紅竜
みなが呆けたようにそのひとを見ていた。
『……紅い竜だ』
鮮やかな赤毛に、返り血をべったりつけた騎士。
甲冑姿で軽やかに馬を駆り、近づいてくる。
(逃げ)
る必要性を、何故か感じなかった。
武装した戦士が接近してくるのに、誰も臨戦体勢をとらなかった。
騎士は身軽に馬から降り、側に控える男に槍と盾とを預け、大股で清乃の前まで歩を進めた。
高い位置にある顔を見上げると、人好きのする笑顔が返ってきた。
全然似ていないのに、ユリウスの笑顔がそこに重なった。
騎士がひざまずく、というより子どもに目線を合わせる仕草で片膝を突いた。
『小さき魔女殿。我が領民を守ってくださったこと、心よりお礼申し上げる』
掌を上に右手を差し伸べられ、清乃は思わず両手を背後に隠して後退った。
とん、と軽い衝撃、肩を支えられ、囁かれた声で後ろにフェリクスがいたのだと知った。
「みぎてをだせ。きしのかんしゃをうけとれ」
「!」
勝手にひとの右腕を提供するな! 叫びたいが、今更引っ込められない。
『領主さま、キヨはキスが嫌いなんだよ』
「……マリ?」
今まで絶対いなかったはずなのに、騎士の後ろからぶかぶかのネグリジェ姿の少女が顔を出す。自由な魔女。
『おお、そうか。それは失礼した』
騎士は清乃の右手の指先を壊れ物に触れるようにそっと握って、自分の額を近づけた。赤い髪が手の甲をくすぐる。
触れたのは指先と指先、それから髪の毛と手の甲だけ。
右手を解放された清乃は、ふらりと誠吾に寄りかかった。
「なぜあかくなる」
フェリクスの胡乱な視線を避けて、清乃は弟の背に隠れた。
「…………ほっといて」
動揺が大きすぎて、消え入るような声しか出なかった。
「おまえのツボがわからん」
黙れチャラ男め。大人の魅力に抗えるだけの経験がないのだ。仕方ないだろう。
『キヨが恥じらってる』
『かわいい』
『てか羞恥心あったんだ』
『見ろよユリウスの顔。イラあっとしてる』
清乃や少年たちの様子を見て、騎士は笑いながら立ち上がった。
かっこいいけど変なひと。
三十代? せいぜい四十代の頭くらいか。返り血を全身に浴びた甲冑姿で、こんなにも朗らかに笑えるなんて。
その異様さを意識させないところがまた変だ。
『おいライリー、これでおしまいか』
『はい、ありがとうございました』
『俺は帰るぞ』
『また今度』
『じゃあな』
『夫人によろしく』
赤毛の騎士に随う男たちが口々に何か言いながら去って行く。消えていく?
『紅い竜殿』
騎士集団が去った代わりに、魔女が現れた。
「……エルヴィラ様、ルキウス様」
魔女と騎士だ。
瞳を金色に光らせ長い髪を鮮血色に染め、黒いマントを翻すエルヴィラはいかにもな魔女に見えた。
彼女をエスコートする騎士姿の兄ルキウスは、魔女と同格の存在感を持って立っている。
あれ。王太子ってこんなひとだったっけ。
もっと軽いというか普通の美青年だった気がする。こんな猛々しい威圧感を放つひとではなかったはずだ。
新たに登場した魔女と騎士は、赤毛の騎士の前にひざまずいた。
次期国王の動作に、アッシュデールの人々が一斉に倣った。
清乃と誠吾も慌てて見様見真似で膝を突く。
『ご助力に感謝いたします、紅い竜殿』
ルキウスの言葉に、赤毛の騎士が微笑む。
魅力的なひとだ。特別美形というわけではないが、人の良さが全身から滲み出ている。
それでいて己にも他者にも厳しく生きてきたと分かるだけの深みが窺える。
これまでの経験を全部ひっくるめた上でも失われない朗らかさなのだ。
『立たれよ。現の王太子殿下、魔女殿。後ろの方々も』
