後編 つづりの場合
名前『男鹿谷綴莉』十九歳。高卒。家族構成・両親。趣味・料理、スイーツ作り、インフルエンサー『いちごかのん』の推し活。
特技・__
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……私は夢を見ているのだろうか。いいや、そんなはずはない。社長である父に飲み物を買ってこいとポケットマネーを握らされ、徒歩二分のコンビニまでパシリ……もとい、お使いを任命された。それで下品なオヤジに声をかけられて……
でも……なんで?
なんで大好きなかのんさんが目の前にいるの?
「ごきげんよう。よろしければわたくしも混ぜていただけませんか?」
彼女の声はスマホやテレビ越しで聴くより綺麗だった。女性らしい、だからといって鼻につくような媚びたものでなく……一国の姫。そう形用するのに相応しい。
下品オヤジは予想外のゲストの登場に目を一瞬白黒させたが、金になると思ったのかかのんさんに話かけた。
「お嬢ちゃんこんにちは。暑いのに着飾ってすごいね。君、かわいいけど芸能事務所とか入ってたりする? よかったらうちに……」
「お生憎ですが……わたくし都会は好みませんの。執事から直接手紙をお送りいたしますので、住所をお教え願いますか?」
「手紙って……今どきスマホ持ってないの? まぁ、どうせならふたり一緒に来てよ。車すぐそばに停めてあるからさ」
そう言うとオヤジは私の肩を引き寄せた。頭ひとつ分程低いから全く様になっていないだろう。私の白いTシャツ越しに男の手のひらの汗がじんわり滲んで気持ち悪い。
東京は冷たい町だと聞くがその通りだ。こちらがパニックになっているというのに、行き交う人々は誰も私たちを助けてくれない。それどころかスマホで盗撮する始末。でも180cmを超える長身土木作業員女と、目に入れても痛くないほどの小柄でかわいいロリータ美女が並んでいたら、その対比をめずらしく思うのは無理もない。
腕っぷしを買われて土木業に引き抜かれたものの威勢など全く持ち合わせていない。私に『NО』という言う勇気があればこんな雑魚男蹴り一発で……
日傘が宙を舞い、風を切った音がした。
例えるなら……そう、刀。狙った獲物を仕留める凶器。
思考を現実に引き戻し、音の原因を己の眼球で探る。網膜が受け取った情報を感知してもにわかには信じられなかった。
かのんさんがファイティングポーズを取りながら、美脚を振り上げ下品オヤジの側頭部をつま先でつついている。身長150cmもないだろう華奢な体のウエストをしならせ、動きに迷いなど皆無だった。重そうなロリータ服と厚底の靴など全く気にする素振りを見せない。彼女はその体勢のまま朗らかな表情で言葉を投げかけた。まるで友だちをお茶会に誘うかの如く。
「失礼。わたくしの衣装を返り血で真っ赤にしたくありませんの。お引き取りいただいてもよろしくて?」
「あ……ちょっと……」
「差し出がましいようですが、わたくしキックボクシングのプロ資格をもっていますのよ」
「や、やだなぁ。ちょっとした冗談だよ。あ、そろそろ会社戻る時間だったんだ! あはははは。じゃ!」
そう言うと下品オヤジは冷や汗を垂らしながら一目散に走り去っていった。かのんさんは結果に満足したのか、高くつき上げた脚を華麗に本来あるべき定位置に戻すと地面に落ちた日傘を拾いあげた。その姿はドラマや映画のワンシーンのようで、しばらく放心状態になる理由として充分だった。彼女の潤った薄い唇が動く。陶器のように真っ白な肌を高揚させて……怖かったのかな。
「おケガはありませんか?」
まず先に言うことがそれ?
