乾杯
ビール持って来るからここでちょっと待ってて、とユリウスに連れて行かれたのは、可愛らしい部屋だった。
初日に案内された、少女趣味な大人女子向けの部屋だ。花柄が可愛いのに落ち着ける、センスの塊のデザイン。
なんでここなんだろうと少し疑問だったが、初日に案内してくれた際のユリウスのドヤ顔が思い出された。多分彼は、清乃のためにこの部屋を用意してくれたのだろう。
センスも経済力もないために素っ気無い部屋で暮らしている清乃の持ち物に、たまにらしくないほど可愛らしい物が混ざっていることに気づいていたのだ。
バレていたか。
ちょっと可愛い小物を持つだけで満足していたが、この部屋に泊まっていいのかと思ったときには嬉しくなった。
そこまで警戒する必要なんかなかったのかもしれない。
ユリウスはちゃんと、清乃が日本で言ったことを理解し、その選択を尊重してくれている。
ベッドに転がって待つのはさすがにまずいか。ユリウスに対しては今更感があるが、まだ振袖のままなのだ。普段着ならとっくにゴロゴロしているところだ。
だってもう疲れた。
ここの人たちは日本人はみんな着物を着慣れていると思っているのかもしれないが、とんでもない。
清乃は成人式に着たのが七五三以来初めてのことだ。腹周りを締め付けているから苦しいし、姿勢を崩せないのはしんどい。
早く脱いでしまいたい。
部屋の中央に立って帯をぐいぐい回していると、ノックと同時にドアが開いた。
「お待たせ。って何をしている」
缶ビールを抱えたユリウスが目を丸くする。というか引いている。
マジかこの女、と顔に書いてあるのだ。
「脱ぎたい。疲れた」
「大変そうだ。手伝おうか」
「着るのはともかく、脱ぐのはひとりで大丈夫。お気遣いなく」
「嫌味だ。普通に答えるな。キヨの危機管理の基準はどうなっているんだ」
中に色々着ているのが外からでも分かるからだろう。ユリウスは呆れ顔ではあるが、冷静にツッコミを入れた。
清乃的にも、上着を脱ぐくらいの感覚しかない。
「仕方ないでしょ。慣れてないと着物ってしんどいんだよ。あんたにも着せてあげようか」
シャワーを浴びるところから準備を始めて、もう半日が経とうとしている。しかもその前には王族のブランチにご相伴させていただいたのだ。
いくら寝坊したとはいえ、清乃の気力体力は限界が近い。
「悪かったよ。今日はありがとう」
「まったくだよ。このワガママ王子め。こんなこと二度とやらないからね」
異国の王族が住む城に滞在、国王夫妻に拝謁、着飾ってセレブの集まりに参加、それらを全部英語でこなしたのだ。
ユリウスから連絡を受けてから今まで、清乃の生活は目まぐるしいものになった。
その努力が今夜、ほぼ報われた。自分で気づいた以外のヘマもたくさんしたはずだ。最初から好意的に迎えてくれた人々が、笑って許してくれただけだろう。
「成人式のキヨがすごく綺麗だったから。もう一度見たかったんだ」
「いつもは綺麗じゃなくてすいませんね」
「いつもは可愛い。どっちも好き」
外した帯をベッドに放るガサツな動作のついでにまぜっかえそうとしたが、ユリウスのほうがうわてだった。
「……じゃあ顔も洗っていいですか」
「どうぞ。洗面台に一式揃ってるはず」
お言葉に甘えた清乃がバスルームで身軽になってから戻ると、ユリウスはテーブルに突っ伏して待っていた。
彼も疲れているのだろう。
「……なんかさっきより小さくなってないか? なんで?」
「お腹にこれ、タオル巻いてたの。暑くて苦しかった」
長襦袢も一度脱いでしまって中身を色々取り出し、簡単に着直したのだ。
下着と肌襦袢、長襦袢だけなら楽なものだ。清乃のパジャマ姿を何度も見ているユリウスの前に出るのに躊躇うような格好ではない。
「…………キモノ怖い」
細いウエストに憧れるくせに、寸胴体型を作るためにタオルを巻く日本女性の着物は、異国の少年には理解し難いものだろう。
