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短剣

「ど、どうしたの。まだ夜だよ。子どもは寝てなよ」

 清乃が声をかけるが、マリはちら、と視線を向けただけで、森の中を歩き出した。


『あたし帰らなきゃ』

 寝惚けているのだろうか。なんとなく生気のない顔だ。まあ元から生きていないんだろうけど。

『今更どうした。やめておけ。客が帰ってからにすればいいだろう』

『今日はあたしが代わってあげなきゃ。今日はあたしが殺されてあげなきゃいけないの』

 マリは無表情で、だけど追い詰められている。そんなふうに見えた。

 行きたくない。だけど行かなくてはいけない。心を殺して行くのだと、決意して歩いている。


「マリ? ユリウス、マリはなんて言ってるの?」

「……よく分からない。代わりに殺される、……母親の代わりにということか?」

 マリは母親が毎晩殺されていると言っていた。言葉通りの意味だったのか。

 彼女の母親は、客の男の手で殺されたのか? そしてマリも。

 彼女はその小さな身体からは想像もつかない速さで歩いた。否、これはそんなスピードではない。

 普通の歩幅で歩いているように見える。なのに、早足になって追いかける清乃がどんどん引き離されていく。

「マリ! 待ちなさい!」

 何故魔女を追いかけているのか、自分でも分からないまま清乃は走り出した。

 放っておけばいいじゃないか。ほんの数時間前、彼女が魔女であると気づいて逃げようとしていたのに。

「キヨ、キヨ!」

 ユリウスが呼ぶ声は無視した。追うなと言われることは分かっているからだ。


 彼を振り切って走ることは、清乃にはできない。それも分かっていた。すぐに腕を掴まれて止められた。

「分かるよ、キヨ。気持ちは分かる。だけど行ったら駄目だ。マリが向かった先には、キミが見るべきじゃない光景があるんだ」

「分かってるよ。だから、マリも止めてあげなきゃ。ユリウスならあの子に追いつける?」

 グロテスクもスプラッタも平然と鑑賞する清乃なんかより、十一歳のまま時を止めてしまっているマリの精神を守ってやることを優先するべきだ。

「無理だよ。あの子は魔女だ。間に合わない。今から行っても、あの家につく頃にはもう始まっているはずだ」

「魔女って言っとけばオッケーなんてのは、あんたたちにしか通用しないルールなんだよ!」


 清乃はユリウスの手を振り払って、再び走り出した。遅くてもいい。歩くよりは速いんだ。

 少しでも早く、惨劇を止めてやらなきゃいけない。


 ユリウスもフェリクスも、多分アッシュデールの人々はみな、魔女だから、ですべて解決したことにしてしまう。

 そんなことを言われても、清乃には分からない。

 マリは魔女だと言われたら、そうなのかと思うしかない。

 でも、彼女はずっと昔に死んだ魔女なのかもしれないが、子どもだ。まだ幼い子どもにしか見えないのだ。

 そんな子どもが、母親の代わりに殺されに行くと言っている。そんなもの、黙って見送っていいわけがない。

 そんなの正しい大人のすることじゃない!

「……キヨ」


 またすぐに追いつかれ、捕まった。

 ユリウスが困っている。

「ごめん。ユリウス、我儘言ってごめん。教えてよ。この世界にいるのは、魔女と、あとは誰? 何がいるの? 魔女狩りをした奴ら? 魔女の記憶の中の人物って、どんな奴なの? 普通の人間に見えるんでしょ。でも中身がない、ただの人形だと思ってもいいの? 魔女の記憶通りの行動しかしない、生きていない、命も意識も感情も痛覚も何もないモノ、で合ってる?」

「…………それを聞いてどうするつもりだ。駄目だよ。キヨが魔女のためにそんなことをする必要はない」

「じゃあユリウスが行ってよ。ねえ、マリを斬るつもりだったんでしょ。ならいいじゃない。意識を持ってるあの子を殺せるなら、ただの人形を斬るくらい、簡単なことでしょう!」


 こんなこと、言ったら駄目だって分かっている。彼を責めたって、どうしようもないことだ。

 ついさっきまで腕の中でしおらしくしていた清乃の怒声に、ユリウスが顔を歪める。

 ああ、駄目だ。

 優しい彼が、この程度のこと考えたことがないわけがない。

 今清乃が望む通りのことをしたって、なんの意味もないのだ。後に残るのは、ヒトのカタチをしたモノを殺してくれと清乃が願い、ユリウスがそれを実行したという事実だけ。

 今を生きる清乃とユリウスの精神が傷を負っても、またこの魔女の夢の中では同じことが繰り返し繰り返し起こるのだ。



(ワタシが連れていってあげようか)


