禊
「ユリウスもフェリクスも独身だよ」
「婚約者持ち。彼女持ち。アウト。ていうかあたし、まだ学生なんだよ。在学中にシングルマザーなんてなったら、その後の人生ハードになっちゃうじゃん」
『なんでキヨは魔女と普通に会話してるんだ』
『分からん。今度大学の教授にキヨの精神分析してもらえないか相談してみるか』
『結果がちょっと気になる』
『俺はなんで魔女のために湯なんか沸かしてるのか気になってきた』
男ふたりでぼそぼそと何かを喋っている。
「大丈夫。お母さんは十六歳のときにあたしを産んだんだよ」
「時代が違うんだよってみんなに教えてあげて。今は女も学校卒業して働いて、自立した者同士で結婚することを推奨される時代なの。子どもはそれから。何百年も生きてたら難しいのかもしれないけど、昔とは事情が違うんだってことに気づきなさいよ」
『魔女に説教しだしたぞ』
『キヨのメンタル鋼鉄製か』
彼らが清乃に分からない言語を使っているということは、彼女に聞かれたくない話をしているのだ。
魔女関係の話か、もしくは清乃に対する陰口か。
「あたしたち生きてないよ。ずっと昔に死んでるもん」
「自覚があるならさっさと成仏しなさい。じゃないか、昇天? て言葉は嫌いなのかな。とにかくいつまでもこんなとこでぐずぐずしてるんじゃないよ。みんなで自分たちの神様のところに向かいな」
魔女たちは死んだらどこに向かうのだろうか。宗教が違うとどう表現するのか分からないな。
肉体はとっくに土に還っているだろうから、残ってしまった魂の向かう先が必要だ。ただ消えるだけではなく、違う世界に旅立つのだと考えられたほうがいいに決まっている。
『今度は説得。エクソシストか』
『これで奴らが改心して、魔女問題が片付いたらどうする。俺たちの数世紀に渡る苦労はどうなるんだ』
『そのときは素直に喜んで国家解体で良くないか。そしたらオレ日本で就職しようかな』
『キヨにプロポーズするのか』
ふたりは火付けに苦労しているようだ。手伝おうか、と言おうにも、何をすればいいのか分からない。
『その頃まで続いてたら考える』
『おまえ最近シビアな考え方するようになったな。キヨの影響か』
『そうかも。夢を見させてくれないから。ていうかこれ、やっぱり薪が湿気ってるぞ。全然火が大きくならない』
「ねえ、何かやることある?」
清乃は一応礼儀として声だけかけてみた。王子様だけ働かせるのもアレだし。
「大丈夫。待ってて」
「ユリウスが発火すればいいじゃん」
マリが当たり前のように口を挟む。発火? PKの話か?
「できない。発火能力はないんだ」
「できるはずだよ。頭に火のイメージを浮かべるの。やり方は物を動かすときとかと一緒だから。やってみて」
ぼうっ
突然炎が上がった。
『うわっ』
「ね、できたでしょ。火が安定するまで、そのまましばらく注視してて」
寝台に座って脚をプラプラさせる少女の言葉に、王子様が黙って従う。
マリの言うとおりしたら、すぐに湯が沸き、釈然としない顔の男性陣が黙々と湯浴みの準備をする。
彼女が魔女と判明した今、清乃とふたりきりにするわけにはいかないと、ふたりとも外に出ることを拒んだ。
今は服を脱ぐ少女に背を向けている。
マリの頭は、今朝落とし切れなかった頭皮の汚れと外で付いたばかりの泥を落とすだけだから、湯を換えるほどではなかった。
浅く湯を張ったタライに痩せた小さな身体を座らせて、ごしごしと乱暴に背中を擦ってやる。
「痛いよキヨ。朝みたいに優しくしてよ」
「魔女には無理。ほら、あとは自分で洗いなさい」
「キヨがやってよ。身体なんかほとんど洗ったことないもん。こうしてたらお姫さまみたいだね」
安上がりなお姫さまだ。
清乃は仕方ないなあと布を濡らし直して、頸周りの汚れを丁寧に落としてやった。
育児も介護も経験したことがない清乃は、他人の体を洗ったことなどない。
マリはその不器用な手付きに文句を言うことなく、むしろ嬉しそうになすがままになっている。
彼女は普通の女の子に見えた。
清乃は禊のつもりでその小さな体に付いた汚れを落としてやった。
こうすることで、彼女の罪穢れを祓い清められたらいい。
マリがどのような生まれ育ちをしてどうやって死んでいったのか、なんとなく想像はできる。同情することは可能だ。
けれど彼女は、清乃をここまで追い詰めてきた奴らの仲間なのだ。
この禊によって、彼女が、彼女たちが考えを改めてくれたらいいのに。
そんなこと考えても無駄か。そんな打算的なことばかり考える清乃自身が清くないのだから。
だって仕方ない。「清い心の持ち主に」なんて願いを込められた名前じゃないんだもん。
「明日から自分でやりなさいよ。魔女もアップデートしていかなきゃってみんなに教えてあげな。水でもいいから毎日洗うの。気持ちいいでしょ。お母さんのお風呂も手伝ってあげたら喜ぶよ」
「じゃあ今キヨの背中洗ってあげる」
「結構です。明日帰って洗うから必要ない」
魔女に無防備な背中を預けてたまるか。
「なんでよ。練習させてよ」
「練習台が必要なら、そこにあたしより大きい背中がふたつあるよ」
