願望
「……それ以上さわるな」
「いやか」
嫌じゃない。フェリクスの手は温かくて気持ちがいい。冷たかったら正気に返れたのに。
「…………やだ」
「そうか。キヨがいやならやめようか」
「まずこの体勢が嫌だよ。放せ」
フェリクスは清乃を抱きしめたまま離そうとしない。大切な宝物を守るように、腕の中にしまっておきたいとでもいうように。
【ユリウスは真面目な奴だからな、キヨをうちの事情に巻き込みたくないんだ】
「おい無視するな」
【あいつは王子としての使命感を捨てられない。だからキヨに一緒に居て欲しいと言えないんだ。そのくせ一縷の望みをかけてうちに招待した。キヨがこの国に拒否反応を起こさないか、慎重に観察していた】
「……そんなの知らない」
【キヨは怖がったんだろう。この国の在り方はおかしいと思った。だからあいつは、キヨを諦めることにした】
諦めるってなんだ。
ユリウスはいつも通りだった。一番親しい男友達、と言った清乃の言葉に進歩だと喜んだ。
彼の望みに近い関係になろうと提案したつもりだった。彼が婚約者と向き合うまでのほんの一時期だけ。
彼が満足するならそれくらいいいと思ったのだ。
清乃は無神経なことを言ってしまったのだろうか。
彼の決意を無にしたと、そう言ってフェリクスは清乃を責めているのか。
「………………」
【泣かなくていい。責めているわけじゃない。おまえの反応は正常だ。でもな、俺はユリウスが大事なんだ。あいつは普通の男みたいに好きな女と付き合って結婚して、というのは諦めても、キヨと関わりを断つのは寂しいと言っている】
それは清乃が言ったからだ。
日本を去る前、ユリウスはふたりの関係を断ち切るため、最後の想い出を欲しがった。
清乃はそれを拒否して、友人として付き合いを続けようと提案した。
「……そう」
【キヨは王子妃なんてものにはなれないだろう】
「なれない。ならない」
【それなら俺の妻になればいい】
「…………ん?」
ヒアリングミスだろうか。何か違う話になった気がする。
「けっこんしてください」
「棒読みしてんなよ、この腐れ頭が。やっぱりルイーザさんに育て直してもらってこいや」
助かった。
ぼんやりしていた頭が急にスッキリとした。
びっくりし過ぎて目が覚めた。
清乃はフェリクスの腕の中から逃げ出そうと試みるが、無駄に疲れただけに終わった。
彼は低い声で笑いながら清乃を抱きしめる腕に力を入れ、今度はこめかみにキスした。
耳の近くで響くリップ音に、ぎゃあ、以外の声が出ない。
【口が悪くても俺は気にしないぞ。日本語だとよく分からんしな。割りと嫌いじゃない。面白い】
「嫌いでいい! 意味分かんない! 放せ変態! それ以上触ったらあんたが送ってきたセクハラメール、全国民に流してやるからな!」
【大丈夫。みんな仲のいい恋人だと思うだけだ。夫婦のやりとりなんてそんなもの】
「なわけあるか! エゲツないもんばっか送ってきやがって! 放せ馬鹿変態この !」
清乃が汚い言葉を投げつけても、フェリクスは笑うだけだった。
こいつには敵わないのか? 冗談じゃない!
【今からキヨは、俺の子を胎に入れる。そうしたらアッシュデールの人間は、なんとしてもキヨを国内に留め置く。一度魔女の子を宿した女は、胎内に魔女のカケラを残すとされてる。子どもだけ取り上げて日本に帰すというわけにもいかなくなるんだ。大丈夫。おまえは魔女の亡霊の犠牲者、そうなることを止められなかった王家は加害者の一味だ。贖罪のため、みんなキヨを大事にする。俺はもうすぐ王子の称号を返還するから、気楽だけどそれなりの身分、っていう美味しい立ち位置になるぞ。キヨには元王子の正式な妻としての身分を与えるが、義務を果たせとは言わない。好きな本でも読んで暮らせばいい。キヨが嫌だと言うなら、俺は今夜以降キヨに触れない。従弟が妻の元に通ってくるのを、笑ってもてなしてやるよ】
何をアホなことをベラベラと、と顔をしかめて清乃が振り仰ぐと、フェリクスは首を傾げて彼女を見下ろした。
フェリクスの目がおかしい。焦点が合っていない。清乃を見ていない。
(操られてんじゃん!)
馬鹿だこいつ馬鹿だ!
誰だよ、満月の夜が過ぎれば安全だって言った奴。
やっぱりそんなわけなかったんだ。
エルヴィラは満月の夜じゃなくても、魔女の力を扱える。
満月の夜は魔女の力が増す。だけど満月以外の日でも、魔女は力を失うわけじゃない。
前例がなかったのかもしれないが、こういう事態も想定して動けよ脳筋共が!
従弟の愛人を用意する。
それがフェリクスの願望か。このブラコン野郎!