 頭の奥で、女の声が囁いた。

 清乃は目を見開いた。

 助けを求めるために、口を開くことすらできなかった。

 だけどユリウスは瞬時に異変を察知し、彼女の手を掴んだ。


 彼が清乃を引き寄せる動作の最中に、風景が変わった。

 夜の森から、屋内へ。

 粗末な小屋の中。


 清乃は喉元まで込み上げてきたものを咄嗟に飲み込んだ。

 肉が焼ける臭い。駄目だ。見たら駄目だ。

 これはスクリーン上の出来事じゃない。今ここで起きている。目を逸らさなきゃ。

 目を逸らすために視線を移動させると、痩せた小さな足が視界に飛び込んできた。

「マリ」

 マリの足だ。体は見えない。彼女に覆い被さる大きな男の背中が邪魔で見えない。


 なんでこの子が?

 こんな小さい子に、こいつらは一体何を。

 見たくない。

 でも清乃が目を背けたら、この小さな子はどうなるのだ。



 ここは魔女の夢の中。

 魔女が見てきた記憶の世界。

 この世界で生きているのは、魔女だけだ。他はただのハリボテ。

 苦しんでいる、苛まれているのは魔女。この世界で生きている女性。

 彼女を苛んでいるのは、ヒトのカタチをしたモノ。

 創りモノ。こいつらはフィクションだ。


 清乃は、残酷なフィクションなら得意分野だ。どんな場面が出てきても平然としているから、弟から精神異常者呼ばわりされることもある。

 フィクションの世界なら、どんなことが起こっても平気だ。精神を損なわない自信がある。



 ユリウスはいつも(いにしえ)の騎士のように、自分の左側に弱い清乃を置きたがる。彼の左腰には、扱いが難しそうな長剣の他に短剣もぶら下がっている。

 両刃のダガー。騎士が敵にとどめを刺すときに使うもの。つまり殺傷力の高い武器だ。

 それを清乃は無断で抜いた。

 自分でも驚くくらい自然な動作で抜けたから、ユリウスに反応する暇はなかったはずだ。

 短剣の柄を掴んでから二歩前に出るまで、一度も動きを止めることなく、滑らかに動けた。

 短剣を振り上げる動作は鈍かったかもしれない。慣れない動きだから。だから、ユリウスが伸ばした手に捕まってしまった。

 ユリウスの手が、清乃の手の上から短剣を握る。


(邪魔しないで)

 清乃の力では、彼を振り払えない。

 だけどそのまま、彼女の目的は達成された。


 マリに覆い被さっていた男が、音を立てて床に倒れる。

 ユリウスが清乃の手から短剣を取り上げ、ぶんと振って血糊を払った。

「……キヨ?」

 小さな女の子が、ぽかんとした顔で清乃を見上げている。

 破かれたぶかぶかのネグリジェ。ついさっきまではなかった顔の傷。


 おかしいな。なんでこんなにはっきり見えるんだ。夜なのに。魔女の仕業か。

 よく見ろと、自分たちに起こった出来事をその眼に焼き付けろと、そう言いたいのか。

 自己主張の激しい連中だ。

「なんだ。まだ生きてたの、魔女っ子マリちゃん」


「何それ。あたしもう死んでるよ」

 ユリウスが無言のまま更に短剣を振った。室内にいたもうふたりの男から血が噴き出る。

 それは下手クソな監督が撮った古い映画のように滑稽なだけで、清乃の心になんの波風も立てることはなかった。

 彼女は冷静なままの眼でユリウスを観察するが、彼の横顔にもこれといった感情の動きは見えない。

「生きてんじゃん。あんたも、あんたのお母さんも」


 ユリウスが足で無造作に押し退けた男の向こう側にいた女性の上半身には、できたばかりの火傷がいくつも確認できた。

『…………マリ』

『お母さん』

 マリが女性に抱きつくと、彼女は痛みを感じていないかのように、傷だらけの身体で娘を抱きしめた。

『駄目よ、マリ。来たら駄目。わたしが死なないとあんたが死ぬことになる』

『お母さん、見てよ。死んでないんだって。あたしも、お母さんも』

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