誠 清
男は誠吾よりも体格がいいが、鳩尾への打撃から立ち直っていない。身体を丸くしながらも暴れることを諦めない成人男性を、誠吾は必死に抑えた。
【セイ、これ! バスローブの紐!】
部屋の奥から戻って来たダムが、素早く男の足首を縛り上げる。後ろ手にした手首も同様にして、ベッドから引き剥がしたシーツを頭から掛けてやりながら、ようやくジャケットを外すことができた。
そんな気はしていたが、吐瀉物が付いている。
「くっそ、かーちゃんに怒られる」
文字通りの一張羅だ。次に着る機会があるかも不明なのに、くそ高かったタキシード。
ここに放置して行ったら、自分が暴行犯だと宣言しているようなものだ。
まあいかにもな日本人顔、バッチリ見られてるから今更だけど。
【セイ、手際がいいな。普段日本で何してるんだ】
【善良な高校生だよ。犯罪行為は人生初だ。おまえこそ、縛るのが上手いのなんでだ】
誠吾は顔をしかめて汚れた部分を内側にしたジャケットを丸め、片手に提げた。
【俺たちは小さい頃から訓練を受けてる。貴族男子たるもの、騎士の誇りを忘れるな、ってな】
【……縛るのも?】
【それは遊びの一環で。今日のメンバーは全員できるぞ。戦ごっこして遊んだ仲間だ】
捕虜をガチで縛り上げるような本格的なごっこ遊びか。
【そこ追及するのはまた後でにしようか。それより分かったことがあるんだ。あいつ、目の焦点が合ってなかった。姉ちゃんと同じだ。見れば分かる。ぼんやりしてて、こっちを見てるのに視線が合わない。目を見れば、操られてる奴を見分けられる】
【オッケー。全員で共有しよう】
部屋を出ると、長い廊下の向こう、さっきの男が現れた方向にふたりの男が見えた。
もしかして、キリがない?
【……ロン! 騎士チームの能力者たち、信じろって言ったよな!】
【もちろん断言はできない。けど精神支配は魔女にとっても高度な技だ。意志の強い人間はかからないし、かかっても解くのは難しいことじゃない。ぶん殴って正気に返してやればいいだけだ】
清乃はだんだんと変になる時間が増えていったが、気を張り詰めなければならない人前でぼんやりすることは少なかった。慣れないアルファベットを眼で追う時間は、彼女らしい姿に見えた。
清乃は普通の大学生だ。彼女は普段、意志の強さなんてものは感じさせない。
だが、一見大人しそうに見える彼女の、我の強さは人一倍だ。嫌なモノは嫌だ。好きなものは好き。誰にも文句は言わせない。文句があるならかかってこいや、だ。
いい話を聞いた。もっと早く言えロン。
大丈夫。姉は無事だ。
女の子に誠はやめろと母が反対した結果、代わりに同じ「セイ」と読める清の字を父に当てられた清乃。
心の清らかな女の子になりますように、なんてのは小学校の宿題用にでっち上げた、聞こえのいい表向きの意味だ。
清乃も誠吾と同じく、武士の名を冠しているのだ。
性別なんて関係ない。彼女は武士だ。
武士は異国で騎士に負けたりはしない。
彼女は自分の意に沿わないことを黙って男にさせるような、そんな女じゃない。
【よし、分かった。やっぱり合流しよう。廊下の左右にふたりずつの配置が必要だ。で、残りの四人で室内検め。カタリナにも連絡を取りたい。姉ちゃん、あのひとのこと頼りにしてたから】
えっ……と少年たちの顔が引きつった。圧が強めとはいえ、女の人ひとりにどんだけビビってんだ。
【なんだよ。これ絶対バラバラに動いたらひとりずつ殺られるパターンだぞ。サスペンスホラーだったら、個人行動する奴から死んでいくだろ。ガキはガキらしく群れて動こうぜ】
合流した騎士チームの四人は、まともな顔をしていた。