そんなことを魔女が許すのか? 清乃の胎に子ができたら、今度は日本に帰そうとする力が働くはずだ。
彼女たちの望みは異国に血脈を拡げることなのだから、清乃がアッシュデールで出産育児するのでは意味がない。
部外者の清乃でもそのくらい分かる。気づけよ馬鹿王子。
「……ようしフェリクスの考えは分かった。でもあたし初めては夜景の見えるホテルがいいって夢があるの。だからここは嫌。日を改めよう」
【じゃあ次はホテルを取ってやる。今回は諦めろ。大丈夫、場所がどこでもやることは同じだ】
「初めてに次はないの! プロポーズするならそのくらいの夢叶えなさいよ!」
【だっておまえそういうの興味ないだろ。なんだ夜景って。アホか】
「操られてるくせに冷静だな!」
興味ないけれども。でもここは嫌だというのは本当だ。
だって、この時代を逆行したような空間はなんなんだ。
何故藁のベッド。観光地だからか? 普通のマットレスでよくないか。
竈なんて使うの大変だろう。ガスコンロじゃ駄目なのか。斧なんか室内にあったら危ないよ。
【俺も全くの初心者相手は初めてだが、まあ大丈夫だろ。任せとけ】
「任せられるか! おまえ馬鹿だろ言ってることおかしいことに気づけ! 名門大学通ってんでしょ!」
こんな馬鹿、もう「おまえ」で充分だ。馬鹿が進行したら「てめえ」に進化させてやる。
【仕方ない。大学は辞めるしかないか。新婚早々夫が留守にしてたら、おまえの立場がないだろ】
「あたしはやめない! 大学受験頑張って国立入ったんだから! あと二年大学生やりたい!」
【十五歳設定どこに行った】
「そんなもん、ロリコン相手なら逆効果だろ!」
【ロリコンじゃない。守備範囲が広いだけ。子どもの頃はレフトを守ってたしな。ホームラン殺しと呼ばれてた】
なんだ突然の脱線。油断させる作戦か。
王子だけどピッチャーじゃなかったんだな。忖度無しか。ルカスも平然とユリウスを倒すらしいし、この国、ガチめな実力主義だ。
つまりフェリクスの同年代に、彼より更に身体能力の高い人物が存在してるってことか。
もう嫌だこの筋肉至上主義国家!
「レフトと言わず外野も内野も全部守んなよ。いいじゃん、守備範囲広い外野手。かっこいいよ。目指せメジャーリーグ! 今から外出て練習しようよ。あたしノックやってあげるから」
スポーツには興味ないけど頑張って乗ってやる。野球漫画なら読んだことあるからなんとか。
【おまえノックなんかできるのか】
「今ならできる気がする! 任せとけ!」
【声がデカい。あんまりうるさくするなら、うっかりキスするかもしれないぞ】
話が元に戻った! 何故!
「やだやだ絶対やだ。ベースボールについてもっと熱く語って欲しい。スポーツは国境を越えるんだよ」
ビビって声を小さくしてしまった。情けない。やっぱりもう少し泣こう。
「キヨはスポーツなんかやってないだろ」
しとけばよかった! 無事帰国できたら、毎日バットを振ってもいい! 自堕落な生活を改めるって約束する!
フェリクスが清乃の目尻に唇を寄せて、あふれた涙を啜ってしまった。
「泣くくらい好きに泣かせろ。心の狭い男だな!」
「すきなだけなけばいいといったろ。そのくらいのじかんはある」
「それはどうも。じゃああと二十四時間ばかり泣かせてもらうね」
こいつ今度は舐めやがった! 塩分過剰摂取で高血圧になってしまえ!
【そこまでは待てない。まあどうせ泣くだろうから、最初から泣いてても同じか】
「嫌だ。泣かなきゃいけないようなことしないで。怖いのも痛いのも気持ち悪いのも嫌! 絶対嫌!」
【それはさすがに無理じゃないか。努力はするがキヨは小さいし、そうでなくとも最初は痛いらしいぞ】
「絶対いや――――――――――っ‼︎」
叫んでやったら、さすがにフェリクスの顔が引き攣った。
溜め息をついて、最初からやり直しだ。そうっと抱き寄せて、清乃の緊張がほぐれるのを辛抱強く待つところから。
清乃はぐずぐず泣き続けた。設定年齢は大胆に十歳。
まともな大人なら、そろそろ罪悪感にかられてもいい頃だ。
(フェリクスはやさしいひと)
うるさい。そんなこと関係ない。
(いいおとこだし)
興味ない。
(たぶんうまいよ。ユリウスとはけいけんすうがちがう)
何がだよ。馬鹿なの?
(おかいどくだとおもうんだけどなあ)
「雑になってきたなあおい魔女! 出て来い! ってか頭の中から出て行け!」
「なにをいってる。あたまだいじょうぶか」
「大丈夫じゃないのはおまえの頭だ! ああああもう分かった分かったってば! 逃げられないんでしょ。分かったよ」
清乃はフェリクスの腕と脚の中に囲われたまま、子ども用ネグリジェの前ボタンをひとつずつ外していった。
「キヨ?」




