凡先處戰地、而待敵者佚、後處戰地、而趨戰者勞
凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す
暴風雨の中、人影が現れた。
ESPを使って視たものをルカスが告げると、狭い小屋内に緊張が走った。
【三、四、……六だな。六人。武器は見えないけど隠し持ってると思っておいたほうがいい。全員タキシードのまんまだぜ。可哀想に】
【それ俺らもだよ】
【雨ん中行軍してたら、思考する余裕も無くなるだろうな。だいぶ暗示効いてる状態じゃないか?】
【やばいな。あれ、あの先頭のおっさん。知ってる顔だ。鬼軍曹。俺訓練初参加だったのに、殺されかけた】
少年たちが絶望的な表情になる。
その様子を見ていた清乃は、ベッドで丸まるのをやめて起き上がった。
【提案、というかみんなにお願いがあります】
清乃が簡単に作戦を伝えると、少年たちはやる気を見せた。
急いで細部まで打ち合わせる頃に、追手がすぐ近くまで来たとルカスが報告を上げる。
「よし。ユリウス脱げ」
清乃がすっくと立ち上がると、ユリウスが嫌な顔をした。
「言い方」
「自分が言ったんじゃん。オレが脱いだほうがまだマシだって。期待してるよ」
「……姉ちゃん」
どうした誠吾。おまえも頑張れよ。
清乃は真剣な顔をつくって弟の肩を力強く叩いてやった。
【…………ユリウス、本当にやるのか】
【……仕方ない。オレたちはキヨがアッシュデールを去るまで、彼女に仕える騎士だ。主君の命令に背くわけにはいかないだろう】
王子様のものとは思えないお言葉だ。畏れ多いな。
【みんなには、過去の魔女の思い通りにさせたら駄目だって使命感がある。あたしは人生狂わされたくない。利害の一致を見てる、ってことでいいんだよね?】
【そうだ。だから俺たちがリスクを負うことに、キヨが罪悪感を持つ必要はない】
清乃はこの国が抱えている事情に巻き込まれただけだ。
それでも、まだ十代の少年たちが清乃を守るために危険を冒すことに、疑問を持たないでいることは難しい。
【ありがとう。でもみんな、自分の身を一番大事にしてね。あたしはみんなよりも少しだけ長く人生楽しんでるから、命までかけて守る必要はないよ。それだけは覚えてて】
大袈裟かな、とは思ったけれど、ルカスに頼んで視せてもらった大人の姿は、それだけ恐ろしいものに見えた。
先頭の男は、ゴリラさんほどではないが人間とゴリラの中間くらいの体型だ。
この国の人たち、筋トレに力入れ過ぎだ。高額賞金が出るボディービルの大会でもあるのか。
今は細身のこの少年たちも、そのうちあんな風になるのかな。想像できない。
「よし、脱ぐくらい何枚でも脱ぐぞ」
「ほどほどにしとけ。自分を大切に」
「……姉ちゃんも、ほんとにやるつもりか」
「やるよ。子どもだけにカラダ張らせるわけにいかないでしょ」
大雨の中を、屈強な肉体でもって課せられた兵役をこなしている男たちが行軍する。
それはまさに行軍としか言えない動きだった。
鬼軍曹を先頭に、前の人物と歩数を合わせ隙を見せずに歩く兵士。彼らの目線は、目標地点の小屋前に立ちはだかる少年に。
小屋の前にずぶ濡れになりながら立っているのは、大人よりも背の高い少年と、それとは対照的に小さな日本人の子ども。
『アドルフのルカスだな。殿下と、あの異国の娘は中か』
『ああ。そうだよ』
『そこをどけ』
鬼軍曹の声は太く、雨音に紛れることはなかった。
部下を従わせることに慣れた命令口調で、歩みを止める前にルカスを恫喝した。
『あんたたち大人がしっかりしないから、俺たちがここにいるんだ。どくわけがないだろ』
『俺たちはあの娘を連れ帰れと命じられている。彼女の無事を確認させろ』
舌打ち。聞こえなかったけれど、多分ゴリラもどきは苛立ち、舌を鳴らした。
ルカスを手強い相手だと思っているのだ。
鬼と恐れられている軍曹が、大柄とはいえまだ十八歳の少年を警戒する理由はただひとつ。
「……孫子曰く」
善く戦う者は、人を至らせるようにして人に至らせられない。
「あとからきたやつはつかれてる!」
よしルカス、さすが日本語の勉強してただけある。ちゃんと号令を掛けられた。
突然異国の言葉を叫んだ少年に、大人は多分戸惑った。
雨で視界が悪くて、その表情まではよく見えない。
しかし小屋の前からでも、雨音に紛れ、戸惑う敵に襲い掛かる少年たちの姿はしっかり見えた。
少年たちは雨足が強まってから今まで、小屋内で身体を休め体力を回復していた。短時間の休息ではあったが、若い彼らは戦うだけの元気を取り戻した。
雨の中を歩き疲弊した本職の不意を衝くことさえできれば、勝機はゼロではない。
