慰謝
歴史書に載っていた王家の家系図を眺めながら、清乃は奇妙なバランスの悪さに気づいた。
アッシュデールの玉座には、代々長子が座っている。男子継承を基本とする国でだ。
何百年もの間、王は必ず長子であり長男だった。それは異常なことだ。
二、三代、せいぜい一桁代くらいまでなら、偶然で片付けてもいいかもしれない。だが七百年だ。現在の二十七代目国王まで全員が、第一子の男子。
必ず最初に男が生まれている。
これは何を意味しているのか。
清乃は馬に乗せられながら、小屋で毛布を被って少年たちの気遣わしげな視線から逃げながら、屋根の上で暴風雨と闘いながら、思考とも言えない妄想を広げた。本がなくて暇だったから。
ダヴィドは第一子、ルキウスも第一子。先月生まれたルキウスの子は男児。
エルヴィラは魔女。彼女の前の魔女は、ダヴィドの祖父の妹。その前は、更に二代遡った王の妹。
ダヴィドの祖父は強力なPKを保持していた。ルキウスは現在国内でユリウスに次ぐ能力を持っている。
魔女の兄は、強い能力を持つ。
それは、魔女を護るためではないだろうか。
古の魔女は産婆と呼ばれる、現代でいうところの助産師だった。
彼女たちは、産み分けの技術も持っていたのではないだろうか。
その技術は呪いのように、遺伝子にまで組み込まれた。
彼女たちの子孫は、必ず最初に男児が生まれる。女児はその後だ。
迫害される魔女を護る騎士を、先に産む。その後で、知識を繋いでいく魔女を産む。
魔女の兄は、魔女を護るため、強い超能力を持って生まれてくる。
ならばユリウスは?
彼は国で一番のPKを保持している。その理由は?
彼が魔女の兄だという事実を指しているのではないだろうか。
これはただの清乃の妄想だ。
分かってはいたが、妄想の末に辿り着いた答えを、例え間違っていたとしても独り残してきた弟に伝えなければと思ったのだ。
魔女は、ユリウスの妹ジェニファー。
誰もそのことを教えてくれなかった。嘘をつかれていた。
魔女はエルヴィラだけ。その言葉は嘘だった。
ジェニファーが未確認の魔女だとまでは、思い至らなかったのだ。
彼らが嘘をつく理由が分からず、恐ろしく思った。
ルカスの奴、ユリウスと同じ顔の妹が怖いらしいぞ。だいぶトラウマになってんだな。
清乃の気分を紛らわすためにベラベラ喋る誠吾の言葉は、一度は聞き流した。
後から思い返して、話が繋がった気がした。
ユリウスは清乃に嘘をついていた。彼に忠実なルカスも、知っているはずなのに黙っている。
そこに悪意はなかった。
ただ未確定事項のため、部外者には黙っていただけだったのだ。
疑心暗鬼になっていた清乃は、彼らふたりに黙って消える必要があると思い詰めてしまった。
「まさか本当にジェニファーが魔女だとは。オレの能力が高い理由のひとつとして考えられたことはあるけど、その頃にはもうエルヴィラが魔女だと分かっていたから」
「ユリウスはこれから魔女の騎士? やるんでしょ。ルキウス様がおっしゃってた」
「そう。魔女のストッパーとしての訓練が始まる。留学の話もなくなったから、卒業後は国内で大学生するよ」
魔女の力は、魔女を護る騎士には効かない。
騎士はその特性を活かして、暴走しがちな魔女を制御する。そのため、兄と妹は遠く離れていてはいけないのだ。
ユリウスは卒業後はイギリスの大学に入学する予定だと言っていた。
楽しみにしていたのに。
「そっかあ」
可哀想、は多分言っては駄目だろう。慰めにも励ましにもならない言葉だ。
仕方ない。並んで寝るくらい許してやるか。
清乃は本に視線を戻しながら、白金の頭をぽんぽん叩いてやった。
「…………っ駄目だ」
ユリウスがガバッと身を起こすと、清乃の手から本が浮き上がった。咄嗟に捕まえようと手を伸ばす彼女の身体もふわりと浮いた。
「うわっ?」
驚いて声を上げるのと同時に、ユリウスの胸に飛び込む形で下された。
ハグはもう終わったはずだ。
何故また。今度のこのぎゅう、はなんなのだ。
「ちょっと。やめてよ。びっくりするでしょ」
「間違えた。愚痴を言いに来たんじゃない。オレは慰められたかったんじゃなくて、その逆」
優しくされたくない気分だったか。それなら先に申告して欲しかった。
「……厳しいほうがよかった? 甘ったれるな! とか?」
「違う。そっちの逆じゃなくて。オレが、キヨを、慰めたかったんだ」
「別に必要としてないけど」
「なんでだよ。おかしいだろ」
おかしいと言われても困る。
清乃は日本で平凡な日々を送っている。
彼女の日常に事件は起こらない。
平日は毎日大学に行き、アルバイトをして、家事は死なない程度に最低限。借りたり買ったりした本を読む。
それだけの毎日を送っている。
国外に出たのは今回が初めてだ。
非日常は苦手。だけど最初のうちは楽しさもあった。
過剰な女性扱いも苦手。正直言って気持ち悪いなと思う瞬間はたくさんあったけれど、お国柄仕方ないことだと割り切って過ごしていた。
妊娠がどうとかいう話とは無縁の清乃だから、突然そんなものを狙われたと知り、気持ち悪さに怖気を振るった。
圧倒的な暴力はただただ怖かった。
