二日目朝
ベッドの寝心地は素晴らしかった。
最初見たときには豪華過ぎて眠れないのではないかと心配したが、それは杞憂に終わった。
清乃は図太い自分の神経に感謝しながら起き上がった。
「……なあんだったかな、あれ」
ぐっすり眠って長時間の移動による疲れも取れた。夜中まで飲みながらはしゃいだのが良かったのかもしれない。
深く深く眠れた気がする。
その深い眠りの中で、清乃は何かを聞いていた。
女性、もしくは少女の声。あるいはその両方。
昨夜のワイン、度数はそれなりにあったみたいだけど、飲みやすかったな。
囁き声。笑う声。楽しそうな声。
ネグリジェなんて人生初だ。外国の子ども仕様だが、多分清乃にはまだこのくらいがお似合いなのだ。
小さい? 清乃のことか。失礼な。それとも誠吾? 十代男子の心を傷つけないでやってくれ。
あれは夢か。だとすると深い眠りというのは間違いで、レム睡眠中に見た夢か。
いや、それは今関係ない。どっちでもいい。
思考が散らかる。
(なんだこれ)
肉体疲労は取れた。絶好調だ。
翌朝の体調に影響が出るほど飲めたことなどないため、アルコールも残っていない。
なのに頭がぼんやりする。とりとめない思考と感情とが頭をゆっくり巡っている。
「やば。これが人生初の二日酔いか」
清乃は痛くもない頭を押さえて顔をしかめた。
「ねーちゃーん? いい加減に起きろよ。……ってどうした、一人前に二日酔いか」
昨夜と同じように、ノックと同時に誠吾が部屋に入ってくる。
「……起きてるよ。勝手に部屋に入るなって、あんたには十年以上言い続けてるよね? 学習能力ないの?」
「学習ぐらい毎日してる。ユリウスに間抜け面を晒すよりマシだろ」
ユリウスも待っていたのか。彼は清乃の寝起きの顔なんか見慣れている。今更どうでもいいが、弟にそれを言うわけにはいかない。
「分かったよ。朝御飯そっちに行けばいいのね? 着替えたらすぐ行くから先に食べてて」
「へーい」
そんなに寝過ごしてしまったのかとサイドテーブルに置かれた時計を見ると、九時半を回っていた。確かに他人様にお世話になっている身でするには大胆な寝坊だ。
今日は何をするんだったか。
今回の王城滞在は四泊の予定だ。明日の夕方から夜にかけての祝宴に出席する以外、これといった予定はない。遊ぼう、観光案内するよ、と言われているだけだ。
(ええっと……)
駄目だ、思い出せない。
清乃は諦めて誠吾の部屋を右手でノックしながら左手でドアノブを掴んで開けた。
「ごめん、ユリウス。今日は何するんだっけ」
「結局ボサボサのまんま顔出すのかよ! 少しは恥じらえ女子大生!」
「誠吾うるさい」
「特に予定はないよ。昨日はどこにも行ってないし、観光にでも行こうか」
「分かった。観光、観光ね」
ドアを閉めて、今度は木製のクローゼットを開ける。
到着してすぐ、荷物の整理を手伝うというカタリナの申し出を断って、自分で収めたものだ。
観光。人目に触れる。店に入って買い物するかも。ユリウスを知っている人とも会うかもしれない。
清乃は足が痛くて歩けない、と言うのが似合うキャラではない。色々なところを見て廻るなら、ヒールのある靴は駄目だ。上品かつ歩きやすい格好、でも多分ズボンじゃなくてスカートのほうがいい。
髪を梳かしながら色々考えた結果、シンプルレースの白いブラウスに、藍色の膝丈スカートを選んだ。歩きやすいペタンコ靴を履いてもバランスが悪くならない服。もちろん全部新品だ。
ストッキングは後でいいだろう、と素足に部屋履きを引っ掛けて再び誠吾の部屋に、今度はノックも無しに入っていく。
「おはよう」
「今更かよ。おそようだろ」
「悪かったよ。エルヴィラ様に寝坊していいって言われて緩んじゃった」
部屋の中央に設置された丸テーブルに、三人分の朝食が用意されている。クロワッサン、ポタージュ、ソーセージ、サラダ。一度だけユリウスに出したことがある、朝からこれくらいできたらいいよね、過不足ない理想の朝御飯、と清乃が言った献立に似ている。
彼はこんな細部にまで注意してもてなしてくれているのだ。朝から胸がいっぱいに、
「キヨ、無理してる? 昨日もだけどその格好」
……台無しだよ王子様。
「してますが何か」
清乃は不思議そうな顔で見てくるユリウスの前で、空いた席に座った。
何やら考え込んでいる美少年のことは放っといて、いただきまーす、と手を合わせてから牛乳の入ったコップを手に取った。
「姉ちゃんまだ牛乳飲んでんの? もう伸びないからいい加減諦めろよ」
「同じ遺伝子受け継いでんだから、全部ブーメランだよ。虚しいでしょ」
クロワッサンが美味しい。ポタージュもまだ温かくてホッとする。
元気に食べる清乃を見ながら、ユリウスが提案した。
「今日は車じゃなくて歩いて行くか。キヨ、いつも着てるみたいな服は持ってきてる?」
「……ジーンズとスニーカーは一応あるけど」
飛行機用にと着てきた薄手の楽なものだ。人前には出られない。
「それでいいよ。食べ終わったら着替えておいで。オレもそうする。セイにはオレの服を貸そう」
ユリウスは真っ白いワイシャツに濃い緑のチェックのベスト、同色のスラックス姿だ。日本に居たときとは違う、王子様に相応しい服装だ。
誠吾も値段は違うが似たような服装だ。まあ大体誰にでも無難に似合うお坊ちゃんスタイル。
「脚の長さを考慮してくれよ」
「ハーフパンツにするか」
「……どこ行くの?」
「観光。って言ったろ」