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亡霊

 アッシュデールで魔女といえば、普段であればエルヴィラのことを指す。

 彼女の他にも魔女の称号を持つ女性は存在しており、区別するために魔女長と呼ぶこともある。

 エルヴィラは強大な、超能力を超えた魔法としか呼べない力を持つ魔女。

 彼女以外の魔女は、国のために働いた優秀な女性に贈られる、この国独自の名誉ある称号としての魔女。

 この国では本来、魔女という言葉はポジティブな意味で使われるのだ。

 現存する魔女が、善き魔女だからだ。

 己の欲望のため、周囲を意のままにするための悪い力を使わない魔女。人々の幸せを願って力を行使する魔女。それがエルヴィラだ。


 だが過去に魔女と呼ばれた女性のなかには、そうでない者もいた。

 今から何百年も昔、魔女と呼ばれた女性は、残酷な殺され方をした。

 拷問にかけられ、陵辱され、水に沈められ、火炙りにされた。人間として女性としての尊厳を剥ぎ取られ、気が狂うような苦痛と絶望の中で、生命を奪われた。

 彼女たちのなかには、アッシュデールの祖先とは無関係な者もたくさんいた。善き魔女も悪い魔女も、魔女だとでっち上げられただけの普通の女性も、男性も少なくなかったという。


 無惨に殺された人々の共通点は、魔女のレッテルだ。

 それ、がいつから存在しているのか、もう誰にも分からない。

 それ、の存在に誰も気づくことはなかったが、それ、はいつも国に存在していた。

 それ、は魔女のレッテルを貼られ死んでいった女性の意識の集合体だと、時々王家に生まれる魔女は言った。

 魔女でない者は、そういうモノが存在しているのだと、そういうことにしておくしかなかった。

 それ、は夜になると力を増す。月が明るい夜には更に強くなり、満月になれば増す力に歓喜する。

 それ、は魔女に力を貸すモノだ。魔女の名に惹かれ、寄り集まってできたモノ。

 魔女は普段から魔女としての力を持つが、夜になればそれ、が魔女の力になる。

 それ、と魔女の意識は溶け合い、ひとつの人格を持って思うままに力を振るう。


 夜のエルヴィラは、エルヴィラであって同時にエルヴィラではない者になる。髪を鮮血色に染め、瞳を金に光らせる魔女となるのだ。

 過去に魔女と呼ばれたモノ、魔女の亡霊。

 それ、を宿しその力を行使する者を、魔女を統べる者、魔女長と彼らは呼んでいる。



(亡霊。魔女。殺された。悔しかった。苦しかった。生きたかった。魔女狩りをする者のいない世界で生きたかった)

 その意識の集合が、清乃にユリウスの子を産ませようとしている。

 遠い地日本に、魔女の血を拡めたがっている。

 清乃はユリウスに、恋人にはなれないと改めて告げた。もしもあのとき清乃の気持ちがユリウスに傾いていて、彼の気持ちに応えたいと、そう返事をしていたら、多分今頃、魔女の思惑通りのことが起きていた。

 接触を拒む発言をしたばかりの清乃がその舌の根も乾かぬうちに媚態を見せたことに、ユリウスは訝った。

 そして彼女が指先に込めた願いを正確に読み取り、おかしくなっていた清乃を止めてくれた。

 魔女はユリウスの頭は弄らなかった。彼のことは操らなかった。その必要がないと思った?

 それとも、操れなかったのか。


 

「……姉ちゃん、怖いからトイレついて来て」

「は?」

 そういうのは男同士でやれ、と言いかけてから、清乃はゆっくりと起き上がった。

 この小屋にはトイレの設備がない。長期的滞在するための場所ではないから、そこら辺で済ませるようになっているようだ。

「いいだろ。幽霊がどうとか、怖い話聞いたばっかじゃん」

「ん」


 朝まで我慢しようと思っていた清乃に、今のうちに行っておけと言ってくれているのだ。

 他の少年四人も気づかない振りでいる。そこまで気を遣われると逆に申し訳ないが、彼らの心遣いを無にしないよう清乃は黙って外に出た。

 小屋から少しだけ歩くと、細い川が流れていた。そうか。水道がなくてもここで水を確保できるようになっているのか。

 誠吾が一度木の向こう側に消えて、頃合いを見て声をかけながら戻ってきた。川の水で手を洗う清乃を見て、注意を促してくる。

「水は生では飲まないほうがいいらしいぞ」

「だろうね」


 清乃が最後に飲んだのはビールだ。

 喉の渇きは感じているが、朝まで我慢できないほどではない。

「早く朝になんねえかな。そしたらすぐに荷物まとめて日本に帰ろうぜ」

「うん。あんたにも大変な思いさせちゃったね」

「おとっつぁん、それは言わねえ約束だろ」

 誰がおとっつぁんだ。今の清乃に向かっておっかさんと言えないと思ったなら、小芝居自体をやめろ。


「セイ? キヨもそっち?」

 ユリウスの声だ。少しゆっくりし過ぎたか。心配させてしまった。

「おう。すぐ戻る」

 よいしょ、と立ち上がると、足袋を履いただけの足の裏が少し痛む。

 清乃の様子を見た誠吾が、おぶってやろうか、としゃがんで背中を向けてきた。

 遠慮なく体重を預けると、小さかった弟は危なげなく立ち上がった。

「あんたほんとに成長したねえ。おとっつぁん感激だよ」

 弟の成長振りに、本気でちょっと泣いてしまいそうだ。

「おかげさまで」

「誠吾はあたしと違って足も速いしね。何かあったらすぐに逃げるんだよ」

「そのつもりだよ。そのときは姉ちゃんも、遅いなりに死ぬ気で走れよ」

「なるべく頑張るつもりではいるけど。でも多分ね、今危ないのは誠吾のほうだよ。死んじゃったら日本に帰っても意味ないんだから、最悪の場合はあたしを置いて走って逃げな」

 清乃は命までは取られない。死んでしまっては意味がないからだ。

 だが誠吾は、魔女の亡霊にとって邪魔にしかならない。邪魔だと思ったらどうするのだろう。

 一時的に思考や身体の自由を奪われるだけ、と考えるのはやめたほうがいいだろう。最悪の事態を想定しておくべきだ。

「死ななきゃいいってもんでもねえだろ」


 優しい子。誠吾は本当にいい子に育った。アホだけど。清乃が思っていたよりも、意外とちゃんと色々考えることができる子。

 日本の両親の元に、無事に帰してやらないといけない。それが年長者の義務だ。

「生きてさえいれば、後からなんとでもできるよ。ねえ、ユリウス?」

 木に寄り添うようにして立っていたユリウスが、なんでもないふうに答える。

「まあね。大丈夫だよ。ふたりとも、ちゃんと日本に帰すから」

「…………それは、俺と姉ちゃんのふたりで、か?」

「他に誰がいる。ないよ。オレまだ十八になったばかりだぞ。この歳で隠し子とか、アイドル王子の名が地に堕ちる」

「自分で言うな」

「だってオレ、王家の広告塔だよ? くたびれたおっさんになるまでは、清廉潔白の王子様でいろって言われてるからさ」

 ユリウスはおっさんな年齢になってもキラキラしていそうだ。

 白馬の王子様のまま歳を取り、おじいちゃんになってもキラキラしたままで、一生人目を気にして生きていかないといけない。

 彼はそれを苦痛と思わずに生きていけるひとだ。

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