案内
ユリウスは清乃の実家にも丁寧な日本語の手紙を書いて送ったらしい。
曰く、日本滞在中、清乃さんには大変お世話になった。そのお礼をしたく、我が国に招待させて欲しい。姉のエルヴィラも会えるのを楽しみにしていると言っている。ご息女ひとりを異国に送るのは心配だろうから、弟の誠吾さんも一緒に来られてはどうか。
といった内容がワード文書で書かれていたそうだ。手書きでないことの非礼を詫びるローマ字の肉筆が添えられていたらしい。
誠実で丁寧な手紙に感心した、誠吾と同じ歳とは思えない、と母が繰り返し言っていた。
が、返すことのできる答えはひとつしかない。小心者の両親は、清乃と同じように断りの手紙を出そうとした。
それを聞いた誠吾が、もう行くって言ってある、とケロっとした顔で告げたのだ。
姉ちゃんとふたりで行ってくるよ。大丈夫。パーティーっても高校生がいっぱい来るって言ってるから。もうキャンセルなんかできないだろ。お城の偉い人に伝えて準備してるって言ってたし。タダで短期留学できると思えばいいじゃん。
おまえみたいなアホを外国になんかやれるかあ! と父が雷を落としたと母が言っていた。
なんとかならないの、お姉ちゃんは行ったら駄目だって分かってるよね、と電話で泣かれた。
ユリウスからも再び電話があった。メールも来た。
フェリクスからも、きがるにくればいい、おとうとにおとなのあそびをおしえるやくそく、などという電話があった。後ろがうるさかった。仲間のUSA産パリピの声だろう。
ユリウスとの電話中、急にエルヴィラの声でわたしもキヨに会いたいな、と言われた。行きます! と反射的に返事をしてしまったのは清乃だ。魔女おそるべし。
パーティーってなんだ。何を着ればいい、頭と顔はどうするんだ。普段着もちゃんとしなきゃ駄目だろう。
重く考え続ける清乃に、フェリクスから英文メールが届いた。
振袖で出席してくれ。日本人の正装なんだろう。おじさんも楽しみにしてる。キツケを手伝える人材はないが、首から上はプロを手配するから安心しろ。
だそうだ。とりあえず自国の王をuncleと言うのはやめてほしい。確かに伯父さんなんだろうけども。
清乃は着付け教室に通い、実家から泊まりで準備を手伝いに来た母と百貨店に行って買い物三昧した。万単位のワンピースなんて生まれて初めて着る。楽しいよりもゾッとする気持ちのほうが大きい。化粧品の高さに腰が引けた。これまた人生初のエステは母も一緒に受けた。何故だ母よ。
誠吾の私大進学の道は閉ざされた。
勝手に重要な返事をした責任を取れ、おまえの進学費用を使って準備をする、進学したければ死ぬ気で勉強して国公立に受かれ、と締め上げられたと本人はケロっとしている。彼は多分コトの重要性を理解していない。
キラキラ王子は、庶民の女がセレブのパーティーに出席するのがどれだけ負担か、きっと理解していない。
同じ王子でも、着物がいい、メイクの心配はするな、と連絡をくれたフェリクスはさすが二股常習犯のチャラ男だ。女の事情をよく分かっている。
彼は国に到着したら、城に行く前に買い物に付き合ってやろうか、手ブラで来てもいいぞ、とまで言ってくれた。全額出してくれそうな口振りだった。
アッシュデールではユリウスよりもフェリクスを頼りにして過ごそう、と清乃は思った。
さすがに買い物の誘いは断ったが、母の財布から万札が何枚も出ていくのを見て後悔した。しまった、意地を張らずに申し出を受けておけばよかった。
だってチャラ男を相手にマイフェアレディごっこなんて、冗談じゃないと思ったのだ。
お父さんお母さん、面倒臭い人種と関わりを持ってごめんなさい。
出発当日は、空港で誠吾と待ち合わせた。
見送りに来た両親は、今生の別れでもするかのような半泣き顔だった。完全に不敬罪で斬り捨て御免されると思っている。
