再訪
時代が変わっても、植物は植物だ。気候変動はあったのだろうが、清乃が見る限り、生えている草木は現代と同じようなものに見える。
時代がかった衣装を着ていなければ、ここが現代でないことを忘れてしまいそうになる。
マリを家まで送ってから小屋に戻り、缶詰とペットボトル飲料の朝食を摂った。栄養失調気味に見えた少女に食べさせてやれるものではない。
何が起こるか分からないから、この世界の物は口にするなと言われている。
逆も言えるだろう。現代の食べ物をこの世界の人間に食べさせてはいけない。
清乃は当てがわれた袋の中に残りの食料と食べ終わったゴミ、着てきたものなどをすべて入れ、いつでも逃げられるように備えている。
フェリクスが時折ふらっと小屋から出て行き、一定時間が経つと戻ってくる。どうやら周囲の見廻りをしているらしい。
清乃は暇だから本が欲しいな、以外に考えることがなくて、占領した寝台でゴロゴロしている。藁のベッド、慣れたらチクチク感も気にならなくなってきた。癖になりそうだ。
ユリウスとフェリクスは口には出さないが、緊張感をなくすことなく、些細な物音にも反応し、視線だけで会話して行動する。
その様子を見て、ここは危険な場所なのだ、と清乃は再確認せざるを得ない。
彼らが夜に備えるために寝ておく、と言って交代で床に転がろうとするから、その間は寝台を譲って小屋の隅に移動し、膝を抱えてぼんやりしていた。
太陽の色が赤く変わる頃に、再びマリが小屋を訪ねて来た。
『客が来たから、朝までここに居させて』
ユリウスが難しい顔をして、小屋内に入らせまいと彼女の前に立ちはだかる。
『……駄目だ。帰りなさい。帰って別の部屋で布団を被っているんだ。耳を塞いで目を閉じていれば、すぐに朝になる』
『やだ』
マリはユリウスの横を擦り抜けようとするが、あっさり捕まって追い出された。バタンと扉が閉まると、すぐに静かになった。
諦めて帰ったかな、と思っていると、カタンと小さな音と共に窓からマリが飛び込んできた。
『あっこいつ!』
彼女は今度はユリウスが伸ばした手に捕まることなく、清乃の胸に飛び込んで、ぎゅう、としがみついてきた。
こいつならチョロいと思われているのだ。舐められている。
清乃はマリの脇を掴んでよいしょ、と持ち上げると、尻の下を支えて抱っこしてやった。喜んで首にかじりつく彼女の背中をぽんぽんと叩いてやりながら、スタスタと歩く。
ユリウスが開いてくれた扉から外に出て、そこでマリを降ろして立たせた。
「帰りなさい」
『いや!』
泣きそうな顔で見上げられたら、罪悪感に苛まれる。
明日には迎えが来るのだし、ひと晩くらいいいか、と言いたくなってしまう。
清乃がそう言ったら、厳しい態度を取るユリウスも仕方ないな、と言うしかなくなる。彼がそう言ったら、フェリクスも反対しなくなる。
その結果、何が起こるのかも分からないのに。清乃の自己満の偽善なんか、口にしてはいけない。
「……この小屋、この子の避難所だったのかな。もしかして、あたしたちが出て行ったほうがいい?」
妥協案を口にすると、ふたりが複雑な顔になった。彼らはその可能性にもっと早くに気づいていたのだ。清乃を屋内で護るために、気づかない振りをしていた。
「他の建物が見当たらないんだ。マリには今夜だけ我慢してもらうしかない」
「あたし、ひと晩くらいなら野宿でも平気だよ。どこででも寝られるから。王子様方に問題がなければ、そうしませんか」
仕方ないな、とフェリクスが自分の荷物を肩に担いだ。ユリウスと清乃もそれに倣い、不安そうに事の成り行きを見守るマリに手を振って小屋を後にする。
「じゃあね、マリ」
『君の小屋を占領して悪かったね。元気でな』
背を向けようとする三人に、マリが駄々をこねる。
『やだ! キヨ行かないで! ここに一緒に居て!』
彼女は一番近くのフェリクスの腕にぶら下がって大声を出した。
『おい。すぐにロリコン呼ばわりする奴が見てるから離れろ』
長身のチャラ男が、小さな女の子の扱いに困っている。清乃はその様子を見て少し笑ってしまった。
下手に振り払ったら怪我をさせそうで怖いのだろう。
助けてやるかとマリの肩に触れると、今度は清乃に力いっぱいしがみついてきた。
『やだやだやだ! 行っちゃやだ! ここに居て! キヨはここで赤ちゃんを産むの!』
『!』
血相を変えたユリウスがマリの腕を掴み、力尽くで清乃から引き離した。
彼が乱暴に放ると、小さな身体は地べたに倒れ込んだ。すぐに泣き声があがる。
「ちょっ、ユリウス、そこまでしなくても」
「そいつは魔女だ! 走れキヨ!」
魔女?
