熱
「めでたしめでたし」
暇潰しと日本語の勉強を兼ねて、絵本を何冊も読んでいたユリウスらしい締め方だ。
表紙の絵のとおり、騎士とお姫様は出てきた。
が、清乃が想像していたような恋物語とは違う内容だった。これでは騎士道物語だ。
アーサー王と円卓の騎士が繰り広げる冒険劇。彼らはお姫様と恋はする。
だが彼らにとって恋は命を賭けるに相応しいものとしながら、その実人生のスパイス程度にしか思っていなさそうな、戦う男の物語。
多分この人たち暇だったんだろうな、と清乃は読みながら思ったものだ。
「大変興味深いお話をありがとうございます」
まずは読み聞かせなんて面倒臭いものに付き合わせたユリウスに丁寧なお礼を。
母国語の文字を追いながら、同時に日本語に訳して読み上げるなんて、彼の語学力には感服するしかない。
しかし魔女か。
騎士と魔女。
挿絵の炎の赤色は、血の暗喩か。
子ども向けだから、表現を少し和らげた。
主人公の騎士の赤い髪の毛、戦場に飛び散る鮮血。
この描写は、図書室で借りた本の中にもあった。
「子ども向けだけど。面白かったの?」
幼い子のように真剣な顔で絵本をめくる清乃を、ユリウスが面白そうに見る。
「うん。これ、アッシュデールの建国神話的な話?」
「やっぱり分かるか。正確には建国前の実話が基とされているんだけど」
「このお妃さまが、ユリウスたちの能力のルーツ?」
騎士を操り、国をひとつ乗っ取った魔女。
この国の王族が異能を持って生まれる、そのはじまりは彼女だった。
そういうことなのか。
「そこははっきりしていない。これはあくまで、史実を基にしたフィクションだよ」
「……じゃあもしかして、きれいなお姫さまのほうが本当の魔女?」
「そういう説もある。賢い人、なんていかにもそれっぽいだろ」
ふた組の夫婦、そのどちらとも、騎士と魔女の組み合わせか。どちらが始祖だとしても、辻褄は合ってしまう。
「……あれ? でもさっき建国前の話、って言ってたっけ?」
この絵本に出てくる「あたらしいくに」がアッシュデールというわけではないということか。
「うん。資料によると、うちの先祖は主人公の騎士のほう。彼は一伯爵として生涯を終えているんだけど、彼の死後、孫が近隣領主と蜂起して独立したのが、アッシュデール。当時の伯爵領の名前をそのまま国名にしてるから、うちの首都は国名と同じアッシュデール」
「あれ。お妃さま関係なくなった」
「子孫が嫁いできてるんじゃないかって説がある。そこまで詳しい資料は残ってないんだ」
「……ちょっと待って。少しだけ読んだよ。初代国王の母が魔女だったって書いてあった気が」
単語を拾い読みしただけだが、確かにそのような記述があった。
単純に考えれば、騎士の息子の妻は、お妃さまの娘か孫娘か、そういう話になる。
「そうじゃないかとされている、だ。だとしたら、騎士は自分たちを裏切った男の娘を、息子の妻に迎えたことになるだろう。この騎士はなかなかな頑固者だったらしくて、逸話がたくさん残っているんだ。その彼が生きている間に、裏切者の娘を家に入れることを許したとは思えない、って議論の決着がまだついていない。じゃあやっぱり、お姫さまが魔女だったか、という話になる。彼女にも魔女らしい逸話は山ほどあるしね」
「ナイトは頑固親父かあ」
「何世紀も昔の話だからな。どの時点で血が混ざったかなんて、誰にも分からない。奥さんの母の母の実家がどこかなんて分からないことも多い」
魔女は夫を操り、国を手に入れた。しかしすぐにそれを喪った。
もしくは。
魔女は愛する夫と幸せになった。その子孫が興した国は現代まで続いている。
あるいは。
それはどちらも正しいということはないだろうか。
魔女の息子が嗣いだのであろう国はすぐに喪われたが、魔女の娘は他家に嫁ぎ、血脈を拡げる。
もうひとりの魔女の子孫が創った魔女の国は、小さいながら何世紀にも渡り永く続いた。
ふたりの魔女の血は長い歴史の途中で合流する。
つまり騎士の子孫を名乗る現王の身体には、騎士の血と同時にふたりの魔女の血が流れている。
物語の中に迷い込んでしまったような気分になってきた。
「……なんかエクスカリバー出てきそう」
「だろ。子どもの頃にはどこかにあるはずだと本気で信じて探してた」
誠吾レベルだ。
「ユリウスってそんなカオしてるけど、案外普通の子だよね」
「今褒めた? 貶した?」
「どっちでもないよ。その顔でどうやったら普通に育てたのか疑問に思って」
天使の容貌をもつユリウスは普通の男の子のように冒険譚に憧れ、普通の男の子のように友達をつくり、ついでに平凡な女を好きになった。
その外見が人格形成に与える影響は大きかったはずだ。
現在の普通の男の子のようになるには、普通の育て方をしては無理だったのではないだろうか。
ユリウスは微妙な評価に微妙な表情をして、自分の美しい顔に触れた。
「母の方針で早いうちから寄宿学校にやられたんだ。チヤホヤされ過ぎて、変な感じの子に育ってたらしい」