あんたユリウスさんとは本当にただのお友達なの、こんなのおかしいでしょ、ととうとう母から直球を投げられた。
当たり前でしょ、セレブな西洋人だから距離感覚が違うだけだよ。大体あの子、誠吾とタメだからね。
清乃が適当に返した言葉に母はそれ以上の追及はしてこなかったが、代わりに声を低くして、旅行中の注意事項を増やしてきた。
……フェリクスさんとはあんまり親しくしちゃ駄目よ。誠吾、向こうではお姉ちゃんから離れないようにね。
母の心配に、清乃はハイハイ、と笑っておくしかなかった。
おいチャラ王子、ほんの短時間でイロイロ見抜かれてるぞ。実は割りといい奴なのだが、娘を持つ親が警戒すべき男であることは確かだ。
まあ奴は清乃のことを中学生くらいにしか思っていないから、別に警戒する必要はない。
青い顔の両親に手を振って、初めての海外旅行、初めて自分でする搭乗手続き、初めての飛行機の乗り継ぎ、他山ほどの初めてを経験して、アッシュデールに到着した。
飛行機では楽な格好で過ごした清乃だったが、着陸前にトイレでくすんだピンクのワンピースにクリーム色のカーディガンという服装に着替えた。
趣味ではないが、若い娘の無難な他所行きスタイルなんて、何十年経ってもこんなものだというのは分かっているから我慢して着ている。
アッシュデールの気温は東京と同じくらい、湿度は低い、との話だった。
確かに出発時との気温差は感じなかった。湿気が少ないぶん風も肌寒さよりも爽やかさを感じる。
城の中も同様だ。外観とは違い適度な装飾を施した建物内に、気後れする姉弟の心を軽くする空気が流れていた。
日本にいるときよりも距離感の近い清乃と誠吾をユリウスが先導する。ご案内致しますと言ってくれた美女カタリナは一番後ろを歩いていた。
彼女は、日本の女性に気軽に触れたら駄目だとご自分がおっしゃったのでしょう、とユリウスを叱りつけていた。多分清乃のためについて来てくれている気がする。
案内された部屋は少女趣味の大人女子向けな内装だった。清乃も嫌いではない。
壁紙からカーテン、ソファなどすべてが花柄で、なのにうるさくない。ベッドが天蓋付きなのは想定済みだ。別に嫌いじゃない。
ごめんなさい。好きです。すごく素敵。
特別趣味というわけでもないが、そんな清乃でもテンションが上がる部屋だった。
「キヨ、この部屋気に入った?」
「いやまあ、素敵ですとしか」
「部屋を片付けられるようになったら、誕生日にこれと同じカーテンを贈る」
「くれる気ないじゃん」
投げやりな清乃の返事に、ユリウスがまた笑い、改めて彼女の全身を眺めた。
「キヨのスカート初めて見たよ。そういうのも似合うな。可愛い」
そうでないと困る。いくらしたと思っているのだ。買い物帰りに金銭感覚が麻痺した母と美味しい寿司を食べて帰ったんだよ。
「それはどうも。ところで誠吾が死にそうだから、一日だけでも同じ部屋にしてもらっていいかな」
「えっ」
やっぱり駄目だろうか。国賓扱いのいい歳した姉弟が同室で寝泊まりするのは外聞が悪いか。
【続き部屋をご用意しましょう】
有能美女カタリナがすぐに提案してくれる。彼女は日本語は喋れないが、言っていることはなんとなく分かるらしい。
【お願いします。すみません、我儘言って】
【いいえ。わたくしはキヨノ様とセイゴ様に便宜を図るよう申しつかっておりますから。なんでもおっしゃってください】
【ありがとうございます。お世話になります】
『お年頃の王子が良からぬことを考えないとも限りませんしね』
カタリナがユリウスに向かって何かを言い、にっこりした。ユリウスも同じように笑顔を返す。
「えっと、仲良し?」
「カタリナ? フェリクスの乳母の娘だよ。昔はエルヴィラと一緒になってよく虐めてくれた」