挨拶
【楽しそうですね。混ぜていただこうかな】
サングラスをかけ直したデイヴが笑いながら近づいてくる。
焦った清乃は慌てて姿勢を正した。一番見られてはいけないひとにアホなところを見られてしまった。
「Dad」
「英語で言うなよ! 気づかないフリしてたのが台無しだよ!」
ガチガチに緊張していた誠吾が、もう限界だとばかりにユリウスにキレた。
【父さん、バレてたみたいだよ】
【そうみたいだな。悪いことをしてしまったかな。キヨノさんにセイゴくん】
ええ、とっても。
思いながらも清乃は、日本で練習してきた挨拶を披露することにした。
帽子を取って背筋を伸ばし、浅く一礼。誠吾が清乃の斜め後ろに廻り、同じようにする気配がする。
【……改めてご挨拶申し上げます】
【はいはい】
サングラスを外して息子と同じ青い瞳を晒したデイヴの返事は軽い。
もっと偉そうにしていてもらえないだろうか。偉いんだから。
『お目にかかれて光栄です、アッシュデール王国国王陛下。杉田清乃と申します。ユリウス王子殿下ご成人のお祝いを申し上げたく、日本より参りました』
ユリウスは正式な礼のお手本動画も送ってくれたが、清乃は俯き加減に口上を述べてから腰を支点に上半身を倒す日本式の礼をすることにした。
この挨拶は、祝賀会で披露する予定だったからだ。振袖でドレスと同じ動きはできない。小学校の学芸会よりも練習したのだ。今更アドリブで別の動きができるほど器用じゃない。
借り物の大きめパーカーに履き古したジーンズでする予定なんかなかったのに。
【アッシュデールへようこそ。スギタキヨノさん。この国で王をしていますダヴィドと申します。我が国は息子の恩人を歓迎いたします】
デイヴ改めダヴィドが身を屈めると、深々と頭を下げる清乃の手を取って、顔を上げるよう促した。
(ん? 手、)
清乃が驚くより先に、横からユリウスが父親の手をはたき落とした。勢いで清乃の手が帰ってくる。
「……うわ」
遅れて驚きがやってきた。今もしかして、手にキスされそうだったのか。
国王に? 逆じゃないか? 今からでも清乃がするべきなのか? 御手を押し戴くくらいで勘弁してもらえるだろうか。
【言っただろう。振りでもキヨにキスは駄目だ。日本にそんな習慣はない】
【なんだケチくさいな。キヨは別に嫌がって……るな。ごめんごめん】
言葉が分からない振りしていいかな。とりあえず誠吾、なんか言え。姉を助けろ。
【その格好もうやめろよ。国の恥だ】
ユリウスが息子みたいに見える。息子なんだろうけど。
顔が似ている。色気ダダ漏れの美中年だ。明るい金髪は白くならないのだろうか。ユリウスのほうが白っぽい金髪だ。ネット検索で出てきた数年前の王族の写真と同じ顔。
美形王室の人気は高そうだ。清乃が国民ならファンになっている。
彼らは国王親子にしては意外なほどに気安い関係に見えた。さっきなんて手を叩いていた。
【騙し討ちみたいなことして悪かったね。おふたりが国王をお化けのように恐れていると聞いたから】
そうだよビビってたよ。今この瞬間もビビってるよ。
運転席で手を振る人物を見たときには姉弟で回れ右しそうになった。
黒いニット帽からはみ出ているのは金の巻き毛だ。サングラスで顔を隠すつもりだったのかと思いきや、すぐにずらして青い瞳を見せてきた。
相手が国王でなければ、おいオッサン、と言ってしまうところだった。
「ごめん。ふたりとも。でも先にこのひとを見たら安心するかなと思って」
ユリウスはあまり悪いと思っていない。カタリナが申し訳なさそうにしているだけだ。
【ユリウスがキヨノさんのお父上に車で駅まで送っていただいたと言っていたから、お返しに運転しようと思ったんだ】
日本の田舎の小さいオジサンと自分を同列にして語らないでください。いやマジで。頼むよオッサン。
楽しそうな王を見ていると、いつまでもしゃちほこばってしまうのが失礼のような気さえしてきた。
彼は息子の友人に会いたかっただけなのだと、考えるべきなのだろうか。
少なくともこのちょい悪オヤジスタイルのときは、目上の人間に対する礼だけを忘れなければそれでいいのだろうか。
【なのに帰りは運転なさらないのですね】
カタリナ、ナイスツッコミ。清乃も喉まで同じ台詞が出かかっていた。
【許してくれ。息子のガールフレンドと乾杯したかったんだ】
ダヴィドの言葉に、清乃は一瞬動きを止めてしまった。
これはどういうふうに取ればいいのだろう。
分を弁えろとか、そういう牽制的なことをされたのか。
彼のにこやかな表情は変わらない。言葉だけでその意を汲めということか。
それとも彼は、girlfriendという言葉を、ただ友達という意味で使っただけだろうか。
(……だめだ分からん)
異文化圏に暮らす倍以上歳の離れた男性、しかも王様なんてしている人の真意なんて、いくら考えても分からない。気にしないのが一番だ。
【お恥ずかしいところをお見せしてしまい申し訳ありません】
【いやいや。それくらい可愛らしいものだ。強要してしまって悪かったね。少しは顔色が戻ったかな】
【まだもう少し赤いな。キヨ、そろそろ帰って休むか】
「……俺今すぐ走りたい」
誠吾がやっと喋ったのがそれだった。
「じゃあオレはセイと走って帰ろうかな」
「やめなさいよ、ふたりとも。ユリウスはこの後予定あるんでしょ」
【ふたりは走って帰ると言っているのか? それならわたしも久しぶりに走ろうかな】
おいオッサン。
【キヨノ様、帰りましょう。陛下、お歳を考慮したペース配分でお願いしますね。若者について行こうとしたら駄目ですよ】
【いいや、まだ子どもに負けるほど衰えていないぞ。競争するか?】
カタリナは男性陣を無視して車に向かって歩いて行く。
清乃は弟を気にしながらも彼女の後に続いた。
【あの、陛下はだいぶ飲まれていたみたいですけど、走って大丈夫なんですか?】
国王が道端で倒れたりしたら大事件だ。一緒にいる誠吾に容疑がかかったりしたらどうしよう。
清乃がおそるおそる訊いてみると、カタリナは事もなげに答えた。
【あれくらいなら問題ありません。この国の人間にとって、ワインは水のようなものですから。十代の少年に負けて悔しがるところを見物しましょう】
国王なのに扱いがちょっとあれだ。
恐縮してしまう杉田姉弟が滑稽に見えてしまうくらいだ。
【キヨノ様、言っておりませんでしたが、わたしもユリウス様と同じなのです】
不思議そうな清乃に気づいたのか、カタリナが笑って説明を始めた。
【同じ?】
【同じと言っても、だいぶ弱いのですが】
スカイブルーの自動車の後部座席のドアが開いた。
(あれ)
清乃はまだ車から離れている。カタリナもだ。
とすると、やっぱりこの現象は。
今更感がありますが、言語の使い分けについて。
「日本語: 清乃、誠吾、ユリウス、エルヴィラ、時々フェリクスが使用」
【英語: 登場人物全員が使用】
『現地語: 清乃、誠吾はカタコトのみ。ふたり以外の登場人物が使用』




