王子様ノ棲ム処
「んー…………、んん?」
今のん、はどちらかというとnhh、かな。英語が混ざった。動揺している。
「日本で。このまま一緒に飛行機に乗ろうよ。あたしはちょっと魔女化しちゃうのかもしれないけど、子ども産まなきゃ問題ないんでしょ。しばらくはあたしがバイト増やして養ってあげるから、前みたいにふたりで暮らそう。二年後には就職できるから、それまで貧乏暮らしを我慢すればいいだけだよ。あたしの戸籍があれば、日本に永住できるんだよ」
清乃はお妃様になんてなれない。
だけどユリウスが清乃が生きる世界で生きる選択をしてくれるなら、彼と恋をはじめることができる。
ユリウスは清乃を見ながら、ゆっくり瞬きをした。
「キヨは、オレに恋愛感情はないって」
「感情を移行する準備はできた。ユリウスがうんって言ってくれるなら、すぐにでも移行するよ」
「移行」
「移行」
清乃が重々しく頷くと、ユリウスが笑った。
「なんだそれ」
「あたし、魔女がどうとか理解出来ない。ユリウスが留学とか色々諦めて、縛られなきゃいけない理由が分からないよ。逃げたら駄目なの? あんな怖い目に遭って、あたしみたいに逃げる選択肢を与えられないの? 危ないことは大人に任せたっていいじゃん。あたしの戸籍にユリウスの名前を載せて、逃げておいでよ」
清乃は今、ユリウスに失礼なことを言っている。彼が大切にしているものに、後ろ足で砂をかけろと言っている。
彼が怒ったとしても、それは当然だ。分かっている。
「戸籍」
「そ。日本国籍。一部の外国人に人気なんだって。偽装結婚してでも欲しがる人結構いるらしいよ」
「へー……。プロポーズされてる気がしない。下手か」
「移行前だからね」
「移行」
「移行」
清乃が真面目な顔で頷くと、ユリウスは仰向けに倒れて両手で顔を隠してしまった。
黙ってそのまま待っていたら、しばらくして彼は腹筋を使って俊敏に起き上がった。
そのままがばりと清乃に抱きつく。
「やめろ。汗。人前」
「ごめんなさい!」
「………………」
やっぱりそうか。聞く前から答えは分かっていたが。
「オレも何もかもを捨ててまでキヨと一緒になるだけの覚悟はない。おんなじだ」
「そうだろうね」
「ごめん。オレは自分のことしか考えてなかった。キヨが特別だって言ってくれて、嬉しくなって期待した。キヨがうちに来てくれたら嬉しいなって思ってたんだ。父さんはそれに気づいて、あんなことを。ごめん。自分には国を捨てる覚悟もないくせに、キヨがそうしてくれたらって考えてた。勝手だった」
清乃は、はいはい、と背中を叩いてやってから、全身の力を使って背の高い少年の身体を引き離す。
考えてた、とユリウスは言った。
考えるだけなら自由だ。
ユリウスはフェリクスみたいに、心の奥底の願望を引っ張り出される心配はないのだから。
でも今、清乃が引っ張り出して言わせてしまったのかな。
また残酷なことをしてしまったのかも。
「分かってたよ。でも一応ね。お知らせだけしておこうと思って」
最初から、ユリウスが日本にいたときから分かっていたことだ。
清乃とユリウスは、条件付きでないと恋ができない。
お互いが出す条件は、相容れないものだ。
どちらも譲ることはできない。
分かっていたから、友達でいることにしたのに。
まあ仕方ないか。自分の気持ちを口にせずにはいられない子どもが相手なのだから。
「移行準備完了のお知らせ?」
「準備が無駄に終わるとは分かってたけど。でも一度は、ちゃんと答えを出さなきゃと思って」
立てた両膝を抱え、ルールもよく知らないフットサルの様子を眺める姿勢になったところに、ボールが飛んできた。
多分わざとだ。誰かがユリウスに向けてわざと蹴った。
真っ直ぐに飛んできたそれを、ユリウスは立ち上がることなく視線だけで止めた。
「うん。ありがとう。嬉しかった」
「どういたしまして」
ユリウスが脚を振ると、ボールが飛んでいった。
