如處女、敵人開戸、後如脱兎、敵不及拒
始めは処女の如く、敵人戸開き、後には脱兎の如くにして、敵拒ぐに及ばず
ダムはすぐ電話に出た。
周囲の人間がおかしくはないか。変な人間を見てないか。
ロンの質問に、ダムはこう答えた。
いたいた見た見た。なんか名前忘れたけど偉いオッサンに無言で拘束されそうになってびびって逃げてたんだけど、さっきアレクの前蹴り一発でKOしたぜ。騎士の末裔が聞いて呆れる。
双方の現在地の中間地点をロンが割り出し、そこで四人落ち合った。
【キヨがいない今、武士チームのリーダーはセイだろ。これからどうする?】
【やることに変わりはない。姉ちゃんを見つけて、ユリウスから引き剥がす】
最初は乗り気でなかった誠吾の強い語調に、ダムとアレクがきょとんとする。
ロンがふたりに簡単に事情を説明すると、それだけで彼らは状況を把握できたようだった。
厳しい表情になった三人は顔を見合わせて視線だけで会話し、ロンが代表して口を開いた。
【セイ、まだ言ってなかったんだけど、魔女の亡霊の目的】
【なに】
まだ何かあるのか。
【多分、いや間違いなく、キヨのuterusだ】
やべえ。肝心なところで知らない単語来た。
誠吾は真剣な三人に軽く気圧されながら、正直に聞き返した。
【悪い、単語の意味が分からん。姉ちゃんのなんだって?】
【子宮だ。キヨの腹。魔女は、キヨに魔女の子を産ませたがってる】
日常会話は英語でこなせるようになった。滞在初日より二日目、二日目よりも三日目の今日、アッシュデール人の英語の発音のクセに耳が慣れて、会話も自然にできるようになった気がしている。
だが今ロンが告げた言葉は、誠吾の耳を素通りしかけた。
一拍遅れて脳に届くも、理解するのに更に時間がかかった。
【………………姉ちゃんに? ユリウスの子を?】
順番おかしくないか。
彼らはまだ付き合ってすらいない。ふたりともまだ学生だし、ユリウスなんか今日やっと十八になったばかりだ。
法的な婚姻可能年齢に達してはいるが、社会はそんなに甘いものじゃない。
まず交際からはじめる。そこからだ。それぞれ学校を卒業し、就職して金を貯める。満を持してプロポーズ。両家の承認を得てからも、籍を入れるまでは確実に避妊する。
周囲に祝福されて結婚式を挙げ、ふたりきりでイチャこく新婚生活に飽きた頃にようやく考えるのが妊娠出産だ。
それが一般常識だろう。高校生の誠吾だって知ってる。
一部妄想も入っているかもしれないが。
【セイ、魔女には現代の事情なんかどうでもいいんだ。キヨは遠い異国に住む妊娠可能な若い女性。それだけで魔女の求める条件を満たしている。更に都合のいいことに、魔女の濃い血を引く王子は彼女に夢中ときてる。魔女はキヨの意識を少しいじるだけでいい。それだけでユリウスは、喜んで魔女の望みを叶える】
【…………男の純情もてあそびやがって】
【魔女の望みは子孫繁栄だ。彼女たちは理不尽に、無慈悲に狩られた過去を忘れられないんだ。アッシュデールは魔女の子孫が支配するようになった。彼女たちは小国ひとつじゃ飽き足らず、世界を魔女のものにしようとしている。地球丸ごと魔女のものになれば、魔女を迫害する者はいなくなるからだ】
保健体育じゃなく生物の話だったか。
ロンが語るのは、すべての生物に当たり前に備わっている生存本能の話だ。
種の保存。
魔女は人間との生存競争に勝つための戦略の駒のひとつとして、清乃に眼を付けた。
考えることはザビエルの時代と変わっていない。まだ手付かずの、未知の国へ。以後良く拡まれ我らがDNA。
イエズス会は魔女の敵だろう。敵の猿真似なんて、ダサいことしやがる。
【魔女ってなんなんだ。人類とは別の生命体なのか】
清乃がヒロインのエロファンタジーじゃなくて良かったと思ったばかりだ。だとしたら普通に吐くところだったが、それはロンが否定してくれた。
サスペンスホラー時々バトルアクションなら、ちょっとだけ頑張ろうと思った。
SFまで捩じ込んできやがるのか。設定盛り過ぎだ。
誠吾の姉は未確認生命体に内側から腹を引き裂かれるのか。やっぱりスプラッタも有りなのか!