清乃が弟の頭をはたくのとはレベルが違う暴力と狂気、血と死の臭いに満ちた環境に置かれた彼女にできたことは、これは現実ではないと自分に言い聞かせることだけだった。
平凡な清乃の精神には、負荷が大き過ぎた。
防衛する必要がある。
感情に蓋をするのだ。
一気に取り出してはいけない。少しずつ、少しずつだ。
それらの感情は、少しずつ消化していくしかない。
今この場ですべての気持ちを吐露してしまったら、支えてもらうだけでは済まなくなる。分かりやすい慰めを求めてしまう。
彼の体温は心地良いから、もっと、と願ってしまう。
お母さあん、と泣いて抱き上げてもらえる年齢ではないのだから、泣き喚くタイミングはちゃんと考える必要があるのだ。
相手を怯ませるためとか、優しい同性が近くにいてくれるときとか、独りになれる場所にいるときとか。
今は違う。
異性の友人と友人のままでいたいなら、頼っていいときと悪いときを見極める必要がある。
「とりあえず時間と場所を考えてみようか」
「……なんでキヨが冷静なのか分からない。マフィアに誘拐された後も、フェリクスに誘拐された後も。今なんか、戦場のど真ん中に放り込まれたばかりなのに」
「あたし誘拐され過ぎだな」
「され過ぎだ。しかも全部うちの事情に巻き込まれてだ。キヨはもっと、泣いたり怒ったりしてもいい」
ユリウスは清乃の感情を受け止めたいのだ。泣き縋る彼女を抱き締めて、優しくしたい。
頼られたい、と言っていた。
彼の願望も含まれているのかもしれないが、そうすることで清乃が心の平穏を取り戻すことを願っているのだ。
「気にしてくれてたの? ありがと。優しいね」
「…………キヨにしてあげられることが何もない。キヨに償いたいのに、方法が思いつかない」
「…………じゃあしばらく甘えさせてもらおうか」
仕方ないなあと清乃が身体の力を抜いて体重を預けると、ユリウスは彼女がリラックスできるようにと体勢を変えた。
彼はなんか違う、と微妙な顔だが、仕方ないから、のポーズが清乃には必要なのだ。
「明日。帰国前にカウンセリングを受けて欲しいって父さんが言ってる。キヨとセイふたりに」
「フェリクス相手じゃないよね?」
彼は心理学を学んでいるという話だった。
「あいつはまだ学生。女性のカウンセラーを手配してるから。日本に帰ってからだと、ここであったことを喋ったら精神科の受診を勧められるかもしれないだろ」
確かに。
日本のカウンセラーに魔女とか亡霊とか魔女の夢とか喋り散らしたら、薬を処方されるか入院させられるかしそうだ。
「そういうの受けたことないな。緊張しそう」
「キヨが希望する形で受けたらいいよ。ひとりで話してもいいし、同席して欲しい人がいたら指名してもいいし。セイと一緒がよければそうすればいい。今回のことに関係ない話がしたければすればいい」
そうは言っても、好きな本の内容を語ったりしたら、カウンセラーさんが困るだろう。
「守秘義務あるんだよね。王族の悪口いっぱい言っても黙っててもらえるかな」
「大丈夫。好きなだけ言っていい」
「この国の女性陣強すぎとか、フェリクス思ったよりちょろいなとか」
「あー……」
「意外と王様と本の趣味が合うとか」
「それは本人にも言ってやって。喜ぶから」
「慰謝料代わりに強請った本、欲しかったのは本当だけど、騒動に巻き込まれた腹いせに国の責任者にダメージ与えたかったのがメインの理由だったとか」
「大丈夫。みんな気づいてる」
「第二王子が深夜に部屋に来るのをやめさせたいとか」
「それはカウンセラーに言っても無駄だ。解決しない」
「あんた何しに来たの」
慰めに来たとか言いながら堂々と困らせるな。
開き直ったユリウスが、清乃を腕の中に抱えたまま横になった。
「最終日恒例の添い寝」
正直なところ、清乃は別に今更そのくらい構わない。
が。十代男子的にはそれでいいのか。彼らは色々考えてしまう生き物ではないのか。
色気のイの字もない清乃が相手だから平気なのか。分からん。
そんなことを思いながら王子様の顔をチラ見するも、いつもと同じ優しい笑顔しかそこにはなかった。読めない。
やっぱり若い子の考えることは分からない。
直接訊くのも憚られるし。
「……まあいっか。別に。おやすみ」
腕枕の寝心地はあまりよくないが、自分とは別の鼓動を聞きながら寝るというのは悪くない。
羊の代わりに心臓の音を数えることに集中していれば、そのうち眠気が訪れそうだ。
「キヨ?」
「うん?」
「あれ。串刺し。やったのはオレだから。キヨじゃない。もうオレのことを守ろうとか、考えなくていいよ」
心優しい少年の心の傷にはしたくなかった。だから清乃は、今から起こる惨劇は自分がやることだとユリウスに宣言した。
フィクションだからと割り切ることにしたが、それでも歴史に残る残酷な光景の再現はひどいものだった。
「そっか。ごめんね。ユリウスももう大人だもんね」
「うん」
清乃は目をつむったまま身じろぎして、最近厚くなってきたと自己申告のあった胸に耳を当ててみた。
その動きに反応してか、耳に伝わる鼓動が急に乱れる。
「…………駄目じゃん」
「………………」
結局その夜はベッドの真ん中に枕を並べ直し、ボソボソと小声で喋っているうちにふたりして眠ってしまったのだった。




