四日目夜
ストーブを点けた室内で、ルイーザが洗濯した清乃の下着を乾かしてくれた。
ワイシャツとズボンは一度泥まみれになっているので、乾かしてから泥汚れを払う、手洗い、乾かす、の段階を踏まなくてはいけないらしい。
そうなんですか、と言うしかない清乃は、まったく最近の若い娘は、と言いたげな溜め息をつかれた。だって泥まみれになって遊ぶ年齢の頃には、洗濯は母が全部やってくれていたのだ。
学校で泥汚れを落とす方法は教えてくれない。
清乃にとっての洗濯とは、脱いだ物と洗剤を洗濯機に入れる、スイッチを押す、干す、取り込む、だけのものでしかない。最後に畳んで仕舞う、が省略されがちなのはご愛嬌だ。
夕食に出してもらった鶏肉と野菜を煮込んだトマト味のスープが美味しかった。
手伝います、と清乃が申し出ると、食事前にはジャガイモとニンジンを切る役目を与えられ、食後の皿洗いも任された。思ったよりぽんぽん用を言い付けられる。
くそ、面倒臭いな、と思いながら動かされているくらいのほうが、至れり尽せりの王城滞在よりも清乃の性には合っている。
切りなさい。ハイ。
拭きなさい。ハイ。
洗いなさい。ハイ。
外が暗くなると、ルイーザが出してくれた子ども用ネグリジェを着てベッドに潜り込んだ。
カタリナが昔着ていた寝間着と、たまに泊まりに来るとき用の寝室だそうだ。
ルイーザの家はお城の高級な部屋よりも居心地が良かった。
物がたくさんあるがきちんと整頓されていて、雑然として見えない。清乃には真似できそうにないが素敵な家だと思う。
乾燥させたハーブを収納した大きな棚がまた魔女の家らしくていい。
こんな家に住む魔女なら、友達になりたいな。ルイーザは清乃のことが好きじゃなさそうだから諦めるけど。
無害そうに見える清乃は他人からあからさまに嫌われる経験があまりないから、原因はよく分からない。
人種かな。有色人種が嫌いなのかも。よくある話らしいし。
それか、国に騒動を起こしている原因と見られているのかも。
どちらも清乃のせいではない。だからどうしようもないことは考えない。
ルイーザは清乃の存在を歓迎はしていないが、シャワーを貸してくれ、汚れた衣服を洗って食事もさせてくれた。
結局魔女についてはほとんど教えてくれなかったけれど、他の有益な話をしてくれた。
更に清潔に整えられた寝床まで提供してくれた人には、感謝しなくてはいけない。
彼女は人道的なひとだ。
少なくとも清乃を傷つけたりはしない。
素敵な魔女の家に住む女性。
魔女の亡霊も、生前はこんな家に住んでいたのだろうか。
薬や食用になるハーブを育て、人々の頼れる相談役だった賢き人。
病気や怪我を癒やし、更に産婆として妊婦を助け赤子を取り上げてきた魔女たち。
地域の女性は、きっと彼女たちを頼りにしていたはずだ。彼女たちは女性の味方だった。
確かに彼女たちのなかには、超常的な能力を持つ魔女もいたのかもしれない。
清乃は本の中の魔女狩りについてしか知らないが、彼女たちが受けたのは理不尽で残酷なものだった。
絶望の中命を落とした彼女たちは魔女の血に惹かれ、肉体を失ってからアッシュデールの城に集まった。
そこが、魔女を保護する魔女のための国だったからだ。
魔女の子孫であるユリウスたちは、魔女の血がこれ以上拡大することを危惧している。
国内に魔女を留めておくことを使命とし、そのために存えてきた小さな国。
万一魔女の血を嗣ぐ子をこの腹に宿すことになったら、彼らは清乃を日本に帰してくれなくなる。
ユリウスもきっと、清乃の味方をしてくれることはない。
ごめん、のひと言だけで、抗うすべを持たない彼女を拘束してしまうだろう。
(堕胎、とか。考えたくないけど、もし万一そうなったら、堕ろすっていう選択肢は?)