高い位置にある太陽と重なって、一度見失ってしまう。
「やっぱりオレ、キヨのことが好きだ」
まだ言うか。
もう言わないで欲しいんだけどな。
「あたしもだよ。そろそろ飛行機の時間だから、誠吾呼んで来てよ。みんなはここで遊んでていいから」
「空港まで一緒に行くよ。キヨがアッシュデールに来ることはもうないだろ。最後まで見送りたい」
「魔女問題が全部片付いたらまた招んでください」
「オレたちが生きてる間は無理かなあ」
まあそうだろうな。
分かってる。分かってた。
ユリウスの答えは分かっていたけど。でもちゃんと、考えなくてはいけないと思ったのだ。
辛い思いをするのが嫌だからと、自分に向けられた想いを軽く扱っては駄目だと途中で気づいた。
遅くなったけど、ちゃんと気づけた。
だから真剣に考えて答えを出した。
まだ少し狡い答えだったかもしれないけれど、今の清乃の本心をちゃんと伝えられた。
清乃の本心に、ユリウスは言う必要のない、心の奥にあった願望を教えてくれた。
それは彼にとっていいことだったのだろうか。
彼はすっきりした顔をしていた。
その表情を信じて、答えが分かり切っている提案を口にしたのは正しいことだったのだと、そう考えてもいいだろうか。
自分の気持ちをここまで真剣に考えてみたのは、生まれて初めてのことだった気がする。
精神的負担は大きかった。
でも。
筋肉を鍛えるには、負荷をかける必要がある。
精神だってきっとそうだ。
ガラじゃないけど、ほんの少しだけ、自分を鍛えてみるかと思ったのだ。
たまには本の世界だけじゃなく、現実を見て自分に負荷をかけてみるのも悪くない。
魔女の国に迷い込んで、魔女の夢の中の世界を覗いてきながらなのが、清乃らしいと自分でも思う。
大人になってしまった体はこれ以上の成長は望めないけれど、心にはまだまだ成長の余地がある。
お色気系美女になるのは無理だとしても、少しずつ強く大きくなるのだ。
いつか出逢えるはずの大人彼氏に見合う女になるためにも。
(王子様なんて)
掃除皿洗い要員だ。
恋愛の練習相手にちょうどいい、嫌悪感も恐怖心も持たずにいられる綺麗で優しい王子様。
こんな奴、清乃の成長の糧になってしまえ。
キラキラ王子様の、究極の無駄遣い。
清乃はばたんと本を閉じ、ごろんと上を向いて寝転んだ。
木陰から見上げた空には、ほとんど雲がない。
快晴だ。
普段は屋内でばかり過ごしているから、太陽光が眩しい。
このユリウスの瞳みたいな色の空はどこまでも、日本までも続いている。
だけどやっぱり、ここは清乃の住む世界とは違うところだ。
ユリウスはここで生きてきた。これからもここで生きていく。
キラキラ眩しい王子様。
太陽の色って白なんだっけ。ユリウスのあの白金髪、太陽の色なのかな。道理で眩しいわけだ。
あれ。違うな。ユリウスって雷の神様の名前だ。じゃあ稲光の色か。それも有りだ。
……なんでもいいか。
とにかくユリウスは、清乃にとっては光り輝く天使とか神様みたいなものということだ。人種とか以前に、そもそもが違う生き物。
ここは清乃がいるべき場所じゃない。
ここは、王子様の棲む処。
ナマケモノの清乃は、自分の棲息地に帰ろう。
大丈夫だ。今度は目を逸らすことなく、ちゃんと考えた。
今度は後悔なんかしない。
異種族間で恋をすることはできないけれど、友達になるのはそう難しいことではない。
天使はまたメールも電話もする、日本に会いに行く、と簡単に言ってくれていることだし。
「キヨー! やっぱり明日の飛行機にしない?」
「やだよ! バイト休み過ぎてクビになったらどうしてくれんの」
「そのときは、日本の人気書籍紹介業を」
「誘惑しないで。あたしは庶民らしく堅実に生きていくの!」
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
完結編『王子様と過ごした日々』もよろしくお願いいたします。