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かのんさんのマネージャー譲原さんに軽く咎められ、コラボ動画の撮影を開始した。土木会社とロリータインフルエンサーの異色の組み合わせだが、ヘルメットを被った彼女があまりにもかわいらしく、仕事でなければ自前のスマホで連写しているところだ。動画が公開されたらスクリーンショットをたくさん撮ろう。カメラの前で堂々と振舞う彼女を見て、改めて自分との違いを見せつけられた。
一人っ子だからか私は幼少期のころから人の顔色を伺うのがクセだった。
「つづりちゃんは背が大きいから頼りになるよ」
このセリフを何度聞いたことだろう。自宅兼両親の職場に行けば従業員に、学校では友だちや先生に。私だって好きで大きくなったわけじゃない。身長が高いというだけで学級委員長にさせられ、中学の部活のバレーボール部でも部長にさせられ。どうにかやり切った自分を褒めてあげたい。
中学を卒業し、徒歩圏内にある偏差値中程度の高校に入学するころには身長180cmを突破した。友だちは数人できたが、私と話すとき毎回見上げる彼女たちを心の底から好きになれずにいた。はっきり言う。嫉妬だ。そんなどす黒い感情を抱え込む自分が嫌で、夏休みなどの長期休暇はひたすら家に引きこもっていた。熱血漢の父に無理やり現場作業をほぼ毎日手伝わされ悩む暇もなかったけれど。バイトもしていない帰宅部なら当然の結果だと今なら笑い話の部類だ。
そんな生活をしていた十七歳のある日。夕食と入浴を終え、自室でスマホを起動させた。大手検索サイトのトップニュースを眺め新作スイーツのトレンドをチェック。甘いものに目がないところは女子らしいと自己評価する。
動画サイトに移動し、スイーツを検索するとひとつの動画に目が留まった。
『初投稿ですわ。開店から売り切れまでわずか五分!? 話題のスイーツを全種類食べ比べしましたの』
そこには華やかな深紅のロリータ衣装に身を包んだ少女。彼女が席に着くテーブルには大量の食べ物が皿に鎮座し、それを見てうっとりと表情をほころばせている。彼女が話す度字幕も一緒に表示され、スイーツの紹介もわかりやすい。先にひと口大にカットされたものを試食し味の感想も適格だ。きっと有能なマネージャーさんがついているのだろうか、これが初投稿だと思えない。ルックス、企画力、編集どれをとってもパーフェクト。そして特記するべき点はもうひとつあり、彼女の細い体のどこに入るのかと疑問を持つほどよく食べるのだ。早送りではあるものの、表情を全く変えずあっという間に皿をカラにし、見事のひとこと。
動画画面から下にスクロールすると再生数は数十、コメントはゼロ件。こんなに面白いのにYouTubeという場所は厳しい世界だ。普段視聴専用で本名のアカウントだが私は初めてコメントを書き込んだ。
『ファンになりました。かのんさんを推させてください』
それから私の人生は一転した。動画がアップロードされるたびにコメントを書き残し、関連のSNSもフォローする。最初数ヶ月は返信やリプライもしてもらえたが、チャンネル登録者数五十万人ともなれば『いいね』もつかない。そもそもコメント数は数百にのぼり、全て目を通すことが難しくなったのではないか。これが古参ファンである私の悩みなのだが、応援せずにはいられない。これからも彼女には人々に笑顔を届けてほしい。
人見知りの私が顔出しで会社の広告塔になったのだって少しでも彼女に近付きたいから。両親の了解を得るのは大変だったし、実際変な輩に声をかけられたことも何度かある。だけど……資金繰りで悩む両親の支えになりたい。もちろんこれは本心だ。それに加えて憧れの彼女の目に留まってくれれば……そんな私はないものねだりだろうか。
スマホに映る加工修正されたカルビ弁当を膝に置く自分。キラキラと輝いているのに、現実の私ときたらいやらしい感情を持ち合わせている大馬鹿者だ。自分を大きく見せたくて弁当をひとつしか食べていないのにふたつ食べたと言い張る……嘘をつくのも疲れてしまった。でもようやくXのフォロワー、YouTube登録者ともに千人を超えたものだから今更辞めるわけにいかない。
頑張るしかない。
そう考えていたのが二週間ほど前だったか。会社の長である父からは何も聞かされておらず現在に至るまで初耳だ。
『家でのんびりしているときに都心ナンバーのセダンが現れ、そこから娘の憧れであるインフルエンサーの登場! パパのサプライズ大作戦』
これが父の筋書きらしい。まさかお使いの途中で本人たちがバッタリと鉢合わせしてしまうなんて夢にも思わなかったそうだが、私は嬉しかったし見事な寸止め上段蹴りも見られたことだしもう怒る気になれない。
一通り撮影と片付けを終え、そろそろ解散という雰囲気になったとき父が譲原さんに声をかけた。
「今日は本当にありがとうございました。忙しいと存じますがこのあとのご予定は……」
「こちらこそありがとうございました。動画の編集作業がありますので私たちはこのあたりでお暇……」
瞬間、わずかな揺れと共に譲原さんの表情が苦悶に変化した。しかしそれはまばたきし終わるころには元のにこやかな好青年に戻っており、きっと見間違えだったのかもしれない。まさか隣にいる可憐なかのんさんが殴ったわけでもあるまい。対面している父は全く彼の変化に気付く素振りを見せず残念がっている。
「そうですよね。お昼にと思ってお弁当を注文していたのですが……」
「あぁ、いえ。多少投稿まで余裕ありますので今日はオフで問題ありません」
「本当ですか!? ではお疲れでしょうから時間が許す限りゆっくりしていってください。いやー、娘がかのんさんの大ファンなんで嬉しいです!」
「ちょっと、お父さん恥ずかしいからやめて!」
あぁ、私の男勝りなイメージがどんどん崩れていく……
お弁当は各々好きな場所で食べることになった。早々と食事を済ませた私は、社屋の窓から見えるこの場所に少々不釣り合いのセダンを一瞥した。あそこにかのんさんが……きっといい匂いするんだろうなぁ……そんなキモいオタクまがいの想いを抱きつつ、またふわふわと足元がおぼつかない感覚を身をもって知る。
ほんのちょっと、ちょっとだけ……
彼女やマネージャーさんには本当に申し訳ないと思っている。でもこの機会を逃したらいつまたこんなチャンスに巡り合うかわからないから。私は些細な興味から彼女の目につかないよう、裏口を出ると車に忍び寄った。
うずくまりながら目的地まで数メートルというところまで辿り着いたとき、開け放たれた後部座席の窓から聴こえる声が己の鼓膜を刺激した。
「あー! あっつい! これ食べたら早く着替えたい!」
「よく言いますよ。着替えまで用意しているってことは元々こういう算段だったんですよね? 雑用は僕に全部押し付けて……」
「だってやっと推しと会えたんだもの。舞い上がるのも当然じゃん? あ、メイクも整えないと……」
あれ……? 誰か別の人がいるのかな? でもシルエットはふたり分だし……動画越しで何百回と聴いていた小鳥が囀りを連想させる少女の声とお嬢様言葉はどこ?
