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前編 かのんの場合

 ないものねだりは無駄。するだけ損。なんで自分が持つ武器で戦わないの?


 数少ない友人の言葉だ。わかってるわそんなこと。でも自分と正反対な人に憧れるのはこっちの勝手。外野は黙っていてほしい。


『通知:一件 男鹿谷(おがや)建設』


 グロスを唇に塗りメイクを終えた私はそんなことを考えていた。鏡の中の自分からスマホに視線を移すと、心待ちにしていたX更新の知らせが表示されている。ネイリストが整えてくれた付け爪を傷つけないようスマホを持つとロックを解除した。


『お疲れ様です! 株式会社男鹿谷建設の男鹿谷綴莉(つづり)です! 毎日暑い日が続いていますが体調はいかかでしょうか。私は水分はもちろん塩分補給にと弁当屋で買ったカルビ弁当をふたつ食べてしまいました。同僚の人に笑われてちょっとショックだけど体がデカいから仕方ないのです! そんな和気あいあいとした職場を希望するならぜひ株式会社男鹿谷建設へ! お問い合わせは……』


「はぁ……」


 一通り読むと思わず熱い吐息を零した。

 SNSの画面をスクロールし、ポストに添付された画像を見る。濃紺のスラックスと黒い安全靴、まっさらな白いTシャツ。シンプルな恰好ながら、くびれたウエストと豊満なバストのおかげでモデルのような佇まいだ。ベンチに座ってお弁当を食べているだけなのにとても絵になる。別の投稿で自動販売機にもたれて休憩しているところがあったが、ほぼ高さが同じなので彼女の身長は180cm前後だろう。もちろん顔だって……


 コンコンッ


「どーぞー」


 ノックする音がしてスマホから目線をドアに移し返答する。相変わらず低い声。

 私は自分の声が苦手だ。低身長の女なのに声変わり途中の男子中学生のよう。見た目は努力でどうにでもなるが声はそうそう変えられない。過去にナンパもどきを何度か経験していても、私が話し出した瞬間に男どもは離れていく。見た目が小さいからって自分の想像通りになると思うなよ?

 そんな私の黒い思考と裏腹に上機嫌なマネージャー、譲原(ゆずりはら)が入室してきた。


「かのんさん、かのんさん。朗報です!」

「はいはい、何?」


 飼い主に散歩をせがむ子犬のようにはしゃぐ彼を宥めて要件を聞き出す。私より三つも年上なのに落ち着きがなく仕事の度に疲れてしまう。


「株式会社男鹿谷建設のYouTubeチャンネルとのコラボが決定しました!」

「……え?」

「ですから、かのんさんが大好きな男鹿谷綴莉さんとのコラボが決まったんですよ!」


 ……これって夢? 私はユズさんの頬をつねってみた。その瞬間、彼の歓喜と興奮が苦悶と驚愕に変化する。


「いてててて! 何ですか!」

「いやぁ、夢かと思って確認。ゴメンゴメン」


 つねった指を離してあげると、持続する痛みに耐えながら自らの掌を使って左頬をいたわった。そんな様子を見ても私の表情筋はピクリとも反応しない。


「普通は自分のほっぺをつねりますよね!?」

「自分だと一時間かけたこの詐欺メイクが崩れるじゃんよ」

「理不尽!」

「で、なんでコラボが決まったの?」


 当初の用事を思い出したユズさんは、仕事用のスマホをジーンズのポケットから取り出し、先方のメールの本文を読み上げた。


「『自分の会社は建設という職業柄厳しいイメージの為、若い人材の志望が少ないのが現状です。そこで私の娘、綴莉がファンだと慕っているYouTuberのかのんさんに企業の宣伝をしていただけないでしょうか』……とのことです」

「……それっていつ?」

「こっちと先方のスケジュール次第ですが一ヶ月以内の週末になるかと……どうしたんです? さっきから」

「嬉しいに決まってるからでしょ! だってこんなかわいい子とコラボできるんだもの!」


 私はピンクのカバーに覆われた自分のスマホを手に持つと、先ほどまで見ていた意中の女性の画像を彼に突き出した。一瞬ひるんだものの冷静さを取り戻しマジマジと画面を見つめた。


「依頼をいただいたのはこの方のお父様ですけどね。しかし……女性だというのに土木作業員とは」

「ちょっと、今の時代男だから女だからとか関係ないけど。それXでつぶやこうものなら炎上待ったなし」

「炎上炎上……自分の気に入らない事があるとすぐそれですよね……それにしてもほとんどノーメイクなのに整った顔、ショートカットの髪型もいいですよね。胸なんか……」


 ごくりと喉を鳴らす目の前の男が急に獣に見え、私は考えるより先に拳で彼の鳩尾を殴りつけていた。ぐほっと声にならない悲鳴をあげ、大の大人がその場に崩れ落ちる様は圧巻だ。

 私はその様子を見つつわざとらしく利き手を口元に添えた。そう、それは一国の姫のように。


「あら、ごめんあそばせ。つい感情的になってしまったの」

「い、いえ……いつものことなので……」


 やれやれですわ。

 私のスマホのアラームが鳴る。画面に表示された停止ボタンをタップした。

 お遊びはここまで。


「さぁさぁ、そろそろ撮影の時間だしいつものアレやるよ」

「は、はい……」


 息も絶え絶えな彼の背中を二回ほど叩き鼓舞させると、鏡越しの私に目線を合わせルーティン開始。彼が芝居がかった台詞を私に投げかける。先ほどよりも少し色っぽくなるのがムカつく。


