満月
「ちっ」
【舌打ちした】
【キヨが舌打ちした】
うるさいガキども。
清乃は形だけ棒を左腰の位置で持ち、裸足でペタペタ歩いた。
【今更なんだけど。今日この場に私がいたこと、やったことは、秘密にしてくださいね。恥ずかしいから】
少年たちを見回して言うと、彼らははーいと軽い返事をした。
【特にルカス。お願いね】
【? いいけど。ラインの内側で膝をついて始めればいいんだっけ? 三秒くらい止まっていようか】
彼我の身長差は四十センチほどだろうか。ルカスが両膝を床に突くと、ようやく少しだけ見下ろすことができた。
【それいいね。お願いします】
清乃はルカスの目の前に立って彼を見下ろした。大きな少年の額は今、小柄な清乃の顎の高さにある。
あ、手袋。やっぱり外そう。
今やるのか、とルカスが一瞬イラッとするのが分かる。応援する少年たちもだ。
清乃は気にせず、左右の手袋を着物の合わせに忍ばせた。その様子を、真正面で黙ってルカスが見守っている。
彼はなんだコイツ、と思うのと同時に、異文化圏の不可思議な動きに気を取られている。
【はじめ!】
ダムが開始を宣言した。
それと同時に清乃は両手を伸ばし、ルカスの頭をがしっと掴んだ。
【ごめん、ルカス】
今夜は満月か。
アッシュデールの月も日本と同じだ。まんまるお月さま。
月はいつも同じ面を地球に向けているのだと、小学校の先生が言っていたな。それなら同じで当たり前か。
「……キヨ」
ユリウスの日本語はネイティブレベルだがさすがに、今夜は月が綺麗ですね、の意味は知らないだろう。
気にせず見たまま、綺麗だね、と言っても問題ないということだ。
「はい」
清乃は機嫌がいい。
綺麗な月、月明かりに照らされて咲き誇る花々、それらを眺めつつ美少年とふたりで歩けば気分は更に上昇するというものだ。
普段着ならともかく、今の清乃は華やかな振袖に、プロに作ってもらった大人の女性の顔をしている。
美形王子には及ばないが、それでも隣を堂々と歩いてもいいくらいの見てくれになっているはずだ。
珍しくにこやかな彼女を見下ろしているというのに、ユリウスは笑顔を返さない。
「…………キミは何者なんだ」
「それ前にも言ってたよね。ただの日本の大学生だよ」
「普通の女性は、ルカスを倒すことなんかできない」
「ふっふっふ」
「………………キヨが怖い」
ユリウスが泣きそうだ。可愛い。
清乃は彼の背中をバンバン叩いて慰めてやった。
「ユリウスよりルカスのほうが強いんだっけ。つまりユリウスよりあたしのほうが強いってことだよね」
「……それは元からだ。オレがキヨに勝てたことなんか一度もない」
彼の日本滞在中、家主であることと年齢を笠に着て、清乃が偉そうに振る舞っていたことを当て擦っているのだろう。
「大人の実力です」
「キヨ」
顎をそらして威張ると、右手を取られた。
清乃が驚いて身を引こうとしても、ユリウスは手を返してくれなかった。
「オレも今日から大人だ。大人になったらキヨとやりたいことがあったんだ」
「……なに」
「警戒しなくていい。そんなにすごいことは言わないから」
これはトレーニングルームでの仕返しか。
「なによ」
「一緒にビールを飲もう。焼肉屋のリベンジだ」
日本にいるとき、清乃がひとりで飲酒するのをユリウスは羨ましがっていた。仕切り直しといきたいのか。
「あは。いいよ。乾杯しようか。赤くなっちゃうから、人目につかない場所でね」
「まったく警戒されないのも複雑だな」
また王子様が面倒臭いことを言い出したぞ、と。
「どうしろと」
「だってオレは、キヨの一番親しいboyfriendなんだろう?」
「男友達ね。英語にしないで」
「男友達っていうのは、どういうポジションの男なんだ。手をつなぐのは有り?」
すでにつないだ状態で何を言い出すのか、この王子様は。
「普通はつながないよね」
「普通ってなんだ。いいのか悪いのか」
「…………人前でなければ、たまにはいいんじゃない」
なんだこれ、恥ずかしい。
清乃はユリウスから顔をそむけた。
恥ずかしそうに言ってしまったのが恥ずかしい。ちょっと待てよ、今すごく恥ずかしい感じになってしまっている気がする。