鬼だか魔女だか軍曹だか知らないが、相手も生身の人間なのだ。
だってほら、やっぱり。
ひとり倒れた。まだ未熟な騎士たちが、本職の大人を倒した。
今だ。
「たいきゃあーーく!」
雨音にかき消されかけた日本語に少年たちは即座に反応し、左右に分かれて退いた。
その時点での戦闘不能者は、アレクとダムが担当した最後尾のひとりのみ。あれは多分脚が折れている。
贅沢を言えばもうひとりくらいは潰しておきたかった。
が、少年たちが全員身軽に退避行動を取れたのは朗報だ。誰も怪我をしていない。
睫毛に引っかかった水滴を拭いながら少年たちの様子を注視していると、ルカスの長身を蹴り飛ばした軍曹が目の前に立った。
(やば)
【にげろ!】
ルカスが叫ぶ。
どうやって。相手はゴリラもどきの鬼軍曹だ。
せめてこの手に竹刀を。あっても意味ないか。ルカスの巨体が飛んだのだ。
小屋の扉に張り付いた子どもを非力な者と見て、軍曹は少しだけ優しく腕を振った。
体重差がありすぎて、それだけでも呆気なく吹き飛ばされざるを得ない。
木の根元で泥まみれになってうずくまる小柄な仲間を気にしながら、ルカスは再び軍曹に向かって行った。
『やめろ!』
『いい加減にしろ』
『それはこっちの台詞だ。今この中で、あんたたちが望んだことが起きてるんだ』
『……何?』
『そこの! あんたが今投げた奴の姉が! 魔女の亡霊の犠牲者になったんだよ! 他の男よりは、まだ王子のほうがマシだって! 何も知らない異国の女性が怖い思いをして、諦めざるを得なかったんだ! ユリウスが出てくるまで、誰も中には入らせないぞ。そのくらいは許されてもいいだろうが!』
『………………』
軍曹はルカスを振り払い、破るような勢いで大きな音を立て扉を開けた。
普段であれば人々が目覚めはじめ、日が完全に昇るのを待ちながら起き出す刻限だ。
小さな小屋では薪ストーブの火が明るく燃え盛っており、夜闇が薄くなりかけた外からも中がよく見えた。
その中の光景が見えない位置にいる少年たちも、肩をいからせた男が何を目撃しているか分かっていた。
粗末なベッドで身を起こす美貌の王子。線の細さを残したその肢体の一部をかろうじて隠しているのは、埃っぽい毛布。
その向こうに見えるのは、王子が全身を使って庇う細い肩、黒々とした短い髪。
完全に事後である。
自分の十代の頃を忘れてしまったようないかついおじさん連中も、あのおっさんやっちまった! 気い遣ってやれよ! という顔をして目を覆っている。
(うん、まあもちろんフリだけど)
やっぱりアイドル王子が脱いだという破壊力が説得力を。
少年たちはみな、必死で笑いを噛み殺している。
やめろ。バレるだろう。
長い沈黙の後、軍曹はようやく言葉を搾り出した。
『……………………失礼いたしました。殿下、そちらのご婦人も、急いでお召し替えを』
小屋の扉は開いたときとは違い、静かに閉まった。
気まずい。
無傷の者も倒れている者も、大人たちは何も言えずに黙っていた。
【…………君、悪かったな。大丈夫か】
一度扉の前で深呼吸した軍曹は、先ほど自分が殴り飛ばした子どもを助け起こそうと手を伸ばした。
【触るな】
思いがけず強い力で手を振り払われた男は、痛ましい表情になってその場に両膝を突いた。
その目の焦点は、ちゃんと目の前に合っていた。
満月の代わりに朝陽が昇り、正気に返ったのか。
操られている間の記憶は、失くなるわけではない。
彼は囁きに思考を誘導されただけだ。彼は清乃の身を魔女の望みを叶えるために差し出すべきだと、自分で考えたのだ。
そう考えるよう、操られていた。
魔女の支配から逃れた今、急に罪悪感に襲われてきたのだろう。異国からやって来た非力な女を追い詰め、その人生を狂わせた。
彼女の弟だと同胞の少年が叫んだ小さな子どもが、彼の罪を憎む視線を向けている。
【……君のお姉さんには、可哀想なことをした。彼女はしばらくの間、もしくは一生、祖国に帰ることはできないかもしれないが、我々が大切にすると約束する】
【そんな約束は必要ない。杉田清乃は、必ず日本に帰る。おまえたちに指図される謂れはない】
子どもが駄々をこねるようなものだ。彼女の弟が何を言っても、もう事は成ったのだ。
軍曹のしかめた顔が、そう言っている。
【立てるなら自分で立ちなさい。お姉さんのことは、王子と一緒に我々が城に連れて帰る。君はそこの少年たちと小屋で待っていなさい。後から迎えを寄越す】
【おまえたちの指図は受けないと言った。迎えなんか必要ない】
【そうか。ならば好きにしろ】
サブタイトルについて
清乃的訳:待ち構えてるほうが有利なんだよ




