歓迎
晴れ渡った空に中世のようなヨーロッパの街並み。遠目に見える建築物、あれはお城だ。
流れていく街、明るい色の髪、白い膚。アパルトマンというのだったか、日本で言うメゾネットの集合住宅がずらっと並んでいる光景は、ガイドブックに載っていたとおりだ。
「わああ、メルヘンな街並み……!」
素敵。御伽噺のような光景だ。
いつも曇っているのはロンドンだっけ。
ヨーロッパ全体がそういうわけじゃないのか。当然か。知っていたはずだ。昔地理でやったよ。気候がどうとか。
「姉ちゃん目が死んでるぞ。無理矢理テンション上げようとしてもバレバレ」
「精神が死にかけてんだよ。骨はおじいちゃん達と同じ墓に入れてくれていいから」
「拾わねーよ。こっちは土葬だろ。ユリウスに立派な墓建ててもらえよ」
「骨埋める覚悟で来てない」
いつものようにスパンと頭をはたいてやりたいが、人目が気になってできない。
黒い自動車、高級車のゆったりした後部座席に座っているのは、日本の小柄な姉弟ふたりである。
運転席には白人男性。助手席に白人美女。ふたり共まだ若い。清乃とは十歳も離れていなさそうだが、やっぱり子どもだと思われている気配がする。
いいけど別に。言葉も風習も分からない国だ。知らずに非常識なことをしてしまっても、子どもだからと大目に見てもらえると考えれば、童顔チビも長所になる。
あああでもやっぱり怖いよお城に滞在なんて。国王陛下に拝謁なんて、ド庶民には畏れ多いどころかいっそ不敬だ。姿を見せるだけで不敬ってどういうこと。
よし、やっぱり帰ろう。帰って読みかけの小説の続きを読もう。今はファンタジーより幕末物だ。
「いい加減覚悟決めろよ。ここもうアッシュデールの首都だぜ?」
分かってるよ。読みかけの小説も手元にあるよ。車酔い経験なんてないから、今すぐ心残りを解消することだってできるよ。
【キヨノ様、車酔いですか? 少しスピードを落としましょうか】
【お気遣いなく! 単なる時差ボケ、寝不足ですから】
【あら、大変ですね。到着次第お部屋にご案内しましょう。それまでお楽になさっていてください】
【ありがとうございまーす】
高校生の弟がソツなく対応している。
日本人らしい発音の英語だが、ちゃんと通じているようだ。台本を読んでいるように棒読みになる清乃と違い、ちゃんと気持ちも乗せていて自然な会話になっていた。
「……あんたコミュ力高いよね。いつの間にそんな喋れるようになったの」
「ユリウスが電話で特訓してくれた。こないだ英語の先生言い負かしてやったぞ」
「学校で何してんのよ。今年受験生なのに内申下がるよ」
「英語の順位だいぶ上がったからプラマイゼロ」
「せっかくのプラスをゼロに戻すな」
城がだいぶ大きく見えてきた。
小さい国、とはユリウスの言葉で、確かに世界地図上では点レベルの国土しかなかったが、王の住まいは巨大だ。
山というよりは少し小高い丘の上まで城を目指して走ると、低木の向こうに街並みを一望できた。
うーん。やっぱり素敵。
日本の古い街並みも情緒があって落ち着くが、ヨーロッパには夢がある。日本人の感性では、落ち着くよりも心躍る。
城門は城よりも時代が浅そうだ。
重厚な城は戦に耐えられるよう造られている。ユリウスが開祖は中世盛期の騎士だと言っていた。その先祖が建築したのだろう。
堅牢な城本体とは対照的に華やかに造られた門構えは、ロココ寄りのバロック。多分。派手で豪華。活字で読んだことはあるが、写真はあまり見たことがない。実物を見るのは初めてだ。女の子の憧れが詰まっている。
御伽噺の挿絵に出てきそうな石造りの建築物は歴史を感じさせる重厚さに圧倒されるが、庭園には爽やかな風が吹いていた。
通路を造るように幾つものブロックに分かれた花壇が設営されている。専門のガーデニングプランナー的な人が細部までこだわって設計したのだろう。だろうとは思うが、清乃にはどこにこだわりがあるのか分からない。清乃から出てくる感想は綺麗だね、だけだ。
しかしそうか。庭も車で移動するのか。
