歪
ここは怖い場所だ。
全員が家族。家族全員が特殊能力を持っている。
全員が、己の王を盲信している。
敵対する者は排除される。
王にまつろわぬ者は、彼らの敵になる。
清乃は彼らの敵になるつもりはない。
だが、彼らは日本とは言葉も風俗も異なる国に生きているのだ。
知らぬ間に彼らのタブーを犯してしまったらどうなる? 清乃と誠吾は排除されてしまうのだろうか。
排除が国から追い出すことなら問題ない。大人しく日本に帰ればいいだけだ。
それよりももっと過激な手段を選ばれたら。
日本までユリウスを狙ってやって来たマフィア。彼らは廃人一歩手前になるまで、フェリクスとエルヴィラによって脳を弄られた。
この国で彼らと敵対することがあれば、今度は清乃が同じ目に遭うのだ。
日本の両親は、ふたつの遺体かふたりの壊れた人間か、どちらにせよ変わり果てた我が子を受け取ることになる。
誠吾はそんなこと考えていない。
彼はユリウスの話に、すげえな、としか言わなかった。部屋に戻ってシャワーを浴び、運ばれて来たティーセットの前に喜んで座っている。
弟にはこんな話、したら駄目だ。ふたりで怯えていたら、いざというとき、冷静な行動を選べない。
でも注意喚起はしておかなければ。
「あんたアホだからね」
「ああ? なんだよ?」
ユリウスが頼んでくれたのだろう。城のお仕着せを着た女性がスコーンやクッキーのような茶菓子だけでなく、サンドイッチも添えられたワゴンを押して来てくれた。
それをパクつきながら、誠吾が顔をしかめた。
今は久しぶりの姉弟ふたりだけの時間だ。ずっとユリウスが、彼がいないときには他のひとが一緒だった。
「褒めてるの。あんたはそのままでいて、お姉ちゃんを助けてね」
「どうした。まだワインが残ってんのか」
「とっくに醒めちゃったよ。あのね、ここに居る間はいい子にして、姉弟仲良くしてようね」
「? へーか登場にビビった? 割と普通のおじさんだったじゃん」
「そういう失礼な口利かないで。お願いだから」
「人前では言わねーよ」
そう願いたい。ふたりの命がかかっているのだ。頼むよ弟。
「……美味しい? これも食べちゃっていいよ。しっかり力蓄えて備えてね」
「明日の話? 俺はただの付き添いだろ。頑張るのは姉ちゃんだからな」
ああ。明日はユリウスの成人を祝う会か。出ないといけないんだろうな。そのために来たのだから。
でもパーティーには少数だが外国からの客人も来ると言っていた。出席者の全員が王の家族ではないということだ。
外国。
(フェリクス)
そうだ。外国。
ここにはフェリクスがいる。
「そういえば今日、まだフェリクスの顔見てない」
「そうかも。大人だから忙しいんだろ。ユリウスも無理してこっちに付き合ってくれてるみたいだぞ」
「ふうん」
「ふうんってマジかよ。姉ちゃんのためだろ」
「あんたの友達でしょ」
ユリウスは駄目だ。彼は根っからのアッシュデール人だ。ずっと王の下で育ち、家族を愛し誇りに思っている。
フェリクスは今アメリカで暮らしている。リベラリストの国で、アッシュデールとは違う思想があることを学んでいるはずだ。
彼と話がしたい。ここは怖い、帰りたいのだと訴えたら、きっと分かってくれる。安全に空港まで連れて行ってくれる。
フェリクス。フェリクスに会いたい。彼と会って話がしたい。
「俺これ食べ終わったら、もうちょっと走ってくるわ」
「まだ走るの?」
「ランニングコース、城壁の内側をぐるっと廻るんだって言ってたろ。走りながら色々見てみたい」
「そっか。それもいいかもね」
ここでの清乃と誠吾は完全にアウェーだ。城の全体像を把握しておくのも悪くない。
敵を知り己を知れば百戦殆うからず、だ。
「うん。……んで姉ちゃん。さっきからなんか変だけど自覚ある?」
「ん?」
「心ここにあらずっていうか。いつもに増して変。朝から時々なんか変」
変? 変なのはこの国だ。
清乃は弱い生き物として正しい反応をしている。自分から危険を遠ざけたいだけだ。
変じゃない。変なんかじゃない、そのはずだ。
(ほんとに?)
頭の片隅で、誰かが小さな声で問いかけた。今のは清乃の声か?
今のおまえは変だ、病的だ、ユリウスはいい子だ、怯えることなどない、と冷静な自分が言っているのか。
「変変言うな。あんたがアホなせいだよ。走るのはいいけど、誰かに会ったら失礼のないようにね」
「うっせえな。そのくらい分かってるよ」
「頼むよ、ほんとに。あたしは図書館で本借りて部屋に戻ってくるから、あんたもちゃんと迷わず帰って来なさいよ」
確かに今の清乃は変だ。
清乃は誠吾が出て行った後でひとり、ベッドに仰向けに寝転がった。
アッシュデールの人はみな親切にしてくれている。
清乃の王子の友人という立場がそうさせるのかもしれないが、彼らが歓迎し濃やかに気を配ってくれている気持ちはちゃんと伝わっている。
でも急に恐ろしく感じてしまったのだ。
この国の城に住む人々は、人智を超えた力を持っている。彼らは王を父と仰ぎ、王は彼らを信頼している。
それは普通の集団じゃない。ひどく歪なものだ。
この国の王は、その気になれば世界を滅ぼすことのできる力を持っているのだ。
清乃と誠吾は、そんなところに己の身を護る武器のひとつも持たずにのこのこやって来てしまった。
ダヴィドに、彼女たちを害す意思はないだろう。
それでも、たったひとりの人間がそう望むだけで、周囲の人間すべてが自分の敵になる、そんな環境に身を置いていたくないと、強く思ってしまったのだ。
それは変なことじゃない、普通の感情のはずだ。
(フェリクス)
頭の隅から、また小さな声がした。
それはやっぱり冷静な清乃の声なのだ。今だって焦る清乃を落ち着かせてくれた。
いつもは反射的に敵視してしまう、だけど清乃は彼がいい奴だと知っている。
早くフェリクスに会わなければ。
彼はこの国の人間だけれど、外の世界を識っている。彼なら、清乃が正しい、ここは危ないところだから早く逃げろと言ってくれる。
でも。
もし、もしもフェリクスが、大丈夫だよ、と言うのなら、そのときはそれを信じよう。
彼が言うなら、ここはきっと安全な場所なのだと安心できる。
おびえてる。
おびえてるね。
おびえているわ。
かわいそう。かわいそうなおんなのこ。
かわいそうなかわいいおんなのこ。
だいじょうぶ、だいじょうぶよ。
ここにはあなたのナイトがいるから。
ナイトがあなたをまもってくれる。ナイトのいうことをきいていればだいじょうぶ。
だからあなたはナイトをしんじて。
ナイトののぞみをかなえてあげて。
ナイトののぞむものをさしだすの。
だいじょうぶよ、こわくない。こわくないわ。
ナイトはやさしい、ナイトはあなたをたいせつにしてくれる。
だってあなたは