指名されたふたつの背中に緊張が走る。
「やめろ、キヨ。いいかげんにしろよ」
「振り返るなロリコン」
「ふりかえってないだろ。そのレッテルはいつはがれるんだ」
「さあね。疑いが晴れたらじゃない?」
「あのロリータ、いっかいくらいなぐってもいいか?」
脅しのつもりか。下手くそな日本語で言われても怖くはない。
「やめとけ。後悔するぞ」
「殴ってみれば。次は物理的にツブしてやるから」
「……そういう後悔じゃなくて、こう精神的なあれこれのつもりで言ったんだが」
マリの濡れた髪を絞って体を拭いてやり、服の代わりに清乃のマントを巻き付けてやる。
残り湯で服をざぶざぶ洗うと、すぐに湯が変色した。水が足りない。
「ねえ、川に洗濯に行ってもいいかな」
大きな桃が流れてきたらどうしよう。話が複雑化するからスルーしていいかな。あ、でも桃から生まれた子をあたしが産んだのって言っちゃえば全部解決するかも。その子にきびだんご作ってやって……作り方が分からないから岡山出身の友達からもらった土産で誤魔化すか、食べさせて魔女退治させよう。それがいいな。桃拾おう。
「水が必要なら、フェリクスとユリウスに頼もうよ。できるでしょ」
「……みずをヨべと」
フェリクスが遠隔視で川の映像を捉え、精神感応でその映像をユリウスに送る。
ユリウスはフェリクスの遠隔視を通して目視の条件をクリアし、遠くにある水を運んでくる。
理屈上では可能な気がするが、そんなことはやったことがない、とふたりで顔をしかめる。
ここにきてどんどん現実離れしてきた。
ユリウスが火を産み、水を喚ぶ。
そんなのもう、魔法使いじゃないか。
ふたりは魔女の言う通りに能力を使い、苦労することなく新たな水を運んできた。
綺麗な水で貫頭衣と言ったほうが近いようなワンピースを洗い、絞って室内に干しておく。
マリはそうやって動く清乃の様子を物珍しげに見ていた。洗濯もろくにされずに育ってきたのだろうか。
裸にマントだけの子どもを見ていると、虐待しているような気分になってくる。
「ねえ、あたしが着てた服、今だけ着せてやってもいいかな」
「……よくないけど、仕方ないか。服が乾いたら、すぐに着替えさせて」
すべてが終わる頃には、もう外は真っ暗になっていた。
小屋内の光源は窓から差し込む月明かりと、電気替わりの竈の火だけだ。
何か読むわけでも細かい作業をするわけでもないから問題はないが、薄暗さに慣れない身には心細さが募る環境だ。
夕食後に無駄に動いたせいでお腹が空いてしまった。が、痩せた子どもの目の前で大人だけが食事を摂るわけにもいかず、暗黙のうちに空腹は我慢することになった。
この世界の魔女は食事を摂らないのだろうか。すでに死んでいるから?
マリは一度も食べ物をねだってこない。
ブカブカの白い子ども用ネグリジェを着て、お姫さまみたいだと喜んでいる。
ドレスじゃなく寝間着だ。床で寝ろ、と寝台から降ろそうと奮闘したが叶わず、現在に至る。
魔女とふたり寝は嫌だ。
清乃が仕方なく寝台を諦めて床で寝ようとすると、マリがくっついてくる。
「キヨと一緒に寝る」
ユリウスが小さい身体を拘束し、その隙に寝台を取り返すが、すぐにまた寝台に上ってくる。
結果、床に転がっているのは壁側から順に清乃、マリ、ユリウスの三人となった。
「何故川の字。何故フェリクスがベッド。色々おかしいでしょ」
【ベッドがあるのに使わないほうがおかしいだろ】
正論である。
「ユリウス、キヨの隣で寝てもいいよ。こっちはあたしだから、ユリウスは向こう側ね」
「おまえが許可するな」
マリの頬をつねる清乃の手を、そのくらいにしとけとユリウスが止める。
「なんかオレもう、何もかもどうでもよくなってきた」
「おれもだ。じゅんばんにみはりとかやめて、このままあさまでねるか」
「もうそれでいいだろ。すでに魔女がここにいるのに、何を見張ればいいんだよ」
投げ槍だ。気持ちは分かる。
今なんでこんなところにいるんだっけ。
どれだけ清乃を異界に閉じ込めていても、ユリウスやフェリクスとどうこうなることはない。魔女は何をしたいのだ。
まさか計画が失敗したから、面倒になって放置しているのか。そんな気がする。ふざけんなよ。
どうせエルヴィラが迎えに来るからほっとこう、とか言っているのだろうか。想像だけで腹が立つ。
「エルヴィラ様に会いたいなあ」
「オレも。こんな気持ちは初めてだ。エルヴィラー! 早く迎えに来てくれ!」
ユリウスが寝転がったまま天井に向かって叫ぶから、清乃も付き合って現世の魔女の名を呼んだ。
「エルヴィラさま――!」
「……キヨってなんでエルヴィラだけ様付けなの?」
日本語ネイティブじゃないくせに、敬称に引っ掛かるのか。さすがだ。
「だって様って感じじゃん。王女様でしょ」
「オレは王子様だ」
「おれも」
今更そんなこと言われてもな。
「いいなあ。あたしも魔女長に会いたい。けど叱られちゃうかな」
「叱られてしまえ。悪いことした子どもはお尻を引っ叩かれるんだから」
「えーやだぁ。じゃあ隠れてようかなあ」