「あんた今日怖いものいっぱいできたね。せっかく大人になったのに」
「全部キヨだ。まあいいや。疲れてるとこごめん。乾杯だけ付き合ってくれたら、部屋まで送るよ」
「あとこれね」
清乃はユリウスがビールと一緒に持って来た絵本をひらひらさせた。
城下の本屋で買った絵本だ。
ついでに清乃が滞在している部屋に行って、机の上の絵本を持ってきてくれと頼んでおいたのだ。
「はいはい。こっちは敗者チームだからな。ご命令には従いますよ」
泡がちょうどいい割合になるようにユリウスが注いでくれたビールのグラスを持ち上げて、ふたりで向かいあって座った。
グラス同士をカチリと触れさせると、ユリウスの笑みが深まった。
「「乾杯」」
あんまり彼が嬉しそうな顔をするから、日本での子ども扱いがそんなに悔しかったのだろうかと、可笑しくなってきた。
このときのために彼は、夜の部屋でも葡萄畑でも、アルコールを口にしていなかったのか。
「誕生日おめでとう」
最初のひと口だけ豪快にごくりと喉を鳴らす。清乃が多少はビールが美味しいと思えるのはこれだけだ。
そのあとは、日本酒でも飲んでるのか、と言われてしまう、ちびちび舐めるような飲み方をするのだ。
ユリウスは平然とした顔でグラスを空けてしまった。自己申告どおり、普通に飲めるらしい。
まあ飲酒歴が違うし、そもそも人種が違うのだ。悔しがることではない。
「はいこれ、ユリウス。プレゼント」
「ありがとう。なあ、これどこから出てきた? ここ来るとき、何も持ってなかったろ?」
清乃が差し出した包み紙を、ユリウスは喜ぶ前に気味悪がった。
「ふふふふふ」
着物の合わせに忍ばせておいただけだ。飾りの一部と化していた袱紗の中。外国人には理解できないのだろう。
「……こわい」
「大人になるって大変なんだよ」
ただのカルチャーショックだ。大人も子どもも関係ない。
ユリウスが苦笑いで包装紙をビリビリと破いていく。
「やっぱりビリビリにするんだね」
「何が?」
「それ。ラッピング。映画を観てたら外国の人はみんなそうやって開けるから、不思議だった」
「え、考えたことないな。逆にキヨはどうやって開けるの?」
清乃はユリウスが破いた包装紙のセロテープをそうっと剥がしてみせた。
「こうやって綺麗な四角い紙に戻して、畳む」
「ズボラなくせに。畳んだ後はどうする?」
「綺麗でしょ、こういう紙って。子どもの頃はすごい貴重品に思えて、大事に取っておいた。つもりだったけど、気づけば失くなってたな」
ついでに思い出すのは、横から手を出した誠吾にビリ、とやられて姉弟喧嘩が勃発した過去だ。
先ほどの試合を思えば、もうあの頃のような喧嘩はすまい、と決意するしかない。
「キヨらしいな。今も取っておいてる?」
「ううん。捨てちゃうんだけど、でもやっぱり綺麗に剥がしたい。日本では多分多数派だよ。なんでだろ。あなたにもらった物は全部大切にしますよっていうパフォーマンスかな。パフォーマンスは言葉が悪いか。精神?」
「よく分からない。中身は大切にするつもりだけど」
「まだまだカルチャーショック出てきそうだね」
ユリウスが清乃の部屋で暮らしていたのは半月程度のことだ。あまりにも濃い日々だったから、もっと長かったように錯覚してしまう。
ユリウスは半月分しか日本の暮らしを知らない。
清乃は彼のことを半月分しか知らない。
(ユリウスはいいひと)
もっと彼のことを知れば、自分の気持ちを制御できないほどに好きになってしまうのだろうか。
(もっとかれのことをしればいい)
そうなったら、清乃はどうなるのだろう。
どうすればいいのだろう。
結ばれることのないひとを好きになって、辛い思いをするのは嫌だ。
(むすばれてしまえばいい)
無理だよ。彼には婚約者が
(ユリウスはあなたのことがすき)
「…………え」




