そして一気に色鮮やかな世界が広がった。
赤い星が流れ、青い石が下から上へ舞い上がっていく。様々な閃光がカラフルに私と、私を抱きしめている女の子を染めあげていた。
なんてキレイな世界──って言ってる場合じゃない!
『ちょっと、あなた? いろいろと聞きたいんだけど?』
むしろ聞かせろ、というのが正しい。話によっては拳で会話することも辞さないわ。これでも昔は探索者として働いてたんだから荒事は慣れてる。ま、全然武闘派どころか、貧弱な魔法使いだったんだけど。
とはいえこれでも御年三十ウン歳。ブラック企業に勤め、とんでもない顧客にも鍛えられたからか、それなりに貫禄はついてるみたいで。
『分かってるッス……アタシから話せることはそう多くないッスけど、それでも答えられる限りは答えるッス』
彼女は顔を引きつらせながらも、真剣な顔でうなずいてくれた。
彼女はエリー、と名乗ると、彼女が知る限りの情報を教えてくれた。
話す言葉から分かっていたことだけど、彼女もまた私がかつて侯爵令嬢として暮らしていたシュタイア王国の出身だった。ただし、私が迷宮で死んでから数十年後らしい。
んで、その時代のシュタイア王国、というか世界全体がとんでもない状況になっているのだとか。
「えっと、ちょっと整理させてちょうだい……あなたの時代では世界中の迷宮が崩壊し、迷宮の外の至るところでモンスターが生まれて国は崩壊状態。社会秩序も何もかもがメチャクチャになってて、今現在は人類は滅亡の危機に瀕してる、と」
「そうッス! その理解で概ね間違ってないッス。で、ですね、神殿が『世界を救う鍵となる人物に会え』とかなんとか啓示? 預言?を受け取ったらしいんスよ。んで、その人物が迷宮にいるっていうんで私たちがその封印されてた迷宮に向かったんス」
「はぁ」
「封印された迷宮スからね。めっちゃ苦労したんスよ。モンスターはうじゃうじゃいるし、強いし。でも仲間たちが足止めしてくれて、アタシ一人がなんとか最深部に辿り着いたんス。そしたら急に光がドバーッとあふれてきてですね、誰かがミレイユさんの名前を告げてきたんス。で、気づいたら」
「孔が空いて、その先に私がいた、と」
私の確認に、エリーは大きくうなずいた。オーケー、話は分かった。分かりはしたんだけどさ。
「胡散臭いというか、なんというか……」
思わずため息が出る。話だけ聞けば、与太話が過ぎる。まだ中学生が妄想した物語の方がマシじゃないかってくらいだ。だけども、私はそのシュタイア王国の出身で、しかも世界を渡ってきた人間だ。信じざるを得ない。ま、胡散臭いのには変わりないけど。
「てか、なんで私なのよ?」
こちとらDランク探索者に過ぎなくて、剣も魔法もたいして使えない人間だ。「世界を救う」とか言われても何ができるとも思えないんだけど。
「それは……えっと、分かんないッス。アタシはただ、ミレイユさんの名前を告げられただけッスから……」
「ふーん、そ。まぁ正直なところ、キョーミないんだけどさ」
仮に私にその実力があったとして、あの世界を救いたいとも思えないし。だから早く元の世界に戻してくんないかしら? あの開発プロジェクト、もう時間がないんだから。
「そ、それは困るッス! みんなが犠牲になりながらアタシを最深部まで送り届けてくれたんス! 手ぶらじゃ戻れないッス!」
「困るったって、私だって困るのよ! こっちにはこっちの事情があるんだから!」
プロジェクトもそうだし、何より私はもう「あちら」の人間だ。せっかく新しい世界で居場所を見つけたのに、元の世界になんて戻りたくなんてないわ。
「そこを何とか! お願いッス! なんでもするッスから!」
「ちょ……! お尻にしがみつくんじゃない! 危ないじゃな――」
エリーが私にまとわりついてきて、バランスを崩してたたらを踏んだ。
その瞬間、パリン、とガラスが割れるような音がした。そしてかすかにあった足元の抵抗がフッと抜けて。
「へ?」
「ほ――ぎゃあああああああああっ!」
孔に引き込まれた時と同じく、急激に落下していく。
鮮やかな世界が瞬く間に遠ざかって世界が真っ暗に閉ざされる。体が加速度に押し潰されて息ができない。苦しい。そのまま私の意識は暗闇に吸い込まれていった。
かと思った途端。
「がっ!?」
背中に衝撃が走って強制的に覚醒させられた。その途端に、背中だけじゃなくお腹全体に激痛が走った。思わずお腹をさすると、ねっとりとした感触が手にまとわりついた。
それは真っ赤な血だった。
戦慄が走る。痛い。でも、どうして。
なんとか状況を把握しようと身を捩って左腕を地面につく。するとその左腕の感覚がひどく鈍くて違和感を覚えた。
「うそ……」
そこにあったのは、金属製の義手だった。探索者となる前、野盗に襲われた際に失って以来、私と共にあった義手。日本に転移した際になぜか元の腕に戻ってたけど、それがまた舞い戻ってきている。
「どういうこと……?」
痛みを堪えながら辺りを見回せば、さっきまでいた不思議な空間ではなくてどこか洞窟らしき場所だった。傍らにはエリーが気を失って転がっている。
そして。次に視界に入ったものを見て、私は悲鳴を上げた。
「アースドラゴン……!」
口と心臓を貫かれ、息絶えたA級モンスターが、死してなお圧倒的な存在感でそこにあった。
記憶が蘇る。ああ、もうこれは間違いない。疑問はたくさん思い浮かぶ。けれどこの腹の痛みとドラゴンの姿は決して忘れようもない。
そう、私は戻ってきたんだ。死んだはずの十七年前に。
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