別世界
本日は王位継承権第二位の王子が成人するめでたい日である。
ユリウスはその天使のような外見のため、美形王室の中でも特に国民人気が高い。
国民というか女性人気だ。少なくない数の男性ファンもいるらしい。ほぼアイドルである。
ユリウスは大勢の前でにこにこして手を振る仕事が「嫌いじゃない」らしい。自分の顔がいいのは当たり前のことで今更水仙よろしく鏡に見惚れたりはしないが、チヤホヤされるのは「嫌いじゃない」そうだ。
そんな王子様は例の白い詰襟を着て完璧に身支度を整えると、清乃と誠吾にその姿を見せに来た。
ふたりでかっこいいかっこいい、と手を叩いてやっても彼は不満そうだった。仕方なく胸の前で手を組み、きゃーユリウス様素敵ーとやってやったら、よく分かったもっと需要のあるところに行ってくる、と去って行った。
清乃的には格好いいも素敵も本心だったのだが、表現方法が気に入らなかったらしい。ワガママ王子だ。
主役の王子様はこれから儀式やら国民向けイベントやらで忙しい。
次に彼の顔を見ることができるのは、夕方から始まる夜会になる。
清乃の仕事は、それまでの間に着付けとメイクを済ませておくことだ。
「で? 姉ちゃん何してんの?」
「本読んでる」
着付けは誠吾をアシスタントに自分でやって一時間。ヘアセットとメイクはプロにお任せで一時間もかからない。余裕を見ても二時間前から準備を始めれば間に合うのだ。
賑やかな城下に降りて、下からユリウスの王子様振りを見たい気もしたが、カタリナに面倒をかけるだけだろうからとやめておいた。
城内も人が増えて大変そうだ。招待客のほとんどが国内の有力者という話だ。なかには有色人種に対する偏見を持つ人もいるかもしれない。欧州の上流階級ならあり得る、という考えのほうが偏見になるだろうか。
とにかく問題を避けたかったために、姉弟して時間まで部屋にこもることにしたのだ。
誠吾は呆れ顔になりながらも清乃の部屋から出て行こうとはしなかった。
彼は今、カタリナに頼んでみたら何故かあっさり出てきた竹刀を振っている。普通に振ったら天井に当たるため、絨毯の上に正座しての素振りだ。そこまでしてやらなければならないことなのか。
「まあそうやってる間はいつも通りに見えるな」
「そう?」
活字の世界に入り込んでいる姿がいつも通り、とは身内らしい意見だ。集中し過ぎると、あんたちょっと変だよ、と言ってくる大学の知人とは違う。
「……今なら少しは話になりそうか」
「えー、もうちょっと読みたいんだけど」
清乃は本気で言ったのに、誠吾に本を力尽くで閉じられた。
「ふざけてる場合か」
「ちっ」
「本気なのかよ! なお悪いわ!」
誠吾が本気でキレそうだ。
「あたしだって別に趣味のためだけに読んでるわけじゃないよ」
仕方なく清乃は椅子の向きを変え、立ったままの弟を見上げた。
「可愛い弟が見えるか。目の焦点は合ってるな」
「……合ってないことがあった?」
「あったよ。起き抜けとか特に。すげえ怖かった」
それは確かに怖そうだ。清乃は首から下げた御守りを服の中から引っ張り出して握った。
「それって、このお城の中でだけ?」
「ああ……、多分。いや、うんそうだ。外に出たときは普通だった」
「やっぱり魔女の仕業かな」
「エルヴィラ様か」
この国に現存する魔女はエルヴィラだけという話だった。
厳密に言うと、多分それは嘘だ。ここには別の魔女がいる。
「違うと思う。エルヴィラ様はあたしに悪いことはしない。もっと違う誰か、もしくは何か」
エルヴィラのことは信じると決めた。他の人間は分からない。
好意的に迎えてくれているように見える人物が腹の中に何を隠しているのか、今の段階では分からない。
多分これは、清乃が過敏になっているだけのことだ。慣れない異国で委縮してしまっている。
それを見た弟を不安にさせてしまっている。
そう思いたいし、その可能性が高いとも思う。
「よく分かんねえし分かりたくねえ」
だけどそうでなかった場合。
清乃と誠吾の漠然とした不安が形になったなら。
「あんたはそれでいいよ。これはあたしが売られた喧嘩だから。勝てそうなら買うし、無理そうなら負ける前に逃げる方法を考えよう」
姉弟の馬鹿げた空想話だったと笑って帰国できればいい。
いい歳して何言ってたんだと、貶し合いながら飛行機で笑い飛ばしたい。
やっぱお城効果かな、雰囲気あったよねえ。ヤバかった、完全に呑まれてた。庶民の行くところじゃなかったね、もう招ばれても絶対行くって言ったら駄目よ。
そう言って恥ずかしさを誤魔化しながら帰るのだ。
「…………よっラスボス!」
ラスボスというのは悪役ではないだろうか。