「素晴らしいお母さまでよかったね」
「当時は泣いたぞ。急に誰もチヤホヤしてくれない環境に放り込まれたからな。長期休暇で城に帰って来ても、女性は近づかないようにと徹底された。甘やかすから駄目だって」
「ああ、それで」
顔の割りに女性への耐性が低いのか。
表向きはスマートに接することができても、同年代の少女に会っただけで思春期が爆発、能力が暴走してしまう。
王妃さま、ご自分の教育方針のせいで異国の変な女に引っかかってしまったと、今頃後悔していないだろうか。
「含みのある言い方だな」
「そう? ねえ、この綺麗なお姫さま、エルヴィラ様かジェニファー様みたいな美人だったのかな」
なんといっても、それはそれはきれいなおひめさま、だ。
ユリウスたち美形一族の祖として相応しい形容である。
「まあ美人ではあったんだろうけど、相当の遣り手だったみたいだ。結婚したとき夫は一介の騎士でしかなかったのに、彼女と結婚してからどんどん出世して、伯爵位まで授かった。拝領した領地を発展させて、晩年にはかなり裕福になっていたはずだ。騎士は戦ばかりしていたはずだから、彼女の力によるものが大きかったんだろう」
俗に言うあげまんというやつか。
現代ならバリバリのキャリアウーマンになっていたであろう女性が当時能力を発揮できたのは、内助の功という形だけだったのだろう。
夫に尽くす魔女。
それって彼女にとって幸せなことだったのかな。
これは自分の成果物だと言いたくなることはなかったか。
清乃なら嫌だ。
おまえの手柄じゃないだろ、ドヤ顔してんなよ、と夫を押し退けたくなりそうだ。
大好きな夫のためなら苦にならないのかな。でもそれって、悪どい男に騙される尽くす系女子の典型みたいだ。
本当に好きになった相手なら、それでもいいと思えるのだろうか。
(めのまえのおとこを、すきになってみればいい)
ユリウスを?
(かれはあなたのことがすき)
あなたとは清乃のことか。
清乃のことを二人称で呼ぶ、この声は誰のものだ。
清乃ではない、誰かの声。
清乃ではない誰かの声が、清乃の頭の奥で、清乃の振りをするのをやめてこう囁く。
(かれがのぞんでいるのはあなた。あなたをあげればかれはよろこぶ)
ユリウスに、清乃を。
ウケ狙いのケチャップと手拭いだけじゃなく、ちゃんとした誕生日プレゼント、用意してあるのに。
「…………今夜は月が綺麗ですね」
彼が清乃と同じ日本人だったら、絶対に言わなかった言葉。
彼が同じ日本で生きていけるひとだったら違う意味を込めて、込めた意味に気づいてもらいたくて言ったかもしれない言葉。
「ん?」
「……まんげつ」
カーテンを開ければ、中天にかかる満月が見えるはずだ。
日本人であれば、この世をば、と詠む。
魔女であれば
「ああ、有名な話だな。月の満ち欠けは魔女の力に影響を与える、って。エルヴィラによると、割りと本当の話らしい」
その身を満たす魔力に歓喜する。
満月の夜、魔女の力は増幅する。
「……ってキヨ? どうした。何をしている」
何故彼はそんなことを訊くのだろう。見て分からないのか。
天蓋のカーテンを留めていた紐を引いた清乃は、ことんと首を傾げてユリウスを見た。
ベッドに手を付いて膝行するも、ユリウスは怪訝な顔のままだった。
おかしいな。まさかやり方間違えてる?
「適当にはだけて接近?」
「それ今朝言ってたヤツか」
和服は簡単にはだけることができる。襟元に指を入れて引っ張るだけで着崩れるから、簡単に肌が露わになるのだ。
その作業が中途半端になってしまったか。
清乃は長襦袢の襟をもう少し広げてから、寝そべるユリウスのすぐ隣にぺたんと座った。
「九割はかたいって話だった」
「え。雑」
口では文句を言いながらも、ユリウスは身を起こして清乃と向き合う姿勢になった。
「だめ?」
訊いてみると、右手の指をそっと持ち上げられた。そのままユリウスは頭を下げて、清乃の手に唇を近づける。
指の付け根にキス、まではされなかった。フェリクスが言っていたみたいな、振りだけのキス。
清乃の指を捕まえて少し頭を下げた姿勢のまま、ユリウスが真っ直ぐな視線を向けてくる。
彼がたまにやるあざとい上目遣いとは違って、移りそうなほどの熱を感じた。
いつもならとっくに逃げ出しているはずの女が嫌がっていないか、その視線で慎重に探っている。
彼が見つけられるのは、とろんとした表情で彼のすることを見ている女の顔だけ。拒絶の意思は、そこにはない。
ユリウスの手が、清乃の右の人差し指と中指の先を最後に摘んでから離れた。それからその手は、化粧を落としたばかりの頬に優しく触れた。
「ううん……駄目じゃない」
彼の手は少しずつ移動した。顎のラインをゆっくりなぞって、辿りついた耳たぶを指先ではさみ、髪をかき分けながら更に進んでうなじの上あたりを掴んだ。
こめかみに熱い吐息を感じる。
清乃が目を閉じる直前に、部屋の灯りが消えた。
それから清乃は、かたい腕に強く、つよく抱きしめられた。