規模が違う。清乃の実家何個分なんて計算するのも馬鹿馬鹿しい。東京ドームで数えなきゃな規模だ。
「ユリウスはこんなとこに住んでるのかあ」
やっぱり彼は、清乃とは住む世界が違うひとだったのだ。
「普段は寮暮らしだけどね」
「「っ! ……っ! ‼︎」」
杉田姉弟は同時に、それぞれ左右のドアまで飛び退いた。
「キヨ、セイ、久しぶり」
走行中の自動車の後部座席に、忽然と人間が現れたのだ。驚かないほうがどうかしている。
なのに前のふたりは平然としていた。運転席の男性が軽く文句を言ったくらいだ。
『ユリウス様やめてくださいよ。事故起こしちゃいますよ』
『ごめんごめん。窓から見えたからつい』
ユリウスだ。キラキラ王子様の御登場だ。
「キヨ」
驚きに心臓が止まらない。いや、止まったら困るのだが、全力で走った後のように早鐘を打つ心臓が痛い。
清乃は冷静ではなかった。
冷静でなくしたのはユリウスだ。
「な……っにすんのよ、この馬鹿ガキがあ!」
当たり前のように頬にキスしようとする美しい顔面を、清乃ががっしと掴んで押し返してしまったのは、だからユリウスが悪い。
前のふたりがユリウス登場時よりも驚いていることに気づけなかった。
「えっなんで。頬ならいいんじゃなかったのか」
サラサラのプラチナブロンドが相変わらず眩しい。少しだけ、前回会ったときよりも大人びて見えた。
男子三日会わざれば、かと思ったが、前髪が伸びたせいだと気づく。目にかかりそうな長さになっていて、自然な七三になるよう流しているのだ。額の分顔が面長に見えて、それで錯覚してしまった。
「誰がいいって言ったよ! びっくりするからやめてよね!」
「どっちを? 挨拶? teleportation?」
「どっちもだよ!」
清乃が怒りに任せてどん、と押したユリウスを、向こう側に座っていた誠吾が受け止める。
「……………………え?」
ユリウスを支えたのは条件反射だったようだ。そのままの姿勢で誠吾が固まっている。
そういえば、と清乃は弟の顔を見た。姉に似ていると言われる童顔が引き攣っている。
「……えっと誠吾ごめん。もしかして知らなかった?」
「な、なななにを」
「何って言われると難しいんだけど、あれ」
ちょーのーりょく。と弟に言ったら馬鹿にされそうだ。清乃が反対の立場だったら、いい加減小学校くらい卒業しろ、くらいのことは言う。
「セイには言ってなかったかも。驚かせてごめん」
えへ、と笑うユリウスが可愛い。大抵の人間はこれだけで許してしまうだろう。
青くなっていた誠吾も、血の気を取り戻した。
「え、えええなに? おまえほんとにユリウス?」
「あとで座って話そうか。ほら、着いたよ」
ユリウスの姿が消えた。だからヤメロ。
「…… ………… 」
誠吾の顔が再び蒼白になる。
「……誠吾。とりあえず息しなさい。大丈夫、大丈夫だから」
背中をさすってやると、弟は縋るような眼で清乃を見た。なんだどうした。こんな弟を見るのは、十年も前にふたりで迷子になったとき以来だ。
「……ぇえ? …………っ」
「おい泣くな高校生。しっかりしろ」
「泣いてねーし。……でも泣きたいかも。姉ちゃんどうしよう」
停まった車の外に出たユリウスが、清乃側のドアを開けて車内に手を差し伸べる。エスコート。多分ペチンとやったら駄目な場面。
反対側のドアは運転していた男性が開けてくれた。
混乱中の誠吾はぶんぶんと首を振り、清乃にくっついて同じドアから出ようとする。仕方なくユリウスの手を取って車を降りる姉を、弟が絶望的な視線で見送った。
そんな弟のことは清乃が責任を持って引きずり出してやった。
「弟がごめんなさい。Sorry, sir. ほら、しゃんとしなさい。お姉さまがいるから大丈夫だよ」
「大丈夫の根拠が弱過ぎる……!」
もう大丈夫そうだ。
誠吾の背中と、楽しそうに笑うユリウスの胸をツッコミの要領で叩いてから、清乃も少し笑った。
「アッシュデールへようこそ。キヨノ、セイゴ、来てくれてありがとう」