「おぉ、なんと美しいお嬢さん。お名前は?」

「いちごかのん。以後お見知りおきを」

「これからどちらへ?」

「人々に笑顔を届けにいくの。見て。素敵でしょう?」


 私はメイク室の中央に移動し、ストラップシューズに包まれた左足を支点にくるりと一回転。たくさんのレースであしらわれたリボンドレスの裾がふわりと揺れた。声も普段のワントーン高く調整する。こんな可愛い衣装とメイクなのに低い声なんて出していられないわ。

 仕事モードに切り替えた私を見たユズさんは満足そうにウットリとしていた。もう鳩尾に食らった拳のことなど忘れているのだろう。彼は私の目の前で跪き右手をこちらへ差し出した。さすが元役者志望。


「美しいお嬢さん。私もお供させていただいてよろしいですか?」

「いいわよ。さぁ、行きましょうか。輝かしい舞台へ」


 彼の手を取りエスコートされる形でメイク室を後にする。ここまで回りくどい事をしないとスイッチが入らないのだから仕方がない。

 正直私はメイクをばっちり決めてロリータの衣装を着るより、綴莉さんのような活動力の溢れる仕事がしたいのだ。しかし145cmという小柄な身長とマッチ棒のような細い体には似合わない。高校を卒業した後、YouTuberとして活動するうちロリータ衣装に需要があるとわかってからずっとこのままだ。雑誌の特集やコスメのブランド立ち上げ、テレビ出演、インフルエンサーなどなど……紆余曲折の末、今年SNSの総フォロワー百万人を突破した。安定した収入を見込めるんだから今更やめられないよね。


 たまたまXのおすすめに表示された男鹿谷建設の綴莉さんをひと目見てから私の人生はガラリと変わった。私の恩人と共演できるなんて……その日まで眠れるだろうか。そんな逸る気持ちを抑え、テレビ局のスタジオへと足を踏み入れた。



♥♥



 案の定というべきか、それ以来眠れない夜を過ごした。床に着き目を閉じると綴莉さんとの活動を妄想してしまい、ユズさんの鬼電でどうにか起きるという生活を続けていた。

 しかし。しかしである。依頼から二週間の時を経て、ついに今日綴莉さんと対面できるのだ。……家に帰ったら泥のように寝そうだけど。

 暑いを通り越し焦げるような気候もようやく落ち着いた九月初旬。幾分過ごしやすくなったとはいえ、厚い生地の衣装を身に纏うと汗が滲む。そんなときは無香料の制汗スプレーと日傘を駆使。もちろんメイクのチェックも忘れない。自宅マンションのエントランスでユズさんの運転する車に乗り込み、綴莉さんが待つ建設会社に向かう。日頃から口うるさく言っているだけあって、後部座席まで程よく空調が効いている。スカートにボリュームがあるせいで助手席に座れないが致し方あるまい。


 雲ひとつない晴天。車内のナビが目的地におよそ300メートル程で到着すると案内した頃、信号待ちでコンビニと並行する形で停車した。



「まぁまぁまぁまぁ。ちょっと話するだけ! マッサージの延長みたいなもんだし土木なんかよりずっと楽に稼げるからさ」


 閉められた窓越しからでも大声が聞こえてくる。23区外とはいえ迷惑な客がどこにでもいるものだ。それに昼間から生々しい言葉でスカウトしないでほしい。


 ……ん?


 内容的にナンパというより夜の店、もしくは大人のDVDの勧誘だろう。つまり相手は女性。いやいや問題はそれよりも……


 土木業をする女性……まさか……まさか……


 私物のサンシェードを窓から剥がし相手の顔が露わになる。下品な男の頭一つ分以上背丈のある綺麗な女性。何百回と画面で顔を見てきたんだ、他人の空似なんてそうそうない。


「ユズさん、先に行ってて。十五分で追いつくから」


 交差方向の信号が黄色に変わった瞬間だった。今ここで行動しないと絶対に後悔する。シートベルトを外し車から飛び降りたとき、対面する信号は発進するよう呼びかけていた。


「怪我に気をつけてくださいよ!?」


 彼の動揺する声はドアを閉める音と後続車のクラクションでかき消された。発進する車を横目で確認すると、日傘を広げコンビニまで歩み寄った。

 件の二人はおろか通行人の視線も肌を通して感じる。それはそうだろう。信号待ちしているありふれたセダンからロリータが現れたのだから。


「か……かのんさん?」


 綴莉さんが口を開いた。YouTubeの動画で聴く声よりずっと可愛くて悶えそうだ。だがしかし、今は抑えて。

 咳払いし脳内で声のチューニングすると、下品な男に精一杯微笑む。うん、ルーティーンがなくてもどうにかなりそうだ。


「ごきげんよう。よろしければわたくしも混ぜていただけませんか?」




---怪我に気をつけてくださいよ!?

 はいはい。了解。



 芸名『いちごかのん』本名『市後崎(いちごさき)かのん』二十歳。都内私立大学二年生。家族構成・両親、兄二人。趣味・ゲーム、少年漫画を読むこと、アニメ観賞。


 特技・キックボクシング。

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