【人類の中に紛れ込んだバグのようなものだと考えられてる。癌細胞と言ったら分かりやすいか。奴らは人類の中からある日突然生まれたエラーだ。放っておけば、正常な細胞を次々と侵し増殖し続ける。アッシュデールが、その癌細胞なんだ】
生物の成績はあまりよろしくない。というか勉強は全体的にイマイチだから、部活を引退したら必死にならなきゃいけない。
そんな男子高生の頭が、そろそろ思考を放棄してもいいんじゃないかと言っている。
【よし分かった。とりあえず俺は武士だから、向こうから来てるあのひとたち斬り捨ててくるわ】
時代劇にチェンジだ。頭空っぽにして見られる、分かりやすい勧善懲悪。それでいこう。
父がこの名に込めた願いのとおり、誠の武士に、俺はなる。
【気持ちは分からんでもないがヤメロ。あれは今夜だけゾンビの一般人だ。多分月が沈めば元に戻る】
ちなみに頭脳派ロンは、分かりやすく誠吾に説明している間も足を止めていない。
初心者同士が野外でチャレンジなんてあり得ないだろうとデートスポットに見切りをつけ、城内の空室を検めて廻っているのだ。
【俺はもう嫌だ。つまりこの国の連中、男も女もみんな魔女ってことだろ? 個々人に悪意が無かったとしても、俺には一発ずつ喰らわす権利くらいあるはずだ】
【おい】
【ペアチェンジだ。特攻隊長、行くぞ。ロンとアレクが扉開けてく間、俺たちは廊下でゾンビ退治だ】
【オッケー】
【セイ、全員がゾンビって決まってないからな。ちゃんと確認してからにしろよ! ヤバそうな奴が来たらすぐに呼べ】
ヤバそうな奴。ゴリラとかか。
誠吾は分かってる、と言いながらロンとアレクを同じ部屋に押し込んだ。
こちらに近づいてくるのは、まだ若い、誠吾たちよりは歳上だが衰えを感じたことはなさそうな年齢の男。
こいつはどうなんだ。ヤバそうな奴か。この国の連中、大体全員ヤバそうだけどな。
姉ちゃん、あれなんて言ってたっけ。孫子がナントカ言ってるって。
チビだから弱いと思わせとけばいいんだよ、の解説しか思い出せねえ。
まあそれだけで充分か。
【こんばんは。姉とはぐれて困っています。着物を着た黒髪の小柄な女性、見かけませんでしたか?】
誠吾が礼儀正しい子どもを心掛けて丁寧に話しかけると、タキシード姿の男は親切に応じてくれた。
【ああ、日本から来たユリウス様のご友人ですね。先ほど向こうでお見かけしましたよ。殿下とおふたりのようでしたが。今行ったらお邪魔ではないかな】
【! どこにいましたか?】
よかった。間に合ったか。
【お急ぎですか? なら仕方ない。ご案内しましょう。弟君なら殿下も許してくださるでしょう】
誠吾が見上げると、男は唇の端を持ち上げた。
その表情に、違和感を覚える。同時に視界の端に、動くダムの姿が映る。
男がダムの動きを眼で追った。
誠吾はほとんど脊髄反射で動いた。
【………………っセイ悪い、助かった!】
最初の全力疾走直後にジャケットを脱いでいて正解だった。
男の視線に捉えられたダムが、不自然につんのめった。
それを目視した誠吾は咄嗟に腕にかけたジャケットを広げ、男の顔を覆ったのだ。
頭部全体をジャケットで包み、首の後ろでまとめた生地を下方向に思い切り引く。
後ろ向きにバランスを崩した男の腹に、ダムの蹴りが容赦なくめり込む。
激しく咳き込む男の膝裏を抱えたダムが、片手で近くの部屋の扉を開けて室内に飛び込んだ。
【ダム、縛る物探せ!】
今のは超能力だ。清乃が言っていた。
PKの発現条件は目視。ヤバいと思ったら視界を遮れ。
【了解!】
自分にない能力に、必要以上に萎縮するな。正しく理解し的確に恐れ、対策すればいい。
図体のデカい相手に当たったら、とにかく重心を崩せ。引き倒してしまえばこっちの攻撃も届く。
上から体重を乗せて振り下ろす拳は速く強い。
急所の位置を知っていれば、小さな少女の拳だって立派な武器になる。
ましてや今の誠吾には、毎日休むことなく鍛えてきた若い肉体という武器があるのだ。




