逃亡
(まだかな。まだかな。もういいかな。まだなのか。さっさと行けって)
清乃は少年たちと共に城に帰ることを拒否した。
お願いね、あたしが隠れるまでは黙っててね。どこに隠れるか言ったら、みんな嘘をつかなきゃいけなくなるでしょ。だから言わないでおくよ。
そう言ったときには、まだ隠れ場所は決めていなかった。
不承不承うなずいた彼らは、清乃の言ったとおり、さりげなくルカスを先行させ、真ん中を歩く清乃が少しずつ後方に向かうのをバレないようにしてくれた。
小屋に戻った彼女はすぐに行動した。
目を付けておいた革手袋で両手を保護、ロープを身体に巻き付けて、再び外に出た。
外壁に立て掛けてあった梯子が風雨に晒され倒れている。
(条件良し。ぃよし。頑張るぞ田舎育ち)
現在の風は、梯子が倒れている側の壁に向かって吹いている。
梯子を立て掛け直しても風に倒されることなく、むしろ固定されることを期待できるということだ。
清乃は計画通り屋根に登り、持ってきたロープを煙突に巻き付けて命綱とした。
そして屋根に張り付いたまま、引き返してきた少年たちが去るのを心を無にして待った。
雨と風が体力を奪う以前の問題だ。気を抜いたら落ちる。
動きが鈍く、いつもゴロゴロしている清乃がこんなアクティブなことをするとは、ユリウスは露ほども考えないだろう。
したくないだけで、できないわけではないのだ。何故なら田舎育ちだから。
(ざまあみろ、お子ちゃまめ。鈍いからって舐めんなよ)
別に清乃だって、ユリウスが敵だなんて思っていない。
ただ駄目なのだ。今は彼から離れていなくてはならない。確実を期す必要がある。
満月の夜が終わったからって関係ない。まだ油断したら駄目なのだ。
せめてあと二十四時間。できればその倍くらい。
何故だ説明しろと言われるのが嫌だ。絶対に嫌なのだ。
それくらいなら、こうやって昔遊んで怒られたように屋根に登って、ひとりで風雨に耐えているほうがまだマシだ。
下のほうで何やら騒ぎながら、少年たちが去って行く姿が見えた。
(コンタクトそろそろやばいな)
幼い頃から読書漬けの清乃の裸眼視力はかなり悪い。コンタクトレンズも眼鏡もなかったら、こんな危険な行為は絶対にできない。
風向きが変わる前に少年たちが去って良かった。
なんとか小屋内に戻ると、清乃は震える手でマッチを擦り薪ストーブに火を点けた。消してからそう時間が経っていないせいか、割りとあっさり点火できた。
体型隠しに着ていた防具に、誠吾から剥ぎ取ったワイシャツと、穴が足りないベルトの代わりにロープを通したズボン、人目がないから別にいいかと下着も全部吊るしてしまう。自分は毛布にくるまって、眠りながらエルヴィラの迎えを待っていればいい。
独り時間を過ごすのは得意だ。台風の日でも一人暮らしの大学生は、今の清乃のように独りで風雨がおさまるのを待つのだ。
それが寂しいと思い、怖いと言える子は大抵が恋愛上手だから、心配した彼氏が一緒にいてくれる仕様になっている。
清乃は優しい彼氏でいいね、とは言うが、あまり羨ましさは感じない。大丈夫? と訊かれても、お構いなく、と答える。
こんな日に本が手元にないのは残念だが、たまにはぼんやりまどろみながら過ごすのも悪くない。
(エルヴィラ様、いつ来てくださるかな。一昨日からって言ってたから、明日は無理か、明後日……、…………)
清乃は無言でベッドから身を起こした。
しまった。考えが甘かった。
彼女はしばらくそのまま膝を抱えて考え込んだ。
なんとかならないだろうかと、現実逃避混じりの思考を巡らせてみたが、事実は変わらない。
「おなか空いた……!」
迎えが来るのを待っていては、餓死するかもしれない。いや、しないけど。雨水でも飲んでいれば死ぬことはないだろうけども。
ユリウスは三日くらい食べなくても、と言っていたけれど、昨夜は緊張してほとんど何も食べられなかったのだ。その後は夜中に走ったり馬に乗ったり殴られたり、腹が減るようなことばかりしていた。
清乃はサバイバル術なんて身に付けていない。ガールスカウトの経験もない。森で食べられる物を探すのは不可能だ。下手な物を食べて腹を下したくはない。
衰弱していない今のうちに、自力で人里に向かうべきか。
この雨と風の中を? どっちがマシだ。豪雨か、空腹か。
やっぱり孫子がどうとかうそぶいてみても、実戦経験に乏しい人間は弱い。所詮は机上の空論と鼻で笑われてしまうのだ。
清乃はひとりで少しだけ泣いた。
(なんであたしがこんな目に)
豪雨の中歩くなんて嫌過ぎる。でも歩かなかったら、空腹に耐え続けなくてはならない。
どっちも嫌だが、より死に近いのは、暴風雨の中、見知らぬ土地での散歩だ。
ニュースで報道されて、何故外出した、と人々に首を傾げられるやつだ。間違いない。
多分エルヴィラが、明々後日あたりには迎えに来てくれる。
魔女の魔法でひとっ飛びか、居場所を特定して車を寄越してくれるか、とにかく必ず来てくれるはずだ。
無力な清乃は、お姫さまよろしく大人しく待っているのだ。
少しだけ眠って起きると、吊るしておいた服が乾いていた。清乃はベスト以外のものを再び着込むと、薪ストーブの火を消した。
この雨では気づかれないだろうとは思うが、万一煙が見えることがあったら台無しになる。
春先の雨は冷たいが、室内で毛布をかぶっていれば凍えることはない。
再びベッドに横になった。体力温存、を言い訳にして、しばらくぼんやりしていよう。
今は何も考えずに丸まって眠りたい。




