興味
彼がまともな人間に見えた。だから、少しならいいだろうかと、気になったことを訊いてみることにした。
「ねえ。ただの興味本位だから、答えたくなければそれでいいんだけど」
【なんだ。珍しく遠慮がちだな】
別に珍しくない。これが清乃の普通だ。
フェリクスと穏やかに話をしようとしている今の状況が珍しいだけだ。
「フェリクスは、他人の記憶が映像として視えるんでしょ」
【ああ。意識すればな】
「意識しなくても、事故的に視えちゃうことってないの?」
そうだとしたら生きづらそうだと、少しだけ気になってしまったのだ。まあ興味本位の域を出ないが。
フェリクスはなんでもないことのように、あっさり答えてくれた。
【昔はあったかな。小さい子どもの頃の話だ。視ようと思ったわけでもないのに、意識を向けてた相手の記憶が視えたんだ。禁じられていることだと理解できる年齢にはなっていたから、怖くなって黙っていた】
「ふうん。今はないの?」
【ない。最後は七つか八つくらいのときだ。胸のデカいメイドの気を引きたくて手を掴んだら、男の姿が視えた。初めての失恋だ】
「マセガキのセンシティブなお話までありがとう」
一桁年齢の頃からこいつはこんな感じだったのか。暗い幼少期設定はどこに消えた。
【あとはそうだな。映像を視ることはないが、感情、感覚か、がシンクロしたみたいになることは今でもある】
「へえ。楽しいとか悲しいとか? 普通の人でもあるよね。それの強いバージョン?」
【相手がよっぽどイイときだけな。俺もまだ二十一だからな。そこまでの経験は数えるほどしかない】
フェリクスがなんでもない顔で言うから、清乃は一瞬意味を受け取り損ねた。
「…………ああ。へえ」
普通の会話の調子のまま、エロ話をぶっこまないで欲しい。それとも彼にとっては日常会話の一部なのか。その可能性はある。
だからこいつは嫌なんだ。
【映像が視えるわけじゃないから、能力は関係ないのかもしれないけどな。向こうがい】
「詳しくはいい。でもちょっと興味あるからオブラートに包んで頼む」
【興味はあるのか】
意外そうな顔で見るな。なら何故喋った。
「そっちの興味じゃないわ。シンクロのほう。同じ体験をして感情を共有する、みたいなイメージで合ってる?」
部活で共に汗を流した仲間と得た勝利を喜ぶ、大人なら、プロジェクトの成功をチームの仲間と共に祝う。
そんなときの彼らの気持ちは、シンクロしていると言っても過言ではないはずだ。
それと同じことを、他人の精神に感応する力を持つフェリクスは、もっと強い形で体験することが可能という話か。
【なんだろうな。ここ最近の体験だから、まだよく分からん。研究所にも黙ってるから】
彼にもプライバシーを大事にしたいという気持ちがあったのか。
報告義務があるであろう機関には秘密にしているくせに、清乃にあっさり喋ったのは何故だ。下ネタにどういう反応を返すだろうかという、ただの嫌がらせ目的か。
いちいちムカつくな、この野郎。
まあ興味のある話を聴く機会を逃すほどの内容でなければ、スルーすればいいだけだ。
なんにせよこれは、他言無用の内緒話ということなのだろう。
「そうなんだ。精神状態とか、衝撃で、ってことなのかな」
【かもな。そういうときにはこっちも大概イカれてるからな。そこに相手の強烈な快感が流れてくるから、クセになる。麻薬みたいなもんだ】
フェリクスが女性とどういう気持ちでどういう付き合い方をしているかなんて知らないが、そのときくらいは相手のことだけを考えているのだろう。
相手に集中している。普通の精神状態ではない。性的、肉体的と言い換えてもいいか、衝撃。相手が強く感じていること。
精神感応の発現条件が接触、ということも考えると、接触面の多さも関係してくるのかもしれない。肉体的に近づくと、精神的にもより相手に近づくことができるという考えは、一般人にも理解しやすい。
条件はそんなものか。
(……ふうん)
清乃にはまったく関係ない、フィクションの世界に近い話だ。
ただ興味本位で訊いてみただけ。ふうん、で終わってもいいだろう。
もとより中毒性のある行為の最中に、自分のものとは別の強烈な快感を味わう。それで更にトリップしたようになる。
聞いた限りでは、確かに強い中毒性がありそうだ。
というか、すでに中毒症状が出ているのではなかろうか。彼はその強い快楽体験が忘れられず、追い求め、そのせいで二股チャラ野郎になった。