魔女の妨害に遭うのだろうか。
過去を生きていた亡霊が、そこまでの力を持つのだろうか。
分からないことばかりだ。
ルイーザは、ユリウスに正式な婚約者はいないと言った。
清乃に王子妃になるつもりかと言った。
自惚れた発言になってしまうかもしれないが、そうなったらユリウスは喜ぶのではないだろうか。
でも彼はそれを望んでいない。清乃を好きだとは言うが、共に歩く未来を夢見ることすらしていない。
清乃の気持ちを考えて、だけではない。そんなのは無理だとはなから諦めているのだ。
きっと、魔女の子を孕んだらおしまいなのだ。
そうなったら最後、清乃はこの国に囚われて生きていくことになる。
清乃を好きだと言ってくれるユリウスは、そうなることを望んでいない。
清乃はユリウスのことが好きだ。
だけどそれは恋愛対象としてではない。
彼と添い遂げる未来を思い描くことはできない。
そしてそれはきっと、彼も同じだ。
だから最低でも今夜、できればもう一日、なんとしてでも逃げ続けてやるのだ。
そう決意して、ここまで歯を食いしばって逃げてきたのに。
「なんで来るのよ」
分かっていた。ルイーザは迎えが来ると言っていた。
「ごめん」
「謝るくらいなら、大人しくお城で待ってなさいよ」
清乃が頭をがしがしとかきながら身を起こすと、ユリウスがしゅんとした。
「おまえがだまってきえるからだろう」
フェリクスは清乃の苛立ちに萎縮したりしない。いつも通り高いところから見下ろすだけだ。
「文句を言われる筋合いはない」
「そうだったな」
「そうだよ。あたしは被害者になりたくない。加害者になり得る人間から逃げて何が悪いの」
「オレは加害者にはならない。キヨの無事を確認したかっただけだ。家の中の安全を確認したらすぐに帰るよ。エルヴィラは明後日には来れると言ってる」
突然部屋に現れたユリウスは、それ以上清乃に近づくことなく部屋を出て行った。
数秒後、彼がルイーザを呼ぶ声が聞こえてくる。
「……あんたは行かないの。ていうか、なんで見つけられたの」
フェリクスがESPを使う手掛かりになる髪の毛でもどこかに落ちていたのだろうか。
彼が清乃の姿を遠隔視で視つけ、ユリウスの頭に映像を送って瞬間移動してきた。忌々しい能力だ。
【キヨの部屋は掃除が入って痕跡が消されていた。まさかと思ってルイーザの家を視たら車があるから笑ったぞ。よくここが分かったな】
「ちっ」
【女が舌打ちをするな。キヨは油断ならない奴だ。羊の皮を被った狼だな】
「それはどうも。あたしの名前は、父が壬生の狼に憧れて付けたものだからね」
【また日本人にしか分からん話を。キヨはそんなに日本が好きか】
「当たり前でしょ。故郷だもん」
普段は意識することなく生きているが、日本は魔女の亡霊なんかいない平和な国だ。
今すぐにでも帰りたい。
「アッシュデールでくらすきはないか」
フェリクスが一歩ベッドに近づいた。
「……ないよ」
清乃はベッドの足元、部屋のドア側にそろりと移動した。
「なぜだ。キヨだって、ユリウスのことがすきだろう」
「あんたには関係ない」
清乃がユリウスを好きなことも、清乃が暮らす国も、フェリクスには関係ない。
「……ああ。わるいな。おんなをくどくのに、ほかのおとこのなまえをだしたらだめか」
外国人特有の、違和感のあるイントネーション。
一時的に日本で暮らすため必死で日本語の発音を覚えたユリウスと違い、フェリクスの日本語は上達しない。
清乃がこれまで英語をないがしろにしてきたのと同じだ。必要がない。興味がない。
フェリクスは清乃に、彼女が暮らす国に、なんの興味も持っていない。
「いくらでも出せばいいよ。名前だけじゃなくユリウス本人を出そう」
【無粋な女だな】
動く前から結果は分かっていた。
清乃はドアに飛び付くどころか、大声でユリウスを呼ぶことすらできなかった。
(くそっこの野郎デカいくせに無駄に速いな!)
【おまえは小さいのにすばしっこくないな】
「!」
口を片手で塞がれたまま、清乃は目を見開いた。
【頭は読んでない。顔を読んだ】
ひょい、と気軽にフェリクスの肩に担ぎ上げられた。
「ユリウスユリウスユリウス! 助けてユリウス!」
清乃は口が自由になった瞬間に叫んだ。
前にもこんなことがあった。
あのときユリウスはすぐに現れて、フェリクスを吹っ飛ばしてくれた。
「キヨ? フェリクス⁉︎」
「ユリウス、こいつ魔女の手先! 変だよ変態だよ!」
ユリウスがPKを発動させる前に、フェリクスが扉を蹴って彼の視界から隠れた。
『フェリクス‼︎』
木の扉が殴られる大きな音が響く。
『捕まえたぞ! とばせ!』
フェリクスが宙を視ながら、この場にいない誰かに向かって叫んだ。
ダークブロンドを引っ張り手当たり次第に爪を立てながら、清乃は必死で身をよじった。
その眼には確かに、電気を消した暗い部屋が映っていた。