いい大人が手ぐらいなんだというのだ。この年齢になっても、楽しくなって同性の友達と手を繋ぐことくらいある。それと同じだ。
しっかりしろ清乃。
「よし。ハグは?」
「無しだよ。友達としないことはしない」
「有りということだな」
多分着物だからだ。
ユリウスが清乃の背中にまわした腕は、壊れ物に触れるように、どころじゃなかった。着崩れをおそれた彼は、彼女がひと回り太ったかのように、彼女の周りの空気を腕で囲んだだけだった。どうということもない行為だ。
「このくらいはルカスたちともするし、誠吾ともした」
くそ。欧米人め。
「はいはい」
「キスは?」
「無しだよ! それもう友達じゃないからね!」
「節度を保った接触は可だけど、下心付きの行為は不可ということか」
「おい王子様。そのカオで下心とか言わないでよ」
恥ずかしい通り越して呆れてきた。美形王子様には清廉潔白な天使のイメージを崩さないで欲しい。
「分かりやすく言っただけ。でもキヨもこの顔面を評価してくれてはいるのか」
ぬけぬけとよく言ったな。
自分は美少年だと自覚のあるユリウスに、自惚れとかナルシズムだとかは感じられない。ただ事実を述べただけ。彼レベルになるとこんな感じになるのか。
「あたしにだって審美眼くらい備わってるよ」
「でもゴリラじゃないからダメなのか。オレそんなに弱そうに見える?」
まあ強そうには見えない。背は高いがまだ細身だし、首から上がキラキラし過ぎている。
「……ユリウスが強いのはもう分かったよ。動体視力がないから、うちの弟より強いってことだけだけどね」
「あんまり分かって無さそうだな」
「分からないしあんまり興味がない」
だからいい格好しようとしないで欲しい。あんな試合、清乃には怖いだけだ。
「……こんな奴にあのルカスが……!」
大将戦後、アッシュデールの少年たちはみんなぽかんとしていた。ルカスは倒れたまま、しばらく茫然自失としていた。
正直言って、ちょっと気持ち良かった。
見たかガキども。大人を揶揄おうなんざ百年早いわ。
振袖を留めたリボンをほどいて、勝ったよー武士チーム万歳するー? と声をかけても、喜んでくれたのは誠吾だけだった。
仕方なく姉弟仲良く、ぃえーいとハイタッチしたのだ。
「ハンデいっぱいもらって勝ちましたが何か」
「ハンデって、でもあれだけで。キヨが勝てるわけないだろ。本当に何をしたんだ」
「頭突きだよ。成功する確率は不明だったけど、まあ失敗しても降参すればいいだけだしと思って」
「……オレのgirlfriendが怖い」
「英語で言うなって言ったでしょ。まあ種明かしはそのうちね。今はまだ内緒」
夜会はもう終盤だろうか。
城を出て行く車が遠目にいくつか見える。宿泊を予定していない招待客が帰宅していったのだろう。
今夜の主役が大人の態度で完璧な社交術を披露して会場中をまわった後、子どもの顔をして友達と遊んでくる、と抜け出してきたのだ。
あとは飲み足りない、喋り足りない大人が勝手にすればいいんだよ、とユリウスは言っていた。
トレーニングルームでユリウスは、最後に誠吾と密談を交わしていた。
なんの話をしているのかなんとなく想像がついたから、清乃はあえてそちらには視線をやらず無関心を貫いた。
その間に清乃は武士チームの三人に百合とミニバラとを配った。
これは親切にしてくれてありがとうの気持ち、とカスミソウを少しずつ騎士チームの四人にも渡すと、彼らは素直に喜んでくれた。アホだけど可愛い子たちだ。
約束する。絶対夜のうちに部屋まで送って行くから待ってて。でも万一キヨが帰って来なかったらオレを止めに来てくれ。頼む。
去り際に真顔で宣言するユリウスに、誠吾が喚いていた。
ぜってーやだよ! 身内にそういうこと言うなって言っただろ!
だからヤメロ馬鹿。
ツッコむこともできず、清乃はやっぱり白けた顔のままでいるしかなかった。
日本語でまだよかった。ルカスはなんとなく察したような顔をしていたが、他の少年たちはきゃっきゃとはしゃいでいて、何も気づいていない。
みんな今日はありがとう。オレはキヨを部屋まで送ってから仕事に戻るよ。
自然な笑顔で手を振る王子に、みんな同じように自然にお疲れーおやすみーと挨拶を返した。