……違うか。こいつは子どもの頃からこんな感じだと、今聞いたばかりだ。
「へええ」
以外のコメントは差し控えておこう。
もう少し突っ込んで訊きたい気もするが、例として挙げられるのは他人の情事だ。これ以上フェリクスのタダれた私生活の話を掘り下げたくない。
知りたいことは聴くことができた。このへんまでにしておこう。
【ってコドモに言っても分からんだろうけどな】
チャラ男の夜事情など分かりたくもない。
「あー子どもでよかったあ!」
城の中は大勢の人が歩いていた。男性は基本スーツ、女性はスーツの人と制服らしきワンピースに白エプロンの人が多い。
ここは王族の住居というだけでなく、国の中心でもあるのだ。王子の誕生日パーティーを明日に控えて、準備にバタバタしているのだろう。
『フェリクス様、その方がユリウス様の?』
スーツの女性がフェリクスに声をかけた。割りと親しげだ。清乃には愛想のいい笑顔を向けてくれた。
『そうだよ。部屋まで送ってくる。滞在中に迷ってるところを見かけたら助けてやってくれよ』
『承知しました。可愛らしいお嬢さまですね。フェリクス様が人攫いに見えますよ』
『うん、彼女一応二十歳だからな。失礼のないように頼むぞ』
『! かしこまりました。みなにも伝えておきます』
『慌てなくていい。気持ちはみんな一緒だ』
人々は王子の称号を持つフェリクスに気軽に声をかけ、彼も気軽に応じる。ユリウスもそうだった。
王族と、国民の距離が近い。
会話の内容が分からない清乃は気合いを入れて控えめな微笑を浮かべ、フェリクスの影に隠れていた。
【キヨ、そうやって隠れてたら本当に小さい子どもみたいだ。気をつけろ】
「……簡単に言わないでよ」
【おまえはユリウスを保護し、危機を救った恩人だと認識されてる。そんなふうにしてたら疑われるぞ。堂々としていろ】
保護はともかく、救った記憶は清乃にはない。むしろ誘拐犯からユリウスが救い出してくれたのだ。
「…………そんなこと言われても」
【簡単だろ。いつも俺を睨むみたいにしてればいい】
「それただの変なひとじゃん」
親切にしてくれるひとを睨むなんて失礼なこと、清乃にはできない。言葉が分からないから戸惑うし、日本人と違う顔立ち、上背のある人々に囲まれると萎縮してしまう。
フェリクスが目を細めて清乃を見下ろした。なんだ、またその優しい顔。気持ち悪い。
【キヨはオレと反対だな。いつもは弱くて真っ当な礼儀正しい人間に見えるが、実際はその逆だ】
「ちょっと待て。それだとあんたが実は真人間で、あたしが駄目な奴ってことになるじゃない」
【思い切りと度胸がある強い人物だって話だ。銃なんか見たことないくせに、ためらいなく拾って構えたって聞いてるぞ。いざというときに肝が座っててカッコイイ、ってユリウスがベタ惚れだ】
惚れた理由がおかしい。ユリウスそこなのか。そこでいいのか。それなら舎弟にしてやろうか。
「……あたしは小さい人間だよ。身長の話じゃなくてね! 今回だって、フェリクスが色々気にしてくれたからなんとか来れたんだから」
【まあ普通はビビるよな。俺だって留学前だったら気づかなかった。ユリウスを責めないでやってくれよ】
フェリクスはボストンで庶民の生活を学んだということか。二十一歳。年の功と言うには若過ぎるが、ユリウスとの四歳差はまだまだ大きい。
「分かってるよ。これでもあんたには感謝してるの。ありがとう」
彼のおかげで、大切な友人の誕生日を祝うことができる。
【気にしなくていい。ほら、ここだ。夕食は小さい食堂に用意するよう指示してある。おじさんもおばさんも来ないから、そのままの格好で気楽に来ればいい。そのワンピースはよく似合っているから、普通の晩餐ならなんの問題もない】
普通の家だと、一家の主に最初に挨拶すべきなのだろうが、その主とは国王のことだ。挨拶をしたいと言うほうが失礼に当たるだろう。
いち大人としてどうかと思うが、友人の父と食事を共にせずに済むと知って、清乃は胸を撫で下ろした。
「分かった」
【おじさんはキヨに会いたがってたけどな】
「畏れ多うございます……。じゃあしばらく休ませてもらうね。送ってくれてありがと」
微笑んだフェリクスが清乃の頭に手を伸ばす。彼女はそれを無言で避けて高いところにある顔にしかめっ面を見せ、部屋の扉をバタンと閉めた。