ロンから話を聴いたカタリナは、おまえ全部喋ったのか、と電話の向こうで怒鳴っていた。
漏れ聞こえた怒声に、その場にいた少年たちは縮み上がった。普段のカタリナはどんななのか、誠吾は知りたいような絶対知りたくないような気持ちになった。
途中でロンに携帯電話を渡され、おそるおそる当てた誠吾の耳に、落ち着いた女性の声が聞こえた。
【セイ、黙っていてすみません。何事もなく終われば、綺麗な記憶だけを残して差し上げられるかと、そう願ってしまいました。キヨはきっと無事です。うちの王子はああ見えて、なかなかの騎士道精神の持ち主ですから】
【知ってます。ユリウスはどこから見てもそうです】
【ただあまり長い時間我慢させるのも可哀想なので、早いところ助けてやりましょう】
救い出す対象が清乃からユリウスに代わってしまった。
でもそっちのほうがしっくりくる。
囚われのお姫さまは美人なほうが絵になるというものだ。
【今まで三人ほど変な人に会いましたが、カタリナは無事ですか】
【問題ありません。セイ、ご無理はなさらないように。そこにいる少年たちは、帰国するまであなたたち姉弟に仕える騎士です。こき使っておやりなさい】
【了解っす】
【………………セイ、そこにいる誰かと代わってください】
カタリナの声の調子が変わった。
携帯を返すと、早口のアッシュデール語でロンが喋り、喋りながら途中で全員について来い、と合図して小走りになった。
電話を切ると、ロンは端的に説明し、速度を上げた。
【ふたりの居場所が分かった。ユリウスが用意した逢引き用の部屋だ】
あいつそんないかがわしい部屋用意してたのか。
【……爽やか美形王子のイメージが】
【悪い。言い方が悪かった。キヨが好きそうな部屋だ、って楽しそうに言ってたらしいぞ】
【…………ああ、それ初日に見たかも。なんかフリフリしたピンク系の部屋だろ。姉ちゃん見たときちょっと喜んでたけど、部屋チェンジしてもらったんだ。ユリウスの下心が透けて見えたみたい」
【うちの王子のイメージぼろぼろだな】
【でもなんで分かった? 気づいたなら突入してくれれば】
【開いてたはずのカーテンが閉まってるのが、外から見えたらしい。ついさっき、隙間から漏れてた灯りが消えたって】
外からそれを確認したのなら、ここからのほうが早く着く。
【ってつまり今から始めるってことかあのムッツリ王子!】
【まだ間に合う急げ!】
【俺は絶対見たくねえー!】
オリンピックレベルになると、日本人の体格は短距離走では不利とされている。が、高校生レベルでは人種の差など大した障壁にならない。
誠吾は決意の叫び声を上げると、集団から一馬身飛び出した。
【うお、セイはやっ】
【速い奴から先行け! セイ、突き当たりの階段登って三番目の部屋!】
よしきた。任せろ。
喋るための呼気すら惜しい。
誠吾は心の中だけで返事して、自慢の俊足を存分に披露した。
途中ふたりの人間とすれ違った。
捕まえようと手を伸ばしてきたということは、操られている人間か。それとも城内を全速力で走るアホな子どもをたしなめようとしたただの常識人か。
確認する時間は無駄だ。速度を落とさないままするりと身をかわし、軽く手を振り払ってダッシュを続ける。
脚が短いなら、その分速く動かせばいいだけでしょ。馬鹿じゃないの。
運動会でクラス一背の高い奴に追い抜かれたと落ち込む誠吾に、清乃がそう言ったのだ。背中を蹴っ飛ばしながら。自分はビリだったくせに。
素直な誠吾は、そっか、僕今日からもっと速く足動かす! と返事をした。そして宣言通り足を速く動かし、速く走るようになった。
あの童顔チビババア、この日のために弟をイジめ、鍛えてきたとでもいうのか。