紅い竜。伝説の騎士。
そうか。彼はアッシュデール王国の古い古いご先祖様なのだ。
紅い竜そのひとではない。魔女の古い記憶のなかのひと。
魔女はこのひとを、こんな風に記憶しているのだ。
『礼を言うのはこちらだ。そちらの小さき魔女殿が我が領民を守ってくださった。この娘が彼女を助けてくれと騒ぐから、仲間を喚んで駆けつけたのだ。久しぶりにみなと暴れられて楽しかったぞ』
赤毛の騎士は手を振り、ひらりと馬に飛び乗って去って行った。
『遅いぞ魔女! これ! 新米魔女を教育してくれ!』
古の騎士が去った途端、現代の騎士が妹を姉に押し付けた。
『ひとに責任を押し付けるな。それの担当者はおまえだ』
似ていない妹を受け取りながら、エルヴィラが弟に説教口調で何かを言う。
【さて、キヨに怪我はなさそうだな。遅くなってすまなかったね】
ルキウスが清乃の顔を覗き込む。
威圧感がなくなった。初対面のときの明るい美青年に戻っている。
【はい】
【はいじゃない。ツッコめよ。いつもみたいに】
ルキウスが手品のように鮮やかな手付きでフェリクスを後ろ手に縛り上げるのを、清乃は冷静な眼で見ていた。
「審判のときだよ。神妙にしな」
【そういうことだ。さすがに今回のことは見過ごすわけにはいかないぞ】
【おまえの妹のせいだろ】
【言い訳は聞かない】
【何があったかくらい訊けよ。俺は被害者だ。精神的外傷を負った。加害者はキヨだ】
清乃はすっとフェリクスから離れた。
「キヨ」
魔女が後ろに向けて放り投げると、新米魔女の姿が消えた。
現実世界に帰ったのだろう。
「エルヴィラ様!」
清乃は自分に向けて伸ばされた両腕の中に飛び込んで、遠慮なくぎゅうっとしがみついた。
「遅くなって悪かった。怖かっただろう」
「来てくださってありがとうございますうう」
清乃が柔らかい腕の中でメソメソしていたら、少年たちの陰口が聞こえてくる。
【態度が急に変わったぞ】
【そー。姉ちゃん男の前と女の前とで態度変えるタイプのオンナなんだよ】
【えっそれ嫌われるやつじゃん】
【一般的なやつとは反対だけど】
【そうなんだよ。おまえの姉ちゃんなんとかしろよって上級生男子に何回絡まれたことか】
なんとでも言え。どうでもいい奴らに嫌われてもなんともないが、エルヴィラには可愛がられたいのだ。ぶりっ子して何が悪い。
「キヨ、そんな今更登場した奴になんの感謝だ。全っ部終わった途端に来るってどういうことだよ」
ユリウスがイチャモンを付けてくる。姉に反抗するなんて、誠吾並みなことを。
「仕方ないでしょ。女の事情はあんたたちには分かんないんだよ」
清乃は当然エルヴィラの味方だ。
彼女を護るために奮闘してくれたユリウスが、む、と顔をしかめる。
「こればっかりはどうしようもない。わたしも、キヨもな」
「? キヨは関係ないだろう」
「ユリウスそこ気にしなくていいから」
【さあ、帰ろうか。これで全員か? ユリウス、子どもたちの点呼を】
確かにひと目で確認するのは難しい人数だ。
少年たちが整列し、ユリウスが端から数を数える。
あれ、ひとり多い、ってセイか。ナチュラルに並ぶな、混乱する。エルヴィラ、全員揃ってる。頼む。
学校での彼らの様子が垣間見えた気がした。
【よし】
帰ろう。やっと帰れるのだ。
全員でエルヴィラの周りに集まった。
清乃と誠吾はこれから自分たちの身に起こる非常識に備えて、互いの服の一部を握り締めた。
そんな彼女たちの後ろにユリウスが立って、小柄な姉弟の肩に手を乗せる。
ファンタジーの世界はもう懲り懲りだ。フィクションは紙面上だけにしておくに限る。