魔女が主人公で、清乃は敵対勢力なのか。この国ではそうなのかもしれない。
それなら却って気が楽だ。悪どいことをしても問題ないということだろう。
何故なら悪役だから。
「あたしがラスボスならあんたはその配下ね」
「やるよ。配下でもパシリでもなんでもやるから、早いとこ勝ってくれよ」
弟と手を繋いだのは十年振りくらいだろうか。
会場入りのときだけで構わないよ。セイは姉をエスコートするんだ。キヨはいつも通り大人しい顔をして、セイに手を預けて歩くだけでいい。ほら、キヨ手を貸して。こんな感じだ。別に難しいことじゃないだろう。
ユリウスが手本を見せてくれたときには頑として練習しようとしなかった誠吾だが、外面を取り繕うことはできるのだ。
まだ思春期が終わらない男子高生、人前で姉の手を取って歩くなんて死んでも嫌だと言いたいだろうに、それなりに格好を付けている。
天井の高い会場の広さはどれくらいなのか、人が多過ぎてよく分からない。満員電車とはもちろん違うが、周囲は背の高い欧米人ばかり、圧迫感があった。
これ多分みんなここで踊るんだろうな、と清乃は頭の隅で考えた。
着物でよかった。踊れません、のも当然だと思ってもらえるだろう。左右の膝を離すような動きをしたら着崩れる。
誠吾は一人前にタキシードに蝶ネクタイ姿だ。眉くらいは日本で整えてから来たようだが化粧をするわけでもなし、前髪を固めただけで準備は終わった。
清乃の支度は壮絶だった。ドレスを用意してくれと要求すれば良かったと後悔しながら振袖を自力で着付けたのだ。
短期教室に通って突貫で着付けられるようにはなったが、やっぱりプロにやってもらった成人式のときの倍の時間がかかった。ここ押さえて、その紐取って、ここ持って、と指示を飛ばされる誠吾がうんざりしていた。
ヘアセットは前下がりショートボブを活かしつつ、一部を編んだ髪に生花を付けてもらった。
若いから化粧は控えめに、という提案を受けたが断った。派手な着物に顔が負けないようにして欲しいと頼み、メイクアップアーティストの女性に成人式の写真を見せたのだ。
プロは清乃の要望を取り入れつつ、適切なメイクを施してくれた。肌のアラを隠す白粉は最低限、アイメイクを強めに、仕上げはエルヴィラおすすめの紅い口紅で印象を引き締めてくれた。
生花を飾るのは、初めて夜会に参加する少女だけの特権だという。
デビュタントなんて大袈裟なものではなく、不慣れですのでお手柔らかに、くらいの意味合いだそうだ。付ける付けないは本人の自由だが、華やかになって喜ばれるからと付ける少女が多数派だ。
ユリウスと同年代の少女が何人も眼につく。
花を飾っているのは、成人したばかりの十八歳の少女たちということだ。花飾り付き参加者の最年長は清乃かもしれない。
場慣れしない姉弟に付き添ってくれているカタリナは、ネイビーのロングドレスだ。金髪をほどいて軽く化粧を直しただけでパーティー入りできる天然美女は強い。
女性は華やかなドレスばかり、振袖姿の清乃はやはり目立つようだ。向けられる視線は好奇のものに近い。
キモノ、ニッポン、といった声が小さく聞こえてくる。
清乃にできるのは、うつむかないよう立っていることくらいだ。腹の中では、こんな場所に引っ張り出したユリウスを思う存分罵っている。
【皆さま、おふたりが気になっているようですね。どなたのご招待でいらしたのか分からなくて、お声をかけられないのです】
【誰の関係者か分からないと困るのですか?】
骨肉の争いをしているような家ならばなんとなく分かるが、アッシュデール王国の王家は平和に見えた。
安定した国王夫妻に、後継者と定められ更に次の世代にも恵まれた王太子。王位に興味がないアイドル王子。
生真面目な王弟は近々王子の称号を返上する用意をしているという。息子のフェリクスも同様で、彼はお役目から解放されることを諸手を挙げて喜んでいるようだ。
ふたりの王女はそれぞれ年齢に応じた役割を果たしており、不祥事とは無縁に見える。
【異国の姉弟に城勤めの女が付き添っている。年齢的に王子王女どなたかの関係者だろう。王太子の愛人候補に迂闊に近づいて問題になるのは避けたい、魔女の友人なら怖い、末姫のご友人なら是非お近づきになりたい。それとも今夜の主役の友人とその姉か。ならば益々お話ししたい】
カタリナの解説は分かりやすかった。なるほど。
清乃がユリウスに招かれたのだという見方はされにくいようだ。誠吾はこのために招かれたのだと、自分で理解してこの場に立っている。利用する気かと憤ることなく、友人であるユリウスのために姉に付き添っているのだ。




