図書室
【キヨノ様、キヨノ様? 大丈夫ですか?】
「……ぅわっ」
金髪美女のアップに、清乃は反射的に身を引いた。
【……うなされてらっしゃいましたよ。夢が悪さをしましたか】
清乃はまたたいて、周囲と自分の状況を確認した。
ここは清乃に用意された部屋だ。落ち着いた上品な壁紙に、シンプルだけど豪華なベッド。扉の向こうは弟の誠吾が寝泊まりしている部屋。
目の前の美女は、
「…………カタリナさん」
「ハイ、キヨノサマ」
カタリナは優しい表情をして清乃の手をそっと撫でてくれた。
城勤めをするために何かしらの訓練を受けているのか、彼女の掌は硬かった。
清乃はまだ完全に現に帰ってこれていない。
落ち着きなくきょろきょろして、何度も現在地を確かめる。
ここはアッシュデール。今は二十一世紀。わたしの名前は杉田清乃。友人のユリウスに招待されて、魔女の国にやって来た。
「…………カタリナさん。さっきここで、わたしが起きる前、何か喋っていましたか?」
「イイエ」
優しい顔と掌の温かさが、少しずつ清乃を現実に引き戻してくれた。
英語で喋らなきゃ。
ここは日本語が通じない場所だ。カタリナが困っている。
【ごめんなさい。寝惚けてしまいました。誠吾は帰ってきていますか?】
【いいえ。ランニングするお姿を、仕事をしながらみなで応援しているところです。彼は立派なアスリートですね】
清乃はお恥ずかしいところを、と言いかけて、途中でやめた。
誠吾は姉と違い、幼い頃から身体を動かす習慣がある。走るフォームが綺麗だと、陸上部に勧誘されたこともあるらしい。
ちゃんとしたランニングコースを走っているのであれば、恥ずかしいことではないはずだ。
でも彼は今、この国に住む大勢の眼に晒されているのか。怖いな。早く帰ってこないかな。
【わたしたち、姉弟なのにそこらへんは似てなくて】
【十代男子と同じように動けないのは当然ですよ。キヨノ様、だいぶお疲れのようですね】
清乃はうなされていたのか。何故だろう。
悪い夢でも見たのだったか。思い出せない。
ただずっと、誰かの声を聞いていた気がする。
カタリナは清乃を迎えに来て、呼びかけても返事がなかったから室内を確認したのだ。
そうしたら、ベッドで清乃がうなされていた。
【そうかもしれません。なんだか頭がぼんやりしたり、逆に変なことをすごく考えてしまったり。慣れない場所で疲れてるからなのかも】
【ちょっと失礼しますね。……ああ、ご安心ください。わたしにESPの才能はないんです】
カタリナは優しく清乃の額に触れた。
【熱はありませんね。ご気分が優れませんか】
【いえ。身体の調子はすごくいいんです。ごめんなさい。大丈夫です】
眉をひそめた美女が、清乃の前に膝をついた。
カタリナの顔は真剣だったけれど、手の甲に触れる手は優しかった。
【キヨノ様。覚えていてください。ここであなたが何かおかしいと思ったなら、正しいのはあなたの感覚です。いいですね。周りは何か言うかもしれないけれど、あなたが信じるべきはご自分の直感です。そのことを忘れないで】
「あたしの直感」
【ええ。あなたが変だと思ったら、それは変なんです。この国の王とか】
カタリナが真面目な顔のまま言うから、代わりに清乃が笑ってしまった。
【何故ちょい悪オヤジ、とか?】
【ええ。おっさん飲み過ぎだとか、ユリウス馴れ馴れしいとか。全部あなたが正しいです】
彼女と話しているうちに、少し頭がすっきりしてきた。
そうだ。清乃は自分の感覚を信じて、それに忠実であっていいのだ。
ここは怖いところ。
だけどみんな清乃に親切にしてくれる。
ユリウスはいい子だ。彼は清乃を大切に想ってくれている。彼は清乃の敵にはならない。
カタリナも優しい姉みたいだ。彼女のことも信じて大丈夫だ。
【……そうだ。陛下はご無事でしたか?】
【ええ。若者の足に追い付けなくなって、途中で諦めてダラダラ歩いておられました】
王は真っ当な大人に見えた。王であると同時に父であろうとし、更に多くの子を抱えても揺るがない強さを持つ王だ。彼は無闇に他人を攻撃したりしない。ましてや彼の愛する子らに命じたりなど、決してしないはずだ。
そう、頭では分かっているのに、なくならない不安感。
清乃が今信じるべきは、根拠がどこにあるのかも分からないこの不安感なのか。
