迎
次に目が覚めたのは、小屋の外で雨音以外の音がしたときだった。
神経が過敏になってしまっているようだ。
ぼんやりしていようと思っていたのに、こんなうるさい豪雨の中にかすかに混ざる音に反応して起きるなんて。普段の清乃ではあり得ないことだ。
誰だ。いや待てよ。誰、ではないかもしれない。
熊とかだったらどうしよう。
え、ほんとにどうしよう。勝つ自信も逃げる自信もない。
ある日森の中くまさんに出会った女の子ってどうするんだっけ。えっとえっと、……そうだ、お嬢さんお逃げなさい、だ。
すたこらさっさと逃げなきゃだ。清乃は白い貝殻の小さなイヤリングなんか落としてないし!
隠れることもできないまま身体を硬直させる清乃の目の前で、扉が開いた。
「……っ!」
「よう」
扉を開けた人物は、身を屈めながら小屋の中に入ってきた。
清乃は止まっていた息を吐いた。
「………………そこ、頭下げなきゃいけないんだ」
そういえば、ルカスも同じような動作をしていたかもしれない。
「まえにきたときはあたまをぶつけた」
「……へえ」
清乃は緊張していた身体の力をいったん抜いた。
「ぶじみたいだな」
「うん、まあ」
フェリクスはレインコートを脱いで、扉近くの壁の出っ張りに適当に引っ掛けた。
彼は小屋内を見回しながら、コートの下に背負っていたリュックを隅の作業台の上に置いた。
危険な存在が潜んでいないか、確認している。清乃には分からないが、もしかしたら透視の力も使って、物陰の向こう側まですべて確認しているのかもしれない。
フェリクスは小屋を一巡した視線を手元に戻し、リュックの開閉口から出したものを清乃に差し出してきた。
「チョコレートたべるか」
距離がある。寝床で食べるような行儀の悪いことはするなという意味か。
「食べる」
違う。フェリクスは清乃を気遣っているだけだ。
彼はきっと、昨夜の出来事を聞かされているのだろう。それで清乃の気持ちを慮った。
男に近づかれたくないだろうと、自分から距離を詰めるのを遠慮したのだ。
(いい奴。チャラ男なんか廃業すればいいのに)
清乃は一度立ち上がって板チョコを受け取るとベッドに戻り、座って少しずつかじって食べた。
空腹を思い出した腹が小さく鳴った。
ふ、と小さく笑うフェリクスに、彼女はむすっとした顔だけを見せておいた。
「こうちゃ。ここにおくぞ」
テーブルの上に置いた水筒の中身は紅茶か。コーヒーはあんまり好きじゃない、という清乃の嗜好を彼は覚えていたのか。
「うん」
野良猫を誘き寄せるみたいだな、と少しおかしくなった。
少しずつ餌を遠くに置いて、警戒する猫に自分から出て来させようとしている。
「ゆうべはたいへんだったらしいな。けさになってメールにきづいた。いま、キヨがきえたってさわぎになってる」
「どうも。勝手をしております」
「あやまらなくていい。キヨはひがいしゃだ」
知ってる。清乃もそう思っている。
謝罪は口先だけだ。今のも、多分この後何度も口にするだろうごめんなさいも。
清乃は、お城の人たちに心配させたことを悪いとは思わない。
「フェリクスは今まで何してたの?」
「おとなのじじょうが」
「情事だろ」
「ん? じょうじ? じじょう? どっち?」
「ごめん。なんでもない。事情でいいよ。朝になってメールに気づいてここに?」
「キヨがこのこやからいなくなったときいた。えんかくしをしたら、ここにキヨのすがたがミえた。たまたまこのちかくにいたからむかえにきた」
そうか。旧知の場所を目標にした遠隔視が可能なのか。そんな能力の使い方も有りだったっけ。知識不足だった。
髪の毛などの手掛かり無しに親しい者以外の位置を探すのは難しいと聞いていたから、大丈夫だろうと思い込んでしまっていた。
「近くって、歩いてここまで?」
歩きならば、迎えに来てもらってもあまり意味がない。この雨の中、まともな靴も無しに城まで歩く自信はない。
フェリクスは昨夜のルカスのように清乃を担いで歩くくらいはできそうだが、緊急事態でもないのにそんなことはされたくない。
「すぐそこにくるまをとめてきた」
「ひとりで? 運転できたんだ」
遭難食で口の中がべたべたになった。清乃はベッドから離れて椅子に座り、紅茶をひと口すすった。
彼女がふう、と息を吐くと、向かいの椅子に座っているフェリクスの表情が柔らかくなった。
「おれはキヨよりとしうえだぞ」
「ひとつだけね。王子が自分でするんだと思っただけ」
偉い人が乗る自動車は、運転手が運転するものだと思っていた。
「おうさまがうんてんするなら、おうじがしたっていいだろう」
確かにそうだな。
清乃が紅茶のお代わりをゆっくり飲んでコップをテーブルに置くと、フェリクスがことさらゆったりした空気を作って促してきた。
「そろそろいくか」
「うん」
清乃は素直に立ち上がった。
ふたりで車まで歩いた。
フェリクスは誠吾の大きい革靴でよたよた歩く清乃を辛抱強く待ってくれた。
忘れ物をしたと言う清乃の言葉を受けて、フェリクスがひとりで小屋に引き返した。
彼が戻ると、そこには車も清乃の姿もなくなっていた。




