三日目朝
やめろ。この子はあたしの弟だ。
近づくな魔女ども。
「…………せいご」
「ん」
清乃が目を覚ますと、隣に弟の姿はなかった。
短く息を吐く音に気づいて部屋を見渡すと、窓際で空の両手を振る誠吾の姿があった。
「………………あんた朝から何やってんの」
「エアー素振り」
「なにそれ」
「邪気払い。なんかあんだろ、神社とかでやってるヤツ。真剣も竹刀もないからエアーでやってみた」
我が弟ながら変な奴だ。
邪気ってなんだ。
「そう」
「昨夜はちょっと元に戻った気がしたけど、今朝もやっぱ変だな。もう笑うしかねえな」
なんで泣きそうな顔をするのだろう。
変な弟の代わりに、清乃が笑ってやった。
「おい泣くな高校生。笑うなら笑え」
「笑えねえよ。いい歳して弟泣かせるなよ」
顔をしかめた誠吾は首にかけていた御守りを外すと、清乃の額にペチ、と当てた。
「何すんのよ」
「……効かねえじゃん。やっぱ宗教違うと駄目なんじゃねえか?」
「うち浄土真宗だからね。信者数でやっぱり負けるよね」
「多数派が強いのか。宗教も民主主義の時代かよ。仏教のほうが歴史が古いんだぞ。先輩を敬え」
「珍しくちょっと賢そうな台詞だな」
そうでもないか。
しかしランドセルを背負って服の袖で洟水をぬぐったり、学ラン姿で親に反抗していた弟の口から政治や宗教の話が出てくる日が来ようとは。姉としては感無量である。
「たまにはな」
「でも民主主義イコール多数決ではないってことは覚えとけ」
「それ今どうでもいい。なあ姉ちゃん、俺が姉ちゃんに逆らわない理由って知ってるか?」
「まず逆らわれなかった記憶がない」
「ここぞってときに逆らったことはないだろ。一緒に迷子になったときも受験校を決めかねてたときも、友達が不良に連れてかれたときも、姉ちゃんの言うことに従っただろうが」
そうだったかな。最後のは騒ぎになったから覚えているが、他のは普通の姉弟エピソードでしかない気がする。
「初耳だよ」
「言ったことなかったっけ。姉ちゃんがラスボスだって信じてるからだよ。可愛い弟の期待を裏切るなよ」
「誰がラスボスだ」
「いいか。俺は姉ちゃんが最強だって信じてるからな」
ラスボスって最後に倒されるための存在じゃなかったっけ。ゲームはほとんどやったことがないからよく知らないけど。
泣きそうなのに涙は流さない誠吾。少し前までの彼なら、もうぼろぼろ泣いていただろうに。
何がそんなに悲しいのか。それとも怖いのか。
清乃のぼんやりした頭では、彼が泣きたくなっている理由が分からない。
「……誠吾。泣きたいなら泣きな。みんなには黙っててあげるから」
「うるせえよ。てめえの心配だけしてろ」
心配。
清乃の心配? なんだろう。
何か心配することがあったかな。
体調は万全だ。かつてないほど身体が軽い。
ただ寝起きの頭がぼんやりしている。それだけだ。
ノックの音がした。
はい、と清乃が返事をすると、ユリウスが顔を出した。
「おはよう。セイもこっちだったか」
「ああ。昨夜こっちでうっかり寝オチした」
「え。寝オチって有りだった?」
ユリウスがわざとらしく驚いた顔をする。
「身内限定に決まってんだろ。エルヴィラ様の前では俺もやらねえよ」
誠吾はわざとユリウスの思惑を無視して、自分の話として進めた。
「やってみれば。多分セイなら、優しくお姫様抱っこで部屋まで運んでもらえる」
「それだけの度胸がついたらな。で、なに? おまえ今日忙しいんだろ。朝食?」
「うん。ブランチかな。今日は親との予定だったんだけど、ふたりも誘って来いって。大丈夫?」
つまり国王夫妻の朝餐に招待されているということか。
断るのは多分、失礼になるだろう。王子が直々にお誘いに来てくださったのだ。
「…………時間がかかる」
「うん。エルヴィラが誘うなら今すぐ行けって。十時半から。どう?」
約四十五分か。頭だけシャワーで流して髪をなんとかして。服はブルーのワンピースが残っている。あれを着て化粧、朝だからうっすらでいいのか、なんか色が付いてればいいとしよう。
「分かった。頑張る」
「ありがとう。身内だけだから頑張る必要はないけどね。エルヴィラとフェリクスもいるし。あとはオレの両親、兄妹、フェリクスの両親くらいかな。カタリナの母親も来るんだ。フェリクスが呼んだらしいよ」
そういえばユリウスには姉のエルヴィラ以外にも、兄と妹がいると言っていたっけ。きっと全員美形だ。美形四きょうだい。
カタリナの母親はフェリクスの乳母。強力なESP保持者であった彼を育てた女性だ。
「了解です。善処します」
「五分前になったら迎えに来るよ」
よし頑張ろう。
靄がかかったような頭に気合いを入れるため、清乃は両手でばしんと頬を叩いた。
ふぅーと細く長く息を吐く。息を大きく吸う。呼気を身体の中心まで落とし溜める。長く息を吐く。
誰か、もしくは何かが清乃に喧嘩を売っている。
ならば闘えばいい。
エルヴィラがそう言ってくれた。清乃は強いから大丈夫だと。
喧嘩に臨む準備が必要だ。
過去の偉人、孫子だって言っている。戦に勝つには入念な準備が必要だ。
無駄に終わるならそれでもいい。そのほうがいい。
避けられるべきは避け、避けられない戦には万全の体制を整えて臨むのだ。
現代のビジネス界でも通用する、不変の真理。
「…………誠吾。あんた武士と騎士はどっちが強いと思う?」
「武士に決まってんだろ」
姉の唐突な問いに、誠吾は躊躇なく答えた。
彼の名前は父が付けたものだ。
幕末、武士の集団が掲げた「誠」の文字を使いたかったのだと言っていた。
誠吾は必ず「言」を「成」す男だ。父が酔っ払うたびにそう彼に言い聞かせて育てたのだ。
「よし言い切ったな」
「俺に二言はねえ」
「じゃあここでのあんたは無敵だね。信じていいね、剣道少年」
ここが騎士の国だろうと魔女の国だろうと関係ない。
勝つのは日本人だ。
「任せとけ」