心安らかにしていてはいけない。
【本を読みたいです。しばらく図書室の本を見ていてもいいですか?】
【ええ、もちろん。簡単な歴史書でしたね。行きましょう】
図書館の本の背表紙には分類番号が貼ってある。日本の図書館は種類毎に数字が割り振られているため、全国どこの図書館に行ってもすぐに目的の本を探し出すことができるのだ。
日本十進分類法であれば頭に2が付く数字を探せばいいが、ここの分類法は違うだろう。
国によっては数字の代わりにアルファベットが割り振られているらしいが、アッシュデールはどうだろうか。
などと考えながら、清乃はウキウキと図書室に向かった。
「ないことは想定してなかった……!」
そこは城の一番端の巨大な空間に整然と本棚が並ぶ、日本の図書館と似たような空間だ。一階から三階まで本で埋め尽くされている。清乃がホッとする空気。ホームと言っても過言ではない。
ただいま。日常。
日本の図書館と似ていると言っても、重厚さを失わない程度に優美な装飾が施された本棚は艶のある木製で、床には毛足の短い絨毯が敷き詰められている。
やっぱり似てないかも。城のどこに行っても高級感がついてまわる。
アッシュデールの王城図書室に並ぶ本は、背表紙が上から下まですべての姿をそのまま見せていた。
これでは個人所有の書籍と同じではないか。
まさかそういうことなのか。この何万冊あるのか見当も付かない本はすべて、国王個人の持ち物なのか。
なんて羨ましい。
(まあ、専門知識のある人が管理してはいるんだろうから)
歴史書の場所を見つけることを目標にざっと見てまわれば、大体分かってくるはずだ。
日本だって、分類法は同じでも図書館によって配置が違うし、どうしても司書の考えが反映される。本屋もたくさん見てきた。本の内容までは読めなくても、タイトルくらいは見当が付くだろう。。表紙や中の写真、挿絵を見れば、何について書かれた本なのかくらい分かるはずだ。
本好きの血が騒いできた。
【カタリナさん、ここのルールを教えてください。立入禁止区域とか、持ち出し禁止本の見分け方とか。持ち出しは何冊までとか決まっていますか?】
【持ち出しは本来なら禁止なのですが、キヨノ様には王子の許可がありますので、リストさえ作れば何冊でも。禁書扱いの書物は別の場所に保管してありますから、ここにある本はご自由に御覧になってください】
本関係の英単語は覚えている。カタリナは今確かに禁書と言った。やっぱり魔法の書とかそういう類いの本だろうか。非常に気になる。
気になるが、その素振りは見せたら駄目だろう。
【ありがとうございます。夕食の時間までに部屋に戻れば大丈夫ですか? 十九時でしたよね】
昨日よりも一時間遅い時刻だと聞いている。
明日はパーティーだから夜遅くなるよ。今夜も夜更かしして、明日朝は遅くまで寝て夜に備えて。とユリウスが言っていた。
【そうですね。今夜は夕食の後ネイルをご一緒にとエルヴィラ様がおっしゃっていましたが、予定通りで大丈夫ですか?】
【はい、楽しみです。あと今日、まだフェリクスの顔を見ていないんですが。やっぱり忙しいんでしょうか】
清乃はフェリクスとは別に親しくない。何日かアパートに泊めてやりはしたが、極力関わらないようにして過ごしていた。彼はユリウスの保護者、くらいの認識しかしていないのだ。
カタリナもそう聞いていたのだろう。少し不思議そうな顔をしたが、今日のスケジュールまでは把握していませんが、キヨノ様が気にされていたと伝えておきます、と言ってくれた。
お薦めの歴史書を教えてもらう前に、まずは自力で図書室攻略にかかった。
清乃の意欲を尊重してくれたカタリナは、歴史書は職員に預けておきますから、お帰りの際にでも受け取ってください、と言ってくれた。
多言語の書籍が並んでいる。清乃に読めるのは英語くらいだ。英語の棚と、アッシュデール語を探すのだ。
フランス語、ドイツ語、ロシア語あたりは見ればなんとなくそうだと分かる。これはイタリアか、あっちは漢字だ。と見ていけば、一番多い言語がアッシュデール語であることに気づいた。
ここの図書館の一番大きい分類は、日本十進分類法基準で考えると頭の数字、次が言語。その先はそれぞれの分野毎に整理されているようだ。