私は男子中学生を思わせる低めの声とおてんばな言葉使いを聴きうろたえていたらしい。自分で気がついたときにはしゃがみ込むのも忘れ、呆然とその場に立ち尽くしていた。
視線を感じ取ったのか彼女と目が合う。数秒の沈黙の後、かのんさんは意を決したようにドアを開けた。
「黙っててゴメンなさい。これが本当の私。情報拡散しなければ離れてもらっても……」
私は彼女の言葉を遮る形で本音を零した。
「『推し』ってどういうことですか!? 私はてっきりこちらからの依頼で受けてくださったのかと……」
ただでさえ大きいふたつの目をさらに見開いた。まるで目玉がこぼれるんじゃないかと思うほどに。私の心配をよそに彼女は合点がいったような表情をし、車から降りると私と目線を交差させる。
「どう伝わっていたのかはわからないけど、私はずっとつづりさんを応援してたんだ。威勢のいい発言がその高身長によく似合ってて……私にないものを数えきれないほど持っている。そんなところに惹かれた」
「そんな……」
「謙遜しないで。私はね、昔から動くのが大好きで、実家のキックボクシングジムに毎日通うほどなんだ。兄がふたりいてどっちとも一応プロで活躍している。私はスポーツよりこうやってロリータ衣装を着ながら取り繕う方が肌に合ってるみたいで頑張ってるの」
彼女の嘘偽りないまっすぐな言葉が私の胸を貫く。あふれ出た感情は涙となって私の頬を、首を濡らした。そんな醜態を晒しても彼女は慌てることなく自前のハンカチを私に差し出してくれた。傍からみたら珍妙な光景なのだろうな。
「泣かせるつもりはなかったの。これ、使って。もちろん返さなくていい」
「ゴメンなさ……私、ずっと……」
「謝らないで。このあとゆっくり話聞くから。ね、ユズさん」
「そうですね。夕食はこちらから出しましょうか」
運転席に座る譲原さんに同意を求めた彼女の表情は晴れやかだった。彼も予定の諦めがついたのかスマホを操作し始めた。きっとスケジュールの確認だろう。それを申し訳なく思っても、私たち女ふたりにはこれからのことが楽しみで仕方がない。私は彼女から受け取ったハンカチで涙を拭うとある提案をした。
「かのんさん、ちょっとついてきてもらってもいいですか?」
社屋の食堂に備わっている電子ピアノ。これは小学校の音楽教師だった父の母、つまり私の祖母の形見だ。幼少期に気に入ってから暇を見つけては引き続けた。元々血筋だからなのか定かでないが、私は一度聴いた音楽を瞬時にピアノで演奏することができる。これを言うと自慢になってしまうし、何よりSNS上の私のイメージに合わないから……
でも彼女になら、かのんさんにだったら私の全てを知ってほしいと思えた。
私はピアノの椅子に座り音量を調整すると深呼吸をした。いつもはヘッドホンを頭に装着するが、今日は演奏を聴く相手がいる。気持ちを引き締め目の前の鍵盤と向き合った。
かのんさんが一度だけヒットソングのカバー動画を公開していた。当時街を出歩けば必ずと言っていいほど流れていた曲で、もちろん私も知っている。でも彼女の地声に合う音域は……キーを想定すると脳内で音階が溢れ出し、私はそれを十本の指で鍵盤へとアウトプットしていく。
彼女は歌う。私も歌う。
少し低めのかのんさん、身長のわりには高めの私。ときどきハモったりなんかもして見た目ちぐはぐな私たちでも調和できる。
何だ、最初から心配する必要なんてなかったんじゃないか。キャラクターなんて取り繕わなくていい。かのんさん、自分をさらけ出す勇気をくれて本当にありがとう。
私は実家の建築会社とは別のSNSを開設した。そこで『土木系ピアニスト』として世間を賑わせることになるのだが、それはもう少し未来の話だ。




