活字
アッシュデール語を英語に訳すための辞書も見つけた。
清乃は時間を忘れて本探しに没頭した。
国の成り立ち。王の系譜。魔女の存在。超能力。城にまつわる逸話。
普段清乃は小説や漫画のような物語しか読まないが、その中で気になることがあればキーワードを手掛かりに様々な本を漁る。
子どもの頃にはなかったネットサーフィンの要領で、活字の波に乗ってその世界に没入するのだ。
「キヨ」
そんなときには邪魔をしないで欲しい。
「キヨ。きこえてるか? キヨ」
誰も清乃の世界に入ってくるな。
「キスしてやろうか」
ばしっ
「…………ごめん。無視した。無意識だった」
突然視界を占領した顔を反射的に叩いて、清乃はすぐに謝った。今のは彼女が悪い。
【叩いたことについては謝らないのか】
【それはあなたが悪いです】
フェリクスは自分の鼻を覆った手をすぐにどかした。高い鼻は高いままだった。
鼻血など出ていないことは最初から分かっている。
【俺に用があったんじゃないのか】
彼は行儀悪くテーブルに尻を乗せて、清乃が横に置いていた本を手に取りパラパラとめくった。
なんだそのポーズ。脚が長いことを自慢したいのか。
糊のきいたストライプのワイシャツにネクタイを締めてスーツパンツを穿いていたら、いつもよりちゃんとした大人に見える。チャラさ半減だ。
(うん。わるくない)
「フェリクスに? ……そうだったかも。なんだっけ」
そういえば、カタリナに伝言を頼んだ気がする。
何を言おうと思っていたんだっけ。自分の世界に入り過ぎて忘れてしまったようだ。
【おい。俺一応忙しい身なんだがな】
(かおくらい、みせてくれてもいいのに)
「ごめん。今日顔見てなかったから会いたかったんだよ」
多分ね、と適当なことを言ってみたら、フェリクスが意外なものを見る眼で清乃を見た。
【……どうした、キヨ。様子が変だとは聞いてるが、本当にどこか悪いのか】
「どこも悪くないよ。ほんとに。ただフェリクスはどうしてるかなって思っただけ。ごめんね。わざわざ来てくれてありがとう」
【熱は】
なんでみんなそんなに清乃を病人にしたがるのだろう。
額に触れたフェリクスの手は、カタリナのものよりも大きかった。でも同じくらい温かくて気持ちいい。
節くれだった指は清乃のものより関節ひとつ分くらい長そうだ。手が大きすぎて、額だけでなく視界まで塞がれてしまった。
男の人の手だ。
長い指の隙間から、フェリクスと目が合った。
その瞬間、彼は弾かれたように清乃から手を放した。
【キヨ……部屋に戻ろう。夕食の時間だ。セイが待ってる】
読みたいのはこれだけか、とフェリクスがサラサラと紙にタイトルを書き写して司書に渡した。
いつの間にか窓の外は真っ暗になっていた。もしかして清乃のせいで図書室職員を残業させてしまったのだろうか。
遅くまですみません、ありがとうございました、と英語で言って頭を下げると、カタリナから預かったと本を二冊渡された。
本を抱えたフェリクスと並んで図書室を出てから、彼の持つ本を受け取るために両手を差し出す。
「本ありがとう。自分で持つよ」
【こんなにたくさんどうやって持つつもりだ】
「普通にだよ。腕の長さまではいける」
本屋のアルバイトではもっと重い物を持つこともある。
フェリクスの周りにいる女はもっとかよわいとでも言うのだろうか。それ絶対騙されてる。チャラ男のくせに。
【……いい。女に重い物を持たせるなと俺が叱られる】
「ああ、ユリウスが言ってたよ。サー・フェリクス。騎士って大変だね」
【別に。ただの称号だ。食欲はあるか? 食堂までセイとふたりで行けるか】
フェリクスが変だ。彼が清乃を気遣うなんて。
そうでもないか。彼は基本的に世話焼きなタチだ。
【食欲はあるけど、食堂までは行けないかも。ここ広いから、場所覚えられないよ。フェリクスは一緒に食べないの?】
【…………分かった。連れてってやるよ】
【ありがとう。優しいね、フェリクス】
その日の夕食は、清乃と誠吾ふたりだけで食べた。ちょっといい店のコース、といった内容で、サービスもお仕着せ姿のにこやかな女性がしてくれた。
誠吾が姉ちゃん人にはちゃんと帰って来いとか言っといて、とか文句を言っていたが、清乃が適当に謝っていると彼はすぐに口を閉じた。
あまり緊張することなく、美味しく食べることができたからよかった。ご飯はちゃんと食べて健康でいないといけない。大事なことだ。
食後は部屋に戻って本の続きに取り掛かる。日本から持参した英和辞典が役立った。
誠吾が隣の部屋からやって来て、興味もないくせに英語の本を手に取り同じ部屋で読み始めた。
見たことない英単語ばっかだな、と時々呟く声を無視していると、そう時間が経つ前にエルヴィラからの使いが清乃を誘いに来た。
「爪だっけ。せいぜい頑張って化ければ」
「まあ恥かかない程度にはなんなきゃね」
「携帯持って行けよ。迷子になったら迎えに行ってやるから」
城に到着してすぐに渡された携帯電話だ。清乃が普段使っているものは海外対応機種ではないと出発前に初めて知った。
「何それ。誠吾のくせに生意気な」
成長した弟の頼もしい言葉を受けて、清乃は一応小さなポシェットに携帯電話を入れて行った。
本当はまだ続きを読んでいたかった。英語で書かれたアッシュデールの歴史の概要を掴もうとしているところだったのに。