背中を押されて、反射的に指示に従って走り出す。視界の端に、フェリクスが腰の剣を抜くのが映った。
剣?
どういうことだ。
彼は今からマリを斬るのか? あんな小さな女の子を?
母親の躰を買いにやって来る男が怖くて、毎日のように夜の森を彷徨うような生活を送っている子どもを殺すというのか。
魔女だから?
相手が魔女だからそうしてもいいと、彼らはそう考えているのか?
「……やだ」
「走れと言っただろう!」
「走ってる! あたしは必死で走ってもこの速さなの! 頑張っても子どもより遅いんだから、もう走らない!」
清乃はヤケになってその場で立ち止まった。抱えた荷物を落として、その場にしゃがみ込む。
「キヨ!」
「フェリクス今すぐこっち来ておぶって! どうせあたしが走るより速いんでしょ!」
「キヨ! 考えるなと言っただろう! あれは人間じゃないんだ!」
賢いユリウスは、すぐに清乃の行動の理由を悟った。
「そんなこと言われても分かんないよ! ちゃんと全部説明して! あの子と一緒にいたらどうなるの? フェリクスがあの子を斬ったらどうなるの!」
「……キヨ」
苦虫を噛み潰したような顔のフェリクスが、剣を鞘に戻してこちらに向かってくる。
それに気づいたマリは泣くのをやめて駆け出し、彼を追い越して清乃に飛びついてきた。
べしんっ
「近づくな魔女」
マリが叩かれた額を押さえて、また涙目になった。
躊躇なく子どもに暴力を振るった清乃に、男ふたりが引いている。そういう自分たちはついさっき何をしようとしていたのだ。
「あたしは騎士道精神を叩き込まれて育った奴らと違って、子どもの頃から小さい弟をぶん殴ってきたんだよ。子どもだろうがなんだろうが、なんかしたら容赦なくぶつよ。覚えときな。……って通訳してよ、ユリウス」
オレに子どもを脅せと言うのか、とユリウスが顔をしかめる。だからあんた今さっき、と清乃は言いかけて途中で止まった。
マリがめげずに抱きついてきたのだ。
「おい魔女」
「マリだよ。マリって呼んで、キヨ。ぶってもいいから、ここに居てよ」
「そう言えば殴られないと思ったら大間違いなんだよ! 日本語喋れるなら最初っから喋れや!」
何故喋れるのだ。魔女って言えばなんでも有りだと思いやがって。
額を上から押さえつけて鼻を摘んでやると、マリがバタバタと暴れた。
「ひひゃい! ひどいよキヨ」
今度はユリウスに狙いを定めやがった。彼の背後にまわって、清乃に恨みがましい眼を向ける。
ユリウス、反射的に庇うな。言動に一貫性がない奴め。
「ひどいのはどっちだ。あたしはあんたたちとは無関係なんだから、さっさと解放してよ。魔女ならここから出せるんじゃないの? 現代まで送ってよ」
「あたしじゃムリだよ」
「役立たず。もう家に帰んな。嫌な奴がいるなら、自分で追い出せばいいじゃん。ここ、あんたたちの夢の中なんでしょ」
「それも無理。あれはお母さんの夢だから。あいつらは毎晩やって来て、毎晩お母さんを殺すの。もう見飽きちゃったよ」
殺す、というのは、その行為の意味が分からない子どもの言葉なのだろうか。それとも、言葉通りマリの母親は、繰り返し繰り返し、娘の目の前で殺される夢を見続けているのだろうか。
何百年もずっと?
「ふうん。じゃああたしたちは別のとこに行くから、あんたはあの小屋で朝まで寝てなさい。……おい離れろ。あんたまだ汚いんだからくっつかないで」
しがみつくマリを容赦なく引き剥がし、ぽいっと放り投げる。べしゃっと地面に倒れたが知ったことか。
清乃は無言で荷物を掴んで走